第1話




本作品には以下の傾向を含みます。

昭和テイスト秘密倶楽部/フレンチポップス/シャンソン/ドラァグクイーン/薬物?/今度こそしっかりとしたフェラを

   

アニーはキャンデーを愛してる アニスのキャンデー アニーの アニスのキャンデーは 彼女のキスに アニスの味をつけたがる アニスについた 麦芽糖の香料が アニーの喉を通るとき 彼女はパラダイス *** 緊張ですっかり強張ってしまった彼女は、それでも懸命に応えようと努力していた。 そう、それは必死で切ない程の努力だった。 決して器用なたちではない彼女は、緊張も手伝ってさらにミスを重ねた。 声を殺してそれを受け流そうとした俺だったが、敏感な彼女はすぐに察してしまったらしい。 あ、と声を出し、今にも泣き出さんばかりの表情でそのまま硬直してしまった。 あまりにも──可哀想で、さしもの策略家・速水真澄も後悔の念に苛まされてしまい、ついいつものからかいを含んだ慰めの言葉をかけてしまったことに気づいた時は既に遅し。 恥ずかしさと──情けなさで、これ以上ない程真っ赤になったマヤは、お得意の「大っ嫌い!!」の台詞さえも忘れて飛び出していった──バーの片隅の、だだっぴろいトイレの個室から。 暫し呆然となりつつ──それでも昂ぶりの収まらない自分の分身を眺めて、心から溜息をつく。 お前は──盛りのついた餓鬼か。 思わず一人ごち、前を寛げたままの情けない姿勢で煙草に火を点け──そうになり、すぐさま我に返った。 今までのパターンから察するに、すぐにでも会場を飛び出している可能性が高い。 あんな状態で、冗談じゃない。 俺は慌てて身なりを整えると、個室を飛び出した。 長く続く廊下を曲がった先で、騒がしい乱痴気騒ぎはまだ続いているらしい。 全く、何だってこんなパーティーに来てしまったのか──いや、こんなパーティーだからこそ、気を揉んでやって来たというのに、他でもない俺が取り込まれてどうするんだ。 自己嫌悪に頭を振りながら、俺はともかく会場に辿り着いた。 *** そもそも、あの変わり者の社長に招かれたことから今回の事態は始まった。 近頃大きな契約を結んだ、某大手海外レーベルの日本支社社長、溝河弘毅。 まだ40代前半の、頭の切れる話術巧みな男で、アクの強さが妙に自分と馬が合い、ビジネス抜きで興味深い人物だった。 前々から面識はあったが、今回の契約を機に飲みにゆく機会なども増え、その中でマヤの話題が上がった。 溝河氏は『紅天女』こそ観逃してているものの、彼女の舞台の幾つかを観たことがあるらしく、なんとあの地下劇場の『石の微笑』まで観たという希少な業界関係者でもある。 「正直なところ、今回の大都との契約。君が彼女と既知だと聞いてね。決め手はそれなんだ」 「それはそれは──彼女のファンなんですか?」 「まあ、そうだ。興味深い子だよね、彼女。一度話してみたいと思ってたんだが、機会がなくて。これを機にちょっとしたパーティーにお誘いしたいんだが、いいかな」 「それは勿論──溝河社長たってのお申し出ともなれば、我が社の社員はお断りできませんよ。ただ──彼女は、何というか、舞台を降りるといろいろ問題も多くて」 「問題?」 「ある芝居の後で僕は彼女に噛みつかれたこともあります──ええ、言葉上のものではなく、手に歯型が付くまで噛まれましたとも。かと思えば壁の花もかくやの地味さも兼ね備えた、稀有な女優です。舞台の上の彼女を想像されているなら、がっかりなされるかもしれませんよ」 「ははは、それは面白いね。君、彼女のことが相当気に入ってるだろう?」 軽く笑い飛ばした後にさりげなく核心を突かれて、俺は思わず口に含んだバランタインを気管の中に流し込むところだった。 その動揺を知ってか知らずか、溝河は意味ありげな微笑みを浮かべ、言ったのだ。 「何、そんな堅苦しいパーティーじゃない。僕のごく近い知り合いだけを集めた気軽なものさ。フォーマルな恰好はしてこなくていいよ、普段着で来てくれたらいい──ああ、勿論君も来てくれよ、速水君」 そんなわけで、マヤを伴い、この会場にやってきたのがつい1時間半程前のこと。 入ってすぐに、そのパーティーが「普通と違う」ことはわかった。 都心の高級ホテルの一フロアを貸し切って特設会場とした一夜限りのバー。 一歩中に足を踏み入れれば、まるで深海のような暗闇と静けさに包まれて、ここが何処であるか我を忘れてしまいそうになる。だが、室内は確かに人のさざめきに満ちていて、眼が慣れてくれば絶妙に配置された間接照明の演出に誘われながら、まるで深海魚のように移動することができた。 低く流れるは、古い時代のフレンチポップスをリミックスしたBGM。 ウエイター達は客を邪魔することなく魔法のように現れては消え、酒や食べ物を運んでゆく。 それなりの階級に属する人々を中心に定期的に開かれているらしいこの会合には、こんな所にこんな人物が、と俺も内心驚くような人脈が集っていた。あの溝河が主催していることもあり、中々に際どい趣向を持った人々の秘密倶楽部としての機能も果たしているらしい。 時折耳に入ってくる会話の切れ端は、上品さで覆い隠した猥談としか言いようのないものばかりで、一度でも関係したからには秘密厳守が鉄則なのは明らかだった。 やがて奥のステージに一筋の照明が灯されると、裸体にボディペイントだけを纏った二組の男女が妖しげに身体を揺らし始めた。 自分だけならともかく、マヤをこういう世界に引き込むのは避けたかったのだが──今更仕方がない。 当のマヤといえば、俺の内心の冷や汗も知らず、今までと違うパーティー会場の雰囲気に驚きながらも好奇心を抑えられないでいる様子だった。 「すごい、速水さん、あれって全部直接皮膚に描いてるんですよね? 完成するまでどのくらい時間かかるのかな」 妙なところに感心している。 あんまり直視しない方が君のためだぞ──と言いかけたのを喉の奥に押し込めた。 彼女を必要以上に子供扱いしてしまう自分への戒めと、この程度に反応してしまっては逆に居心地が悪くなるだろう、という予測によるものだった。 その予想は当たって、パフォーマンスなんだか本番なんだか、ステージ上で音もなく合体しはじめる男女の光景を目の当たりにして仰天したマヤは、思わず俺の袖を引いて囁いた。 「──び、びっくりした。もしかして速水さん、こういうとこ常連さんですか?」 「まさか。あまりにもヤバくなったら抜けるが、まあ大丈夫だろう──ああ、溝河社長だ。 くれぐれも失礼のないように──いや、彼は君の変わったところがお気に召している様子だから、いつも通りで挨拶してくるといい」 「何ですか、それ」 暗がりでもわかる程頬を膨らませたマヤに、つい微笑みが浮かんでしまうのを抑えられない。 不安もあるが、この手のパーティーならではの高揚感といったものも確かにあるわけで。 今夜のマヤは、白に近いアイボリーの総レースが可愛い、アンティーク風のドレスを身に纏っていた。長く艶やかな黒髪からのぞいたゴールドのカチューシャがよく似合っている。 薄暗い中にも、スカートの裾のすぐ下に現れる可愛らしい膝の丸みや、ほっそりとした腕の白さが俺を落ち着かない気分にさせて仕方がない。 二人が所属事務所の社長と女優という関係以上にあることを公にできない現状としては、「普通の」パーティーでこういう風に身を寄せ合ったり、思う存分その姿を見つめたりすることは不可能だ。 だが、この会場ならばそうした他人の視線を過剰に気にする必要はないだろう。 片隅のソファで数人の男女に囲まれていた溝河がこちらに気づいた様だった。 *** 「こんばんは、速水君──ああ、お会いできるのを楽しみにしていましたよ、北島マヤさん」 人垣が俺たちのために道を開けた途端、どんな場面でも表情を変えずにいられる自分の特技に思わず感謝した。 変わり者だとは思っていたが、今夜の溝河は全くその趣味を隠すつもりがないらしく、明らかに似合わない女装で堂々と寛いでいたのだ。悪くない風采の男だが、上背があって体格もよい彼にはピッタリとしたラインのカクテルドレスは流石に不自然だ。それ以外に特に化粧など施していないあたりが、本気なんだか冗談なんだか読めないところだが。 マヤは特に驚いた様子も見せず深々とお辞儀をして名乗った。 その姿を、彼が一瞥の内に隅々まで観察しているのは明らかだ。 「君の舞台はこれでも結構観させてもらっててね。『紅天女』の本公演は海外出張で逃してしまって。実に残念だったよ──勿論、近いうちに大都で再演してくれるんだろうね?」 「さあ、こちらの天女様のご機嫌ばかりはこの僕にも読めないので、確実にお約束はいたしかねますが」 半分本当で半分冗談だが、来年度の公演準備が着々と進んでいることは業界では周知の事実だ。 マヤはやや緊張した面持ちで、すすめられるがまま彼の向かいの席に腰を下ろした。 そのすぐ隣に座って彼女の為に甘い酒を注文していると、溝河の指示で側に控えていたホステス風の女がウイスキーのロックを作り始める。 軽く会釈してそれを受けとり、三人でグラスを合わせた。 「──『紅天女』も観ていないのに何だがね、 私が今までの君の舞台で最も気に入ってるのは『石の微笑』なんだ。あれは最高だった。」 「えっ、あのお芝居観て下さったんですか!?」 「あの時君らに完敗した劇場があったろう。溝河社長は当時、あそこの役員の一人だったんだ」 「ええっ──そ、それは」 「はははは、勿論、最初は敵情視察って奴で出向いたんだが。途中からはただのファンさ。 何といってもあの月影千草の率いるつきかげと、一角獣のコラボだ。面白くない訳がない。 特に人形役の君にはつくづく驚かされた。初日を除いては毎日通いつめたよ」 「それは──本当にありがとうございます。あの、ということは、私が大失敗したあの回もご覧になられて……?」 「ああ、観た。役者の仮面があそこまで赤裸々に剥がれ落ちる瞬間ってのは、初めてみたね」 遠慮のない溝河の言葉に、マヤは赤面したり青くなったりしていたが、当時の傷を思い出したのだろう──弱々しく笑みを浮かべて頭を下げた。 同時に俺の胸も重苦しく唸った──あの時、長く離ればなれの母親を想い、不安定だったマヤ。 俺自身は観てはいない、観てはいないが、その場面は鮮やかに脳裏に浮かぶのだ。 脆く崩れ落ちた仮面の下で泣いている素顔のマヤの姿が、痛々しい程、鮮やかに。 そしてその母親を殺したのは、他でもないこの俺だという事実。 マヤを得てこの世の幸せを全て手に入れたような気になっている俺を一瞬で暗闇に叩き落とすことのできる、決して切れることのないその罪を思う時、俺の仮面も脆く崩れ落ちそうになる。 ──まさか溝河がそこまでの事情を知っているとは思えないが。 「今も君の出演するドラマや芝居は可能な限り観ているが──何故だろうね、あの人形役の君が忘れられないんだ。ただ心を閉ざすのとは違う、芝居の一部としての心の無い演技。あんな不思議なものを観たのは初めてだったよ──君が泣いた時、はじめて君という生身の人間が存在することに気がついた。それで興味を持った次第だ。」 溝河は眼を細めて当時の舞台を思い出している様子だった。 北島マヤという役者に興味を持つものは、ほぼ例外なく舞台上の彼女と舞台を降りた彼女のギャップに驚く。そして生身の彼女の正体を探るべく、じろじろと無遠慮な視線を投げつけるものだが── 俺にはどうも、溝河の”興味”がある捻れを孕んでいるような気がして仕方がない。 そしてそんな俺の予感は大体当たるのだ──と、思い知らされるのはそれからすぐのことだった。 web拍手 by FC2

last updated/10/11/26

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