第7話



「うわあ、凄いっ!やっぱカノンさんって才能あったんだ!」

さりげなく手渡した資料と、それが示す意味を理解したマヤが素っ頓狂な声をあげて喜ぶのを、俺は嬉しさ半分、奇妙な嫉妬半分で見つめてしまう。

「あのな、ビルボードってのは複雑で──全米一位とはよく言うが、アメリカにはそれこそ星の数ほど専門ラジオ局があるんだ。今回獲った一位はニューヨークの黒人専門チャンネルの一つ。そこで日本人がランキング入りできるのは確かに凄いことだが──聞いちゃあいないな」

手渡した記事の、粒の荒い写真に写ったカノンの姿──とはいえ、謎のシンガーということで売り出しているので、アルバムジャケットも微笑むあの唇から下だけを切り取ったものだが──を見つめながら、マヤはうっとりと微笑みを浮かべている。

「でも、これって凄いことですよね。歌だけで認めてもらったってことですよね?」

「確かに。MTVにもネット動画にも一切露出しないで、純粋にラジオオンエアだけで七週連続一位は快挙だろうな」

あれから暫くして、溝河を通してカノンのメジャーデビューが打診されてきた。
いろいろ検討した結果、日本でのデビューはカノンの特異なキャラクターだけを強調するものとなる、歌い手としての才能は二の次になり兼ねないと判断した俺は、さらに誰も知る者のいない海外で「KANON」を売り出すことにしたのだ。
そしてそれは当たった。
ジャズ専門チャンネルで固定層のファンを獲得できれば、徐々にR&B、そしてポップス部門へと影響が広がってゆく。今の音楽業界はボーダレスなのだ。
とはいえ、この渋く甘い声で歌う女が、東洋人の、しかも「男」だとはまず誰も想像しないだろう。その意外性が、スターダムにのし上がれば更に効果を上げるはずだ。

「ニューヨークかあ……流石に、ちょっと聞きにってわけにはいかないですね」

「そうでもないぞ」

「え?」

俺は窮屈なネクタイを解くと、ドサリとマヤの座るソファの横に腰を沈めた。
マヤはこの春から始まった舞台がロングランとなり、つい先日ようやく千秋楽を迎えたところだった。
その間にもドラマや映画の撮影スケジュールがみっちりと組み込まれ、俺は俺で婚約破棄の影響を最小限に食い止める為まさに寝る間もない程働きに働いて──あっという間に過ぎ去った一年、相変わらず俺たちは「付き合っている」というには曖昧な関係を続けている。
こうしてマヤの住むマンションにやって来るのも、よく考えればたったの二度目だった。

どんなに求めても届くことのない、気の遠くなるような日々を乗り越えてもこの有様だ。
マヤがいつ愛想をつかして他の男に心を奪われてもおかしくはない、と焦る心も、一度彼女の舞台を目にしてしまうと──紫の薔薇に目を輝かせる姿を目の当たりにすると、たちまちどうでもよくなってしまう。

ただただ、愛しくて。

その手に触れたくて、触れて欲しくて。

「……俺も君も働きすぎだ。1週間、スケジュールを空けておいた。
 ニューヨークだろうが南極だろうが、好きな所に行っていいぞ」

「え──え、1週間も!?速水さんは?」

「勿論、一緒だ。不満か?」

マヤは大きく目を見開き、それから猛烈な勢いで頭を振った。
シャワーから出たばかりの、しっとりした髪の毛から小さな雫が飛んで俺の手を濡らす。
苦笑しつつ、その肩にかけられたままのバスタオルを手に取ってゴシゴシと頭をもみくちゃにした。
マヤは成すがまま、ふらふらと上半身を揺らしている。
洗い晒しのパジャマの襟の下から覗く白い肌が眩しい。
小さな鎖骨の二つの凹みに、舌を這わせたくなる衝動──のままに、身を屈める。
マヤははっと大きく息を漏らし、それからゆっくりと俺の髪の毛の中に指を埋める。
風呂上りの暖かな肌が更に熱を持ち始めるのが、薄いパジャマ越しに伝わってくる。

パサリ、とバスタオルがフローリングの床に落ちる音。
するりと、パジャマの裾から両手を差し入れる。
柔らかな肌がぞわぞわと粟立つのを、そっと撫で擦りながら馴染ませる。

細い腰回りの感覚を掌に刻み込む──彼女のドレスなら、採寸の必要なくすぐさま見繕えるに違いない──平らかな腹の上を滑って、見た目よりも豊かな質感のある胸を揉む──やわやわと、愛撫というよりは感触を確かめるような緩やかさで──わざとそうしているんじゃない、段々腕の感覚が遠くなってきて……

「何か速水さん、ちょっと変」

「え……?」

「何ていうか、遊んでるみたい。コドモみたいっていうか──もう、何笑ってるんですか」

「いや、その通り。この上なく落ち着く──このまま眠ってしまいたい」

マヤの胸の上に頭をもたげたまま、押し寄せる睡魔と戦いながら俺は呟く。
愛しい女、欲望のまま、恋い焦がれるがまま犯し尽くしたい女は、全く同時に俺を包み込む母性を兼ね備えている。遥か昔に失った母とマヤを重ねている訳ではないが──精霊の女神を演じる彼女を何度となく観ているうちに、その腕に赤子のように抱かれる心地よさを夢想しているのかもしれない。

──が。

「……」

「──マヤ」

眠気は忽ち飛び散り、彼女によって呼び覚まされた熱が下半身からじわじわ這い上がってくる。
なんて心地良い、この感覚……
疲れ果てた身体なだけに、神経はより敏感になっているかもしれない。

「ご、ごめんなさい」

「いや……嬉しい。久しぶりなのに、不甲斐なくてすまないな」

「や──その、ほんとごめんなさい、速水さん疲れてるのに」

「ああ、疲れてる。だから起こしてくれないか」

もう、と軽く膨れてみせても駄目だ。

俺はこういう時ばかりは彼女を子ども扱いしないのだから。

マヤの脚が、俺の脚にゆっくりと絡められてくる。
胸の上に添えられた俺の掌の上をそっと撫でて、密着した服の隙間を辿って下へと。
熱く柔らかな五指は、ゆるゆると確実に俺の熱を引き出してゆく。
強く掻き抱きたい衝動を抑え、俺はマヤの奥に潜むもう一人のマヤを誘う。
いつの間にか体勢は逆転し、湿って束になった髪が垂れ下がり。
艶やかに光る漆黒の瞳が俺の顔を覗き込んで要求する。

「眠っちゃ──駄目」

「眠らせるな」

彼女は知っている。
どうすれば俺が興奮するのか、どうすれば自分がそこから快感を引き出せるのか。
知っていて、無邪気に口付ける。
舐める。
掴む。
最後の一滴まで吸い上げる。
彼女は俺の与える菓子が大好きで──今のところたまにしか与えられないそれを、心から愛おしむように食べる彼女が、俺もたまらなく好きなのだ──

あまりの快感に、溜息を押し殺すことも忘れて背筋を仰け反らせる。
俺のこんな姿を抵抗なく受け入れるようになったマヤもまた、切なそうに眉根を寄せて尚も口付けをやめない。
そっと俺に向かって伸ばされた手を握り締め、マヤの名を呼び続ける。
決して他の人間には聞こえない、マヤしか聞くことのできない声で。

狭い彼女の口内が切ない圧力を加え、歯列に被せられた唇がざらついた舌と絡まり合いながら脈打つ昂ぶりを刷り上げる──こんなことまで覚えてしまったか。
狂喜と、背筋を這い上がってゆく痺れとに、ふやけた笑みが零れる。
疲れた神経にはやや強すぎる興奮だったのか、早くも陶酔の彼方の光が見えるような。

と――マヤがふと顔を上げる。
いいよ、と母性の塊みたいな笑みを浮かべる。

ああ、でも、男と女の身体は違うから、マヤ。
いつもの俺が君にしてやるようなその行為も、俺はギリギリの所で断ってしまう。
どうして、と困ったように首を傾げる。
そんな顔をされたらこっちこそ困ってしまう──ここは人目を気にするトイレの個室でもなければ、君は俺の蝋人形でもないのに──でも、そんな顔をされてしまっては。


俺はマヤの髪の毛をくしゃりと掻き回した。
それを合図に、マヤは喉の最奥に俺を受け入れた。
きっと苦しいに違いないのに、きゅっと俺の腰骨に手を添えたまま、呻き声一つ上げない。
遂に官能の粒が弾け散り、雄の匂いが僅かに漂う空間の中で、マヤの喉がこくりと鳴る。
そんな事までしなくてもいいのに──と、泣きたくなるような快さと倦怠感に包まれながら俺は深く深く沈み込む。

──が、まだ眠れない。眠れるはずがない。

どこまでも熱く貪欲な情熱がそこにある限り、眠りにつくことなど許されるはずがない。

くったりと俺の腹の上に身体を預けたマヤの腰に手を伸ばし、顔の側まで引き上げた。
紅く濡れた唇を指で拭い。
鼻先にちょん、と口付ける。

「食いしん坊のチビちゃんだ」

「……だ、誰のせいだと」

「俺のせいか、君の食い意地が張ってるのか」

「断然、速水さんのせいですよ」

「それはよかった」

そして再び始まる、いつ果てるともない甘く続く時間。
飛び散った情念をかき集めて、息を吹きかけて、再び熱い炎へと育ててゆく俺とマヤの時間が始まる。


オリジナル曲のみで構成されたカノンのデビューアルバムには、日本向けにボーナストラックが二曲付いている。
アルバムのコンセプトに合わないという理由で付けられなかったその古いフレンチポップスのカバー曲がなぜ日本盤だけに付けられたのか、その理由を知る者は多分俺たちだけだろう。


END.


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<夢見るシャンソン人形>

私は蝋人形。
音の出る人形。
自分の歌の中で 心は踊っていない
私は蝋人形、音の出る人形。

私の方がいい?悪い?
サロンにいる人形よりも。
人生はバラ色のボンボンだと思ってる、
私は蝋人形、音の出る人形。

私のレコードは鏡。
みんな私の姿を見ることができるわ。
一度にいろいろなところに行けるわ。
割れて 声が粉々になるわ。

私のまわりで笑い声がする。
ぬいぐるみ人形たちの声。
私の声で踊っているのね。
私は蝋人形、音ので出る人形。

あのコたちは誘惑に身を任せてしまう。
「ウイ」とか「ノン」のために。
恋は歌の中にだけあるのではないのに。
私は蝋人形、音の出る人形。

私のレコードは鏡。
みんな私の姿を見ることができるわ。
一度にいろいろなところに行けるわ。
割れて 声が粉々になるわ。

ときにはひとり、ため息をついて
こんなことを言うの。
「それでどうなるの。
こんな風に訳もなく恋の歌を歌って。
男の子を知りもしないで歌を歌って」

私はただの蝋人形。
ただの音の出る人形。
私のブロンドの髪のような色の太陽のもとにいる、
私は蝋人形、音の出る人形

でもいつの日か 私が歌ってる歌みたいに生きる
私は蝋人形、音のでる人形。
怖がらずに 男の子の情熱を受けとめる
私は蝋人形、音の出る人形。

(歌詞出展はコチラ 

<アニーとボンボン>

アニーはキャンディーを愛してる
アニスのキャンディー
アニーの
アニスのキャンディーは
彼女のキスに
アニスの味をつける
アニスについた
麦芽糖の香料が
アニーの喉を通るとき
彼女はパラダイス

何ペニースかで
アニーは
アニスのキャンディーを
手に入れる
キャンディーの色は
彼女の大きな目の色、幸せの色

アニーはキャンディーを愛してる
アニスのキャンディー
アニーの
アニスのキャンディーは
彼女のキスに
アニスの味をつけたがる
舌の上に
棒だけしかなくなると
彼女は駆け出して
ドラッグストアまで舞い戻る

アニーは
アニスのキャンディーを
手に入れる
キャンディーの色は
彼女の大きな目の色、幸せの色

アニスについた
麦芽糖の香料が
アニーの喉を通るとき
彼女はパラダイス

(『Gainsbourg...Forever』対訳歌詞)

 

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蛇足的後書きはコチラ。

last updated/10/12/02

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