第2話


それから3日の間に、私と彼女は公園で肩を寄せ合って話し合う、つまり友達になった。 想像よりちょっとだけ年上だったのは意外だったけれど、そんな数年の歳の差なんて全然気にならないくらい―― いや、振る舞いや話す内容だけ見れば彼女は……何というか、幼いんじゃないかと私が思ってしまう位だったから。 そんな子が(子、っていうにはだから年上なんだけど)、「殺したいほど好きな人」がいる、っていうのが何とも不思議な気がして。 勿論、何度か水を向けてはみたけれど、彼女はその点に関しては堅く口を閉ざしたまま、曖昧に笑うだけなのだ。 でもその他の事なら、何でも驚くほど素直に話してくれた。 彼女の好奇心や興味は数分ごとにくるくるとよく変わって、話題が尽きない。 話し始めるのは彼女でも、いつか中心となって喋りまくっているのは私、というパターンに陥ってしまうのも不思議だった。 「ねえねえ、なんであたしの事女優だってわかったの?  自慢じゃないけど、一度だって初対面の人に女優だって言われた事ないのに」 「初対面、じゃないですよ。ずっと見てたし……後ろから脚本覗き見した事もあったし。  何年くらい、お芝居やってるんですか?」 ええと、と指折り数える姿をみてびっくりした。 歳から推察するに、演劇部か何かでかじってそのまま……というコースかと勝手に思い込んでいたからだ。 13歳の頃から、といったら結構なキャリアになる。 でも、悪いけど、その名前も昔所属していたという劇団も私には馴染みないものだった。 普段の生活で演劇に関わる事なんてほとんどないから、まあ普通そうだと思うよ、とは、恐縮しきった私に彼女が笑って言ってくれた言葉だ。 「でもね、私なんかが言うのもおこがましいけど……  お芝居って、本当に世界が変わるの。その時だけは、イヤな事も、辛い事もなくなって――  何にだってなれるし、どんな事だって可能になる。  観てくれてる人もそうだといいなって、あたし本当に、心から願ってるの。  だからいつか……うん、このお芝居はちょっと暗いけど、でも、観に来てくれたら嬉しいな」 そう言って、脚本を抱えて微笑む姿は、夢に溢れてるって感じで、見ているこっちがドキドキする程可愛い、と思う。 ホントに不思議な子――見た目は地味で、決して目立つ感じゃないのに。 一緒にいると、時に「夢や希望」をせせら笑いそうになる自分がとても小っぽけで、可哀相な人間みたいに感じる事だってあるのだ。 (北島マヤ、か――やっぱ聞かないよね。今はどこの劇団にも所属してないっていってたし……) と、ある夜、ダメ元で検索をかけてみて―― 世の中、全く自分と関係のない所でいろいろあるんだな、と私は心底驚いた。 (嘘でしょ……何この経歴!凄っ……  ってか姫川亜弓と張り合って勝った――!?何、『紅天女』って!) と――そのまんまの台詞を口にして叫んだら、台所からハッ、と馬鹿にしたような鼻息が聞こえた。 ここ何年も家でゴロゴロとしているだけの兄貴である。 「おま……いくら何でもちょっとアレだな。あんだけ騒いでただろ、ワイドショーとかでも。  つか何年前だっけ、大河ドラマにも出てたよ、お前が小学生の時」 台所で何やらガタガタやってると思ったら、半分に切ったアボカドの種を繰りぬいて中に醤油を落としてスプーンで掬って食べている。 ――仲良くもう半分は、私がもらおうか。 「大河とか見ないし。芸能ニュースも興味ないし〜  へええ、知らなかった……じゃあ有名なの?北島マヤって」 「有名――まあ一時アイドルっぽい事もしてたけど、主に舞台関係じゃない?  その『紅天女』も何か上演関係で大手事務所とモメてるらしいし、本公演はまだの筈……ホラやっぱり」 リビングの片隅に置かれた父用のパソコンは、父以外の家族の検索用にこき使われている。 私の背後からやってきた兄貴は、カタカタと一瞬で求める情報を見つけ出し、開いて見せた。 半年前の芸能ニュースの記事――小さな写真の片隅に、紛れもないあの子、北島マヤと…… 「誰、この俳優」 「人に聞く前によく記事読めバカ。  だから、この社長とモメてんだよ、この人――ええっと、大都芸能の速水真澄と」 「社長――?げええ、マジ?」 小さくてハッキリしないけど、よくよく見なくても明らかに一般人には見えない男性。 どこかのパーティー会場で正装のその人と向かい合う北島マヤ……二人とも何やら険悪な表情だ。 彼女が小さすぎるというよりも彼の方がでかすぎるんだろう。 明らかに周りの取り巻き達より頭一つ背の高いその人は、それだけみたらモデルか俳優と勘違いされても仕方のない、目立つ風貌だった。 「うわ〜何この顔だけボンボンと思ったら、社長!!さすが芸能界だね。  で、この社長と北島マヤがなんでモメる必要があるの?」 「お前さ……少しくらいは、ホントに、世間一般の情報仕入れた方がいいぞマジで。  有名ってゆったらこっちの社長の方が有名だろ、去年鷹宮グループの何とかいう人と結婚してガンガン騒がれてたのに……もう知らん、あとは自分で調べろ」 「ええ、お願い、よっ検索名人!頼んだよ!!受験生は忙しいからっ」 その後何度かおだてたり宥めすかしたり……結局の所、このアホ兄貴は妹にはかなり弱いのだ。 お蔭で小一時間の間に、私は新しくできた友達の経歴及び現在の簡単な状況について大体のところを把握することに成功したのだった。

その翌日は文化祭でどうしても抜け出せなくて―― 翌日も同じく、三日目にようやく辿りついた公園はやけに人出が多くて、私のいつもの席もどこかのカップルに占領されていた。 少し離れた場所でずっと待ってみたけれど――でも、彼女は現れない。 2時間程時間を潰して、諦めて帰ってみた。 会ったところで――幾つかの気になる事について、どんな風に質問してみるのか、自分でもよくわからなかったけど。 それに……聞いたところで、こんなほとんど初対面の女の子にペラペラ喋る訳もないだろう。 知りたい、というこの気持ちは、単に身近な知り合いがたまたまゲイノウジンって奴だったからっていう、野次馬根性と然程変わらないのだ、きっと。 私が彼女を気にした一番の理由は――それが最初のきっかけでもあるけれど―― やはり、芝居の世界に夢中になるあの姿。 そして観る人をぐっと引きつけるようなあの瞳なのだから。 だからやっぱり――もし、次会うような事があっても、彼女の方から話してくれるまでは、余計な事は黙っていようと。 そう決めて、四日目のいつもの時間。 たまたま(いや嘘、結構探した)見つけたレンタルビデオ店に置いてあった、 何年も前の演劇コンクールの上位入賞五作品が収められたレアもいいとこのDVDを片手に、しつこく例の公園の南西入口を潜った、その時だった。 (あれ――マヤ、さん?) 呼び捨てでいいよ、とある時言ってくれたけど、一応年上なんだしという訳で私は彼女の名前を呼ばなければいけない時はさん付けにしている。 彼女らしき人物は――向かって左手の出口付近に立っていて、木々に囲まれてよく見えなかったけれど、 公園脇の舗装路に立つ人物と何やら話して――いや、口論しているように見えた。 声はよく聞こえない――その日もやけに人通りが多くて―― あたしは恐る恐る歩みを進め、いつものベンチの脇……を通り過ぎ、何気なさを装いつつ、じわじわと彼女との距離を縮めていった。 その時だった。 「だから、もういいんですってば!!  受け取ってくれないなら、もういいです!」 「人の話を曲解するなと言ってるだろ!何だその言い方は!」 「もう、しつこい!」 ――ぱあん、と。 冬の最中、空気が乾燥している事もあり、それはまるでテレビドラマの一面のように――高らかに、鮮やかに響きわたった。 彼女よりもぐっと背の高いその男の頬は見事に横殴りになり…… なんとはずみで唇を切ったらしく、さしもの彼女も一瞬やりすぎた、と硬直するのが背後からでも手に取る様にわかった。 「……兎に角、大都としては受け取れない。それよりも――」 いやあ、イケメンは血を流しててもサマになるね……と不謹慎な事をぼんやり考えていたら、 その鋭い眼光がこちらに飛んできたので、私はビクッと肩を竦めて逃げ出そうとした。 「あ……」 その視線に気づき、彼女がゆっくりとこちらを振り向く。 その時、何かがおかしい……と、気がついた。 流石に薄手のピーコートを身に纏ってはいるものの、髪はボサボサ、化粧っ気がないのもいつも通り、足元は擦り切れて穴の開きそうなショートブーツ。 だけど、その顔が――真っ赤になって、今にも涙が……ああ、零れてしまったその顔は。 「時間切れだ――後で必ず連絡する。絶対携帯取れよ」 「今すぐ捨てます」 「ふざけるな。――頼むから」 「何でそうやって、いつも、かっ、関係ないのに……」 「マヤ――!!」 私は―― 私は、くるりと振り返ると、猛スピードで二人から遠ざかった。 見てはいけない……ううん、居てはいけない、そんな言葉だけが頭の中でガンガン鳴り響いていた。 ドキドキと心臓が高鳴り、やがて息ができない程苦しく――走ってたので――なって、ようやく立ち止まって、恐る恐る、振り返ってみた。 何十メートルも離れてしまったし、間に沢山人を挟んでたから見えようはずもなかったけど。 だけど―― 人が、気が狂いそうな程の感情に――恋に、苛まされている瞬間、に立ち合ってしまった。 彼女とあの人は、たぶんきっと…… 苦い、痛い、キスをしてる、あそこで、間違いなく。 どんな感情であれ、許容範囲を超えてしまった感情というものは―― 例え恋愛感情、という「キレイな」ものであったって、醜く、歪んでいて、触れるどころか傍に立ち合うだけでも眩暈がしそうな程にキツい。 まして彼女は女優なのだし。 人の感情に与える影響力の大きさときたら―― 何故か、私まで泣いてしまってる位だから。 私はその場にへたり込み――枯葉はもう、絨毯の役割を果たせない程に薄く千切れていた―― 灰色の雲が重く立ち込める空を見上げて、あっという間に消えてしまうのであろう涙を、指先ですっと線を引くようにして拭った。 17歳―― そんなに社交的な方じゃないけれど、一応恋はしたこともあるし、うまくいかなくて凹んだような夜だってある。 だけど。 あんな風に。 苦しくて苦しくて、全ての感情を閉じ込めて小さく円くなって―― それでいて、堅い殻を破ってくれるただ一つの存在を求めてのたうち回っているような。 あんな切なさを抱えて泣いた事なんてない―― あんな風に、何もかもを掻き乱す様な声で――名前を呼ばれた事なんてない。 (なんか……大人になるの、ヤだな――) そんな、どこかズレた事を思いつつ。 はああ、っと、大きな溜息をついた。 何となく、大事な何かを失ったようなこの気持ちは……何なんだろう。 ああ――きっと、それは。 「……よかった、もう帰ったかと思っちゃった」 かさ、と枯葉を踏みしめる音と共に、耳元で囁かれる。 そっと開いた瞼の向こうで、ぼんやりと……白い空を背にした彼女が笑っている。 その小さな唇に、毒がこびりついている――彼女を冒し、苦しめる、赤い毒が。 途端に、胸がぎゅっと押し潰されたように軋むのを感じる。 苦笑い。 照れ笑い。 ほら、目が離せない。 だってね、私――きっと、あなたの事、好きなんだ。 殺したい程――か、どうかなんて、わからないけど、ね。 web拍手 by FC2

あれ…?何か…名前もつけてないオリキャラが勝手に動き始めたぞ!(汗
予期せずして第3話突入…次で締めくくれるかな〜 うーん、困ったな(たぶんいい意味で)!

    

last updated/11/03/22

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