第2話




本作品には以下の傾向を含みます。

SF設定/密室/飼育/(捉えようによっては)獣姦

   

今までペットを飼ったことがなかった訳ではない。 ある程度の年齢までは割と野生児タイプの子供だったので、それこそ甲虫から始まり亀、やカエル、金魚等の小動物は勿論、犬や猫、罠を仕掛けて捕まえた小鳥、何故か近所の下水道に出没した小型のワニに至るまで、動物は結構可愛がって育てていた方だ。 状況が変わったのはやはりワニで、あれは自治体の許可がいる上に子供がこっそり隠れて飼うには厄介な生き物だった。 当時まだ速水邸の住込み家政婦だった母親の目を盗んで屋敷の倉庫で買っていたが、餌の確保に窮して泣く泣く事情を打ち明けた。 繊細な神経の持ち主だった母親は腰が抜ける程驚いたが――無駄だとわかっていながら、それでも一応義父に許可を求めてくれたのは、子供ながら酷く嬉しかった。 そして――極めて意外な事に、彼はその厄介な爬虫類を飼うことを許可したのだ。 「但し」 と、勿論、付け加えて。 「危険動物の登録申請代、檻等の設備や毎日の餌代は全て自分で稼げ。  それができなければ今すぐ保健所に持っていくんだな」 当時小学生の俺に、それは無理すぎる注文というものだ――が、ムキになった俺はその条件をのんだ。 そして三ヶ月間――詳細は省くが、その条件下でワニを飼うことに成功したのだ。 だが――途中から、俺のそうした行動の全てを細かく観察している義父の態度に気づき、急速に「何かを飼う」という事への興味が失せてしまった。 彼がそうした値踏みするような視線で俺の行動を観察するのはその時だけに限ったことではなかったのだ。 四カ月目、俺はさっさとワニを保健所へと引き渡し、以降生き物を捕まえたり拾って飼ったり、という行為はやめてしまった。 愛玩する、というごく自然な行為まであの男に審査されるのは堪らない気分だったから。 そうして俺は、徐々に子供らしい感情や感覚をすり減らしてゆき――今に至る、という訳だ。 その反動はなかなか酷いものがある。 長い間抑圧されていただけに、かもしれないが。 「マヤ――」 オートロックの扉を開き、中に入るなり、小さく囁く。 起きているなら、すぐにでも跳んでくるはずだ。 首につけた、小さな鈴を鳴らしながら。 時々は、待ちくたびれたのか玄関先で丸くなって寝ている事もある。 とはいえ、一応猫なのだから――気配に気づいてすぐ飛び起きそうなものなのに、深く眠り込んでいる時のマヤは全く、身動き一つしない。 鼻をくすぐっても、耳を引っ張ってもだ。 猫失格なんじゃないか――と笑いながら、そんな彼女を抱き上げて共にベッドで丸くなる。 俺にとっては何ものにも代えがたい、至福のひと時だった。 だがその夜は―― いつもとやや様子が異なった。 呼びかけても跳んでこないということは、奥で眠っているか何かの悪戯に夢中なのだろうと。 俺は苦笑しながら靴を脱ぎ、リビングを通り抜けながら上着を脱いだ。 「マヤ?」 ソファの上にブリーフケースを投げ出し、呼びかける。 リビングを見渡しても、ソファの下にもその姿が見当たらない。 カーテンの裏でレースを引っ掻きながら遊んでいるのかと思って広げてみるが、いない。 唯一の痕跡は、窓の傍に置いたミルクの皿が空になっている事ぐらいだった。 という事は――奥の部屋か? あそこに入られるのは流石にまずいのでドアは閉めて出たはずだが。 ネクタイを解きながら、フローリングの床を滑るようにして歩き――ドアを開けた。 ……閉めたと思ったのは思い違いだったのか、それは十センチばかり空いている。 壁のスイッチに触れると、殺風景な室内が白々と浮かび上がった。 仮住まいのマンションに、こうして入り浸ること1か月、相変わらず物は増えない。 いや――彼女の退屈を紛らわすための玩具なら、その辺りに幾つか転がっているが。 入ってすぐ目の前のスチール製の棚は空っぽで、下段に1冊だけ文庫本が倒れている。 その横のクローゼットの中には、着替えのシャツとスーツが数着入っているのみ。 左手に広がる窓の傍にセミダブルのベッドが据え置かれていて、その上の布団がこんもりと盛り上がっているのが目に入った。 おいおい――まさか、中に潜り込んだのか? 俺は微かに溜息をつく。 1か月前の雨の日、屋敷の前で脚を怪我して倒れていたマヤを拾った時は、勿論そのまま使用人の一人にでも預けて処理してもらうつもりだった。 だが一度自分で手当てしてしまうと――情が移ってしまうと、仕方がない。 ガリガリに痩せて傷ついたマヤは、手当してやってるにも関わらず、周囲のもの全て敵、とでもいわんばかりに俺の手を引っ掻き、鳴き喚き、部屋中を泥だらけにしてくれた。 年を取って猶更気難しくなった義父の住む家でこんな子猫を飼うのはかなり無理があったし、先のような理由もある。 悩んだ挙句、とりあえず会社の近くに構えたマンションで飼う事にした。 何の気紛れか自分でもわからなかったので、暫くの間飼って、やはり持て余すようだったら会社の誰かにでももらってもらうつもりだったのだ。 だが、彼女との共同生活は思いの外愉快なもので――気が付けば、彼女の為にだけ仕事をこなし、帰るような日々が続いているという次第だった。 だが、如何に可愛い恋人とはいえ、唯一困ったことがあった。 さほど幼いとも思えないのに――いくら躾けても、トイレの場所を覚えてくれないのだ。 生まれた直後に躾けないと駄目だ、とも聞くからもう駄目かもしれない――と思いつつ、部屋の中が猫の小水の臭いに塗れる事だけは我慢ならなかったので、「失敗」した時ばかりは厳しく叱りつけた。その甲斐あって、最近ではその失敗もかなり減ってきている。 但し――俺がいない時には、まだ時折やらかすのだ。 万が一布団の中でされたら―― 「マヤ――そこでされると非常に……」 と、盛り上がった上掛けに手をかけて引き剥がしたその時。 有り得ないものが視界に飛び込んできた。 確かに、マヤはそこにいた。 但し――艶やかな黒髪と、伏せられた濃い睫だけが彼女がかつて「黒猫」であった事を示すのみで。 一糸纏わぬ嫋やかな少女の姿で、マヤは小さく丸くなって眠り込んでいたのだ。 web拍手 by FC2

last updated/11/01/02

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