元ネタ曲解説などはコチラ。
last updated/10/11/28
その夜、あたしは確かに変だった。 それは多分速水さんも同じで、気がついた時には二人共いつもの二人じゃなかった。 あたしは、多分生まれて始めて男の人を――速水さんを、誘惑、というか、困惑させた。 それも可愛らしくそうしたんじゃなくって、普段のあたしなら絶対にできないようなやり方で、した。 気を引くためにするにはあまりにも度が過ぎたそれは、案の定、彼を怒らせた。 でも、あたしがそうしたのにだって一応の理由があったのだ。 いつも大人で、自信たっぷりで、ゆるぎなくそこにあるのが速水真澄という人だ。 奇跡のようにその人と想いが通じた後にも、あたしは時々全ては夢なんじゃないかと思う瞬間があって、それは速水さんが言うには「いい加減に消滅させるべきささやかな劣等感」とやらのせいなんだそうだ。 「あたしなんか、とか、どうせ、とか言う言葉は禁句だからな」 ある時、速水さんは半分本気で怒りながらそう言った。 「君は『紅天女』を演じることのできる唯一の女優で。どのテレビ局も劇場も君を欲しがってる、今や大都を代表する人気女優だ。君自身がどう思っていようとも、だ」 「君に憧れる者、親しみを持って好む者、欲望を抱く者──君のファンは様々な想いを持って君を見ている。その全てに応えろとは言わない。だが、謙遜も過ぎると失望につながる。君はもっと自信を持つべきだ」 そんなこと言われても。 あたしにだって女優としてのプライドはあるし、堂々としていたいと思う。 同じようなことはかつて亜弓さんにも言われた──卑屈なもの言いが大っ嫌いだと、彼女はストレートにそう言った。 それでも、昔から植え付けられた「地味」だとか「平凡」だとか「不器用」とかいった言葉によるトラウマの力は強くて、華やかな場面──パーティーなんかできらびやかな人々に囲まれたりすると、急に足元が竦んだようになってしまうのだ。 特に、必要以上に目立つ速水さんの隣に立って、羨望の眼差しを浴びてしまうような時は。 思い切って「大女優」の仮面を被ることもできたけれど、いつもそうしていると本当の北島マヤがわからなくなってしまいそうで、不安なのもあった。 そんな時いつだって支えてくれるのは、やっぱり速水さんで。 彼はあたしに対して、人前ではもはや昔のように子供扱いした態度をとらず、常に女優として女性として最上級のエスコートをしてくれる。 そのゆるぎない姿に、あたしは心から安心して──前に進むことができるのだ。 だけど、得体の知れない不安はいつだって何の前触れもなくあたしを取り囲んでしまう。 彼の愛情を一かけらだって疑っているわけじゃないのに。 愛されているならば、それに絶対の自信を持つべきだと思っているのに。 例えば今夜のパーティーも。 集まってる人はあたしにも見覚えがあるような有名な人、エライ人ばかりだったけど、いつもと違うのはその人たちの振る舞いがとても生々しい──というか、いつも取り繕っている人々が仮面を外して奔放に振る舞っている、といったような感じで。 薄暗い会場のあちらこちらで男の人と女の人が、もしくは男の人と男の人が、女の人と女の人が、親密に身体を寄せ合っていて。 さすがに直視はできなかったけど、どうもそれ以上に密着しているとしか思えない人たちもいて。 速水さんに紹介されたどこかの偉い社長さんも、会話や振る舞いは物慣れた立派な男性なのに、恰好は何故かドレス姿で。 あたしは内心動揺していたけれど、何事もないように振る舞う速水さんの態度を見て、こんなことで驚いてしまっては彼を失望させてしまうかもしれない──と、平気の振りをしていた。 そしてあの不思議な人。 結城カノン、という名の、ドラァグクイーン。 あたしは知らなかったけど、 ドラァグクインーンというのは、夜の世界で男の人を誘う、女性の姿をした男性なんだそうだ。 あたしよりも背が高くて、近づけば確かに男性の体格のその人は、だけどとても美しくて。 一度その唇が歌を口ずさむと、知らない外国の歌にも関わらず、あたしの心は鷲掴みにされた。 彼女が歌うシャンソンは、まるで一編の映画だった。 言葉がわからなくても、彼女の仕草や表情から、その想いが強く観客に伝わってくる。 才能あるシャンソン歌手は、才能ある役者といって差し支えない──そんな言葉を思い出した。 やがて彼女はあたしたちの席にやってきて、あたしと速水さんの間に座った。 そしてあたしに囁いたのだ── 「人形の演技をして欲しいの。男たちに勝手な欲望を持たれる、心の無い人形の演技。できるでしょう、貴女なら」 何故あの言葉に瞬間的に反応できたんだろう── ともかく、あたしの演技と彼女の歌は大きな拍手で称えられたのだった。 そして彼女はまた歌った──今度は速水さんが相手役だった。 これまた歌詞はわからないけれど、明らかにそれは愛に狂った女の人の嘆きの歌で。 本当に嫌になるくらい、二人の姿は様になっていた。 綺麗なカノンさんが切なげにもたれかかると、速水さんは曖昧に微笑んだ。 完璧に整ったその美貌は、カノンさんとの対比で妖しい艶っぽさを醸し出していた。 ──そこまでは、あたしの心もそんなに騒ぎはしなかったのだ。 ただ、ああ、綺麗な人は綺麗な人とお似合いだなあ、なんて呑気に溜息なんかついて。 でもその後から、あたしは少しずつ変になった。 カノンさんが速水さんの耳元で何か囁いた。 それはとても秘密めいた、親しげな雰囲気で。 カノンさんの差し伸べた手を、速水さんは優雅に取って歩き出した──あたしを置いて。 二人がステージに向かい何事か打ち合わせているのを、あたしはぼんやりと見守っていた。 やがて音楽が流れ出した。マイクスタンドが下げられ、スポットライトの真ん中で二人は椅子に座っていた。 あたしは速水さんが歌う、なんてことは今まで想像したこともなかった。 けど、間違いなく速水さんは歌った──それも、鳥肌がたつほど、低く色っぽい声で。 まるで二人でベッドにいる時のような、囁くようなあの声で、歌ったのだ。 *** 「ボニーとクライドかぁ。やるね、速水君も」 ぼんやりとした頭の中に、女装した社長の声がぼんやりと響く。 あたしはいつの間にやら、溝河社長と彼を取り巻く人々の中にいて、手のひらには信じられないくらい強いお酒のグラスを抱えて、馬鹿みたいに揺れていた。 「社長なんかにしておくのが本当に勿体ないわ。あんな声を耳元で聞いたら女は堪らないわね」 「カノン様も見てよ、あのうっとりした顔。悔しいけど、様になりすぎるわ」 「あら、衝撃の婚約破棄の裏に謎のドラァグクイーンの影って?もの凄いスキャンダルになるわね、シャレにならないくらい」 「おい、このパーティーで見たもの、あった事は全てオフレコ──口外したら身の破滅だぞ」 そんな会話が、轟轟と唸りをあげる頭の中で通りすぎてゆく。 あたしは──そう、勿論二人に嫉妬していた、だからこんな風に慣れないお酒なんか飲んでいる。 でもそれよりももっとショックだったのは── あたししか知らないはずの速水さんが、声だけとはいえ、人目に触れてしまったことだった。 相変わらず歌詞の中身はわからないけれど、その歌は「ボニー」と「クライド」という男女の関係を歌ったものに違いなくて、その退廃的な雰囲気、二人の掛け合いは、危険な恋の香りに満ちていた。 歌っているのはほとんどカノンさんで、速水さんは時折台詞を呟くように吐き出すだけ。 それがリアルな速水さん、いや、クライドの台詞のようで、聞く人の心をゾクゾクと震わせる。 彼は元々人を惹きつける様々な才能を持っているけれど、その一つがあの魅力的な声だ。 その気になれば、ビジネスの相手だけではなく、どんな人でも虜にすることのできる声。 独り占めしたいだなんて思ってたわけじゃない── けど。 けど、やっぱり苦しい。 あんな風に囁くのは、あたしにだけじゃなかったんだって、そう思い知らされてしまう。 「──君は、速水君のシャンソン人形かい?」 「はい……?」 「彼が君に出会ったのは君がほんの少女の頃だそうだね。女優としてここまで開花することを見越して眼をつけたのだとしたら、驚くべき慧眼だが──」 溝河社長は不思議な笑みを浮かべながら、舞台の上の速水さんとあたしを見比べている。 あたしのグラスが半分ほどになっているのを見て、黙ってその琥珀色の液体を継ぎ足して。 味なんてわかるわけない、こんな強いお酒、好きで飲んでいる訳ではないのに。 「僕は君たちの関係を非常に興味深く見ている──察するに、君はただの音の出る人形ではない。が、確かに彼によって踊らされ、磨かれた一種の作品といってもいいだろう。 彼は君をどのように完成させたいのだろうね──女優として、女として」 わからない。 この人が何を言っているのか、何を目的としているのかあたしにはわからない。 不思議な空間、不思議な人たち、そして少し遠くに行ってしまった速水さん── どうして彼は此処にあたしを連れてきたんだろう。 溝河社長がそっとあたしの手の中からグラスを取り上げる。 するりとその腕があたしの肩に回された。 お芝居以外で男の人にそんな風にされるのは速水さんの他いないのに、あたしはそれを特に何の感慨もなく受け入れた。 女装の社長さんの戯れなんて、どうせ本気じゃないって思ってたところもあるし、段々と速水さんに対する苛立ちみたいなものがわいてきたせいかもしれない。 こんな小さな嫉妬、速水さんはきっと何とも思わない。 だったら、自棄になれるだけなってやろうと、酔った頭で浅はかに考えを巡らせた。 「あたしは──速水さんの人形なんかじゃ、ないですよ。それにしては、結構手荒に扱われてきましたし」 肩を抱かれたまま、あたしは取り上げられたグラスに手を伸ばす。 溝河社長も自分のグラスに手を伸ばした。 「君自身もそう簡単に思い通りにはならなかったらしいしね。彼に噛みついたってのは本当かい?」 「本当ですよ──あの時は大っ嫌いだったんで」 「今は?」 「……」 何だかおかしい。 確かに酔ってることは自覚してる、けど、さっきよりも瞼の裏がチカチカして、極彩色の光の粒がぐるぐる脳の中を駆け巡るような高揚感──それに何だか、全身が熱い。 「さっき君とカノンが歌った歌。あれは昔、フランスのアイドル歌手が歌ったものだ。 有名な歌で、日本でも何度かカバーされてる──そのプロデューサーは悪戯心の大きい男でね。あの歌もそうだが、際どい隠喩に満ちた歌詞を作っては、”何も知らない”アイドルに歌わせたのさ──ほとんど悪意に近いようなやり方でね」 溝河社長の声が大きくなったり小さくなったりしながら頭の中に響き渡る── その手があたしの手を取り、何かを掴ませているのも、あたしはぼんやりとしか意識できない。 速水さんとカノンさんの甘い歌声が、夢のように頭の中を駆け巡る。 さて クライドにはかわいい女がいた 彼女は美しく、名は ボニー 彼らは二人で ギャング団のバロウを作る 彼らの名は ボニー・パーカーとクライド・バロウ ボニーとクライド ボニーとクライド
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