第1話




本作品には以下の傾向を含みます。

SF設定/密室/飼育/(捉えようによっては)獣姦

   

毎晩同じ時間に帰宅する、という訳にはいかない。 だけどできる事なら日付が変わる前に――若しくは、変わってしまって数十分以内に。 その為だけに、全集中力を傾けて山積みの案件を切り崩してゆく。 その殺気だった気配に口を挟めるのはあの有能な秘書以外はいない――という訳で、23時46分、家で片づけられる書類を納めたブリーフケースの留め金をしめた所で彼女が声をかけてきた。 「一体どうなされたんですか?最近社長の帰りがあまりにも早いって専ら噂ですけれど」 彼女が淹れてくれた極上のコーヒーの薫りに目を細めつつ、俺は応えた。 「何か不具合でも?」 「いえ、全く。秘書課だけでも無駄な残業が激減しましたし、良い影響ばかりですわ」 「なら別にいいだろ――と言いたいところだが、何の噂だ? 鬼の攪乱とか何とか、またその類か」 「あら、よく御存じです事。まあ女の子達の間では、攪乱の原因は――」 「そうそう、その通り――噂もたまには真実なんだって言ってやってくれ。  可愛い恋人が待ってるんだよ、早く帰れる為なら今の俺は何だってやるね」 「可愛い?恋人?」 彼女らしくもない頓狂な声で復唱されたので、俺は思わず口に含んでいた液体を噴きそうになった。まあ、その気持ちもわからないでもない。 「そう、見るか?」 言うなり液晶を開き、画面を突き出して見せる。 待ち受け画面にまで設定してしまっている典型的な痛いヤツ、の例だ。 普段下世話な好奇心など億尾にも出さない水城が、その時ばかりは眼鏡の奥の目を瞬かせながらも興味深々の面持ちで画面を覗き見た。 そして次の瞬間――思った通り、顔をほころばせて笑った。 「ふっ――ふふふ、確かに、カワイイですね。 これなら必死で帰りたく気持ちもわかりますわ――ちょっと、意外でしたけど」 「だろ?」 胸の内に広がるこの満足感ときたら。 自分が心から愛でているものを他人に認められた時のむず痒いような喜びが癖になる、なんて経験は生まれて初めてだったが、悪い気は勿論しない。 「幾つですか?まだ小さいみたいですけど」 「見た目程子供じゃない、と思うぞ――俺のところに来て1か月、ってところかな」 「購入されたんですか?」 「まさか。どこから見ても雑種だろ。拾ったんだよ。 捨てられてたのか知らないが、屋敷の前で怪我してうろついてたからな」 「真澄様、不気味なくらい目尻が下がってますわよ―― 確かに、こんなに可愛らしい恋人なら、皆安心して納得するでしょうね」 「まだとっておきのショットがあるが、見るか?」 「結構です。さっさとお帰り下さいませ」 空になったカップを差し出されたトレーの上に返し、上着を掴むと、俺は社長室を飛び出した。 地下駐車場へと続くエレベーターの中で、「不気味にも」もう一度画面を開き、確認する。 決して美人とはいえない、だが堪らなく可愛らしい、恋人の姿を確認する為に。 水城でなくとも、誰だってその画像を観たら微笑まずにはいられないだろう――というのは、馬鹿な飼い主の思い込みに過ぎないと自分でもわかっているのだが。 が――やはり、ニヤけてしまうのは仕方がない。 画面いっぱい、下から広角で捉えられた間抜けな顔。 真っ黒な毛玉の中に、これまた今にも零れ落ちそうな程大きい、漆黒の瞳。 桃色の小さな鼻の頭に俺が人差し指をあてがい、上向きに潰している。 それを嫌がって口を開け、何とか外そうと手首に肉球を纏わりつかせている――という、“彼女”にとっては必死の瞬間を捉えたものだった。 さてマヤ――君は一体、今頃どうしてる? 腹を空かせて鳴いているか、悪戯に飽きてくたびれ果て眠り込んでいるか―― 早く、この手に抱きしめて……キス、してやらないと。 ――そんな衝動に突き動かされる自分に半ば呆れ果てながら。 鼻歌混じりにエレベーターを出た瞬間、顔を付き合わせた部下がギョッと顔を強張らせたのもものともせず、俺はただひたすら家路へと急いだのだった。 web拍手 by FC2

last updated/11/01/02

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