第5話




本作品には以下の傾向を含みます。

SF設定/密室/飼育/(捉えようによっては)獣姦

   

その当時、俺の精神状況は極めて安定していたらしく。 仕事の方も順調この上なかったし、夜更けまで仕事浸りの生活を改めたお蔭で体調も良好だった。 加えて、眼に入れても痛くない程可愛がっている猫がいる――という話題はあっという間に社内に広まってしまい。 特に女子社員を中心に「鬼社長」のレッテルが剥がれ出す、という有り難いような有り難くない様な効果まで生み出したのだった。 「ちょっとしたお祭りになってますわよ」 ある日、社長室で書類を整理していた水城がいつもの口調でさりげなく切り出した。 「何が」 「可愛い恋人の件。伊藤専務が社内SNSでコミュニティを立ち上げたの、ご存じですか」 「知らん。何だそれ」 「あら、真っ先に招待メール送ったって言ってましたわよ?  社員のペット自慢コミュですって。あってないような社内SNSだったのに近頃頻繁に更新されてるみたいですわ、誰かさんのお蔭で」 「社内SNSねえ……経営ツールとしてもう少しレベルが上がればな――  正式にファシリテーターに任命してやるかな、伊藤を」 「社員のコミュニケーション形成を目指すならトップが関わりませんと意味ありませんわよ。  お酒と煙草の話題よりは受けがいいと思いますけど、カワイイ子猫ちゃんの方が」 「俺が無趣味な人間みたいな言い方しないでくれ」 「何でも卒なくこなすのと、仕事以外に打ち込む何かがあるのは別ですわ。  ちなみに私も参加してみたんです、そのコミュ。ご一緒に如何ですか?」 「君が?何を飼ってるんだ」 「ヨウスコウワニ。原生で唯一温帯に生息するワニですわ」 「……別名チャイニーズアリゲーター、性格は穏やかで最も飼育に適したワニ、だろ?  奇遇だな、俺にも飼ってた経験がある」 成程――ペットの話題というものは人と場所を選ばないものらしいと、俺はその時改めて実感した。 水城とプライベートで話が盛り上がる事など、出会ってこの方ほとんどない経験だったのだ。 だが勿論――現在のマヤとの生活をそのまま暴露するわけにはいかない。 猫は猫でも元子猫の彼女は、日に日に言葉を覚え、人間らしい所作を学んでいっている。 それでも俺がいない事には碌に日常生活が送れないのは確かだし、外の世界に連れ出した所で彼女の未来が開けるのか――といえば、甚だ疑わしかった。 そんな思いも俺の勝手なエゴに過ぎないとわかっていながらも…… それでも、彼女と俺だけの世界を誰にも壊されたくない、という想いだけは変わる事がなかったのだ。 「ただいま」 その夜帰ると、いつものようにリビングから彼女が跳んできた。 近頃四つ足で歩くのが億劫になってきたらしく、フローリングの上を這うようにしてやってきたのがどこか痛々しい。 いつものように抱き上げると、まるで赤ん坊のように両脚を俺の腰に絡めてくる。 首筋にキスしながら、そのまま奥へと歩きつつ話しかけた。 「マヤ、そろそろ歩く練習でもしないか?そのままだときついだろ、腰が」 「みあ……あ、歩く?」 「そう。ほら――支えてやるから、立ってみろ」 そっと床の上に降ろして、脇の間に手を差し伸べて立たせてみる。 相変わらず、俺のシャツ以外身をしめつける衣服は嫌がるので、開いた襟ぐりから胸の真ん中あたりまでが上からだと丸見えになる。 何となくそこから視線をずらしながら、僅かに腕の力を抜いてみた。 たちまち、ガクンと膝をついて転びそうになるのを支える。 「少しずつでいいんだ――ずっとこの部屋の中ばかりじゃ飽きるだろ?  君が歩けるようになったら……一緒に散歩にも行けるし、遠出も可能だ。  子猫のままなら――全く問題ないんだがな、それも」 「みゅう……」 「そうしょげるな、怒ってる訳じゃないんだから」 言葉数は少ないが、マヤは俺の話す内容を大抵理解しているようだった。 「うん・いや・ありがとう・ごめんなさい」はスムーズに使いこなせるようになったが、それ以外の単語は舌を上手く動かせないらしく途切れがちで、何度も聞き返さないと会話をするのは困難だった。 その結果、身振り手振りや目を見てのコミュニケーションが中心になってくる。 それでなくとも彼女の感情は俺に筒抜けだったから、歩けないことが負い目となってしょげているのは傍目にも明らかだった。 「腹が減っただろ?今夜は仕込みが面倒臭いから――鍋焼きうどん。  ……なんて猫舌に大丈夫なのか知らんが、駄目だったらマヤだけキャットフードだ」 「……ヤ、だ」 「お、反抗的な台詞はすぐ覚えられるな――この手でいくか?」 笑いながら着替えていると、頬を膨らませながら脚に絡まってくる。 指を踏まないように気を付けながら着替えを済ませ、キッチンに向かう俺の後をすかさずついてくるのは勿論可愛らしいのだが―― 猫ってやつはもっとクールな生き物のはずだが、いくら子猫とはいえこの甘えっぷりはどうなのだろう。 やはり一日誰もいない部屋の中で放っておかれる、というのは、「女の子」ならばかなり寂しいに違いない――などと考えるとますます彼女が愛しくて仕方なくなり。 じゃれるがままに任せていたら、調子に乗ってどんどん背中からしがみ付き出した。 「マヤ――危ない、包丁持ってる時には……ああ、そこから動くなよ」 「にゃああ」 「ハイ、だろ。本当に猫缶にするぞ?」 「うにゃ……ハイ、ハイ」 「ハイは1回」 「はァ〜い」 マヤはしっかりと俺の背中をよじ登り(待てよ、という事はつかまり立ちは出来るんだな?さっきのアレは芝居か?)、先ほど玄関先で抱いたのと逆の姿勢で抱きついてきた。 その程よい重みに笑みを零しながら話しかける。 「今日は何をしてたんだ?テレビの使い方はもうマスターしたんだろ?」 「テ、テレ、ビ……み、た。いっぱい」 「何が面白かった?」 「ん――す、スイマ……どうも、すいま――」 「すみません?何だそれ」 「ちがう、す・い・ま・センて、言う――」 「……どうもすいません?」 「そう!そう、それ!スイマセン、でした!!」 「落語――林家三平?偉く渋いの観てるんだな、何の番組だ」 「ちがう!ども、すいませんでした――!って、セーラー服……」 マズい。猫の話題についていけない。 何を言ってるんだこの子は――と途方に暮れたところで、ふと記憶の狭間におぼろげに、おかっぱ頭の芸人の姿が浮かんだ。 ああ――はいはい、と言う訳で、その後暫く俺はマヤから近頃のお笑い番組や芸人の情報を得る事になる――これでも一応、芸能事務所社長なのだが。 「ほら、一切れだけ。口開けて」 「んあ」 首の後ろで開いた唇の中に、具材の蒲鉾を一切れ落とし込む。 元が猫なだけあって魚やすり身の類は大好物なのだ。 と、もぐもぐと口を動かしながら、唐突に両脚にぎゅうっと力をこめてもがき始めた。 「マヤ!じっとしてないなら降ろすぞ?危ないって――」 「ん〜〜っ!!ふぎゅ……みぁ――」 「何なんだ一体――おい……あ!」 「みゅ……ご、ゴメン、なさィ――」 全く――実年齢は一体幾つなんだこの子は! 我慢できないならできないと言えばいいのに、食べるのに夢中でそれも忘れてしまったらしい。 久々に「失敗」した彼女のお蔭で、着替えたばかりの俺の下半身までもびっしょりと濡れてしまっていた。 唯一幸いだったのは、人間の身体のお蔭で「猫ほど臭くはない」という事くらいか。 「……ご飯は後回し、先に風呂に入ること、で文句ないな?」 「ふにゃ――ハイ……」 軽く溜息をつくと、俺はマヤを背負ったままバスルームへと向かった。 web拍手 by FC2

last updated/11/01/04

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