第3話



「――だから、なんで放り投げるんだ。
 そのままスッと力を抜いたら勝手に抜けて転がっていくのに」

「ああもう、煩いなあ。勝手にさせて下さいよ!
 あ、ほら、今度は真っ直ぐ――あー、何でいいところで曲がっちゃうの?
 スピンかけてるつもりないんだけどなぁ」

そんな小技が君に出来る訳ないだろ、という台詞の代わりに鼻で嗤いつつ。
もう何度目の投球か知らないが、当たり前のようにストライクを出して見せたらあからさまに不機嫌そうに眉をしかめる。

ほら、だから言っただろ――誰がお子様じゃないって?

……という台詞は危うく堪え、真澄は手首を振りながらマヤの向かいに腰を降ろす。
ちなみに電光掲示の名前に本名を記すのは二人とも抵抗があったので、頭文字にしてみたらM&Mで一瞬誰がどれだかわからない――と当初は思ったが、余りに力の差が歴然としているので最早そんな事は気にもならない。

「つまらないならもうやめるか?」

平日とはいえ深夜は始まったばかりの時間帯、それも都心の繁華街の一角の総合アミューズメントパークともなれば人手はそこそこある。
右隣のレーンでは断続的にけたたましい笑い声がわきおこる、化粧は派手だがせいぜい高校生と思われる少女の団体様。
左にはストイックに技を極め続ける30代後半と思しき男性。
その向こうにも延々と年齢性別様々な人々で溢れかえり、重い鉛が転がる音とピンの倒れる乾いた音、軽快な電子音が響き渡る明るい室内は、外の侘しい極寒など嘘のような喧噪と虚飾に満ちていた。

隣に、この膨れっ面の彼女がいなければ――こんな場所、とてもじゃないが居られたものではない、とやや痛む手首に繋がった筋肉の筋を意識しながら、真澄は思った。

おいおい――まさか筋肉痛か?これで三順目……この程度の運動で?

「つまらなくはないですけど……あ、もしかして腕痛くなったんですか?」

いよいよ適齢期ですね――と妙な台詞を呟きながらニヤついた両腕に彼女用の10ポンドの球を押し付けてやる。
思わずよろめいた姿に軽く吹き出しながら、

「重さを変えてみたらどうだ?見た目程か弱くないんだろうし」

「重いと倒れてくれるんですか?」

「一概には言えないが君の場合フォームの方が――ってレクチャーしたら嫌がるし。
 女の子でも13ポンドくらい普通に投げるんだから試すだけ試してみろ」

ふうん、とその気がなさそうなマヤの姿に、基本的に理詰めの攻略を得意とする真澄としては少々腹が立った。
――ので、さっさと席を離れたかと思うとあっという間に幾つか重さの異なる球を持って舞い戻る。

「ほら、11ポンド。指とか腕が痛くないならこれで投げてみろって」

「はーいはいはい、もう、何かホントに勝負事になると手加減しませんね。
 さすがシャチョーさん?」

幾分頬を赤らめながら、真澄の手から新しいボールを受け取ると。
相変わらずの投げつけフォームだが、何とかガーターにはならず、重みでフラフラと転がってゆき――

「あっ、あ、あああ――!きゃーっ!行った!!いきましたよっ!!
 六本も倒しちゃった!凄いっ」

大喜びで飛び上がった瞬間、隣にいるのがあの速水真澄だという事をすっかり忘れてしまったマヤは――抱きつき、こそしなかったが、そうしてもおかしくない角度で腕を広げてしまっていた。これが相手が麗やつきかげのメンバーの一人でもあったら、男だろうが女だろうが大仰にハグし合って盛り上がる所である、が。

――一瞬、硬直したマヤの姿を椅子の上から見上げつつ。

真澄はごく自然に微笑みながら、レーンの先を指差して言った。

「……よかったな、目指せスペア」

「――はあい」

そして。
ああ、余計なひと言がないだけで――彼女は案外素直なんだな……などと真澄がぼんやり考えているその前で、三順目にして奇跡の初スペアが成功したのである。

「……!!」

今度こそ、マヤは振り返って右手を大きく掲げた。
反射的に腕を上げた、その大きな掌と軽くハイタッチする――ごくごく、自然に。

「ありがとう!すごい嬉しいっ……滅多に来ないけど、スペア取るの初めてなんです」

「……どんだけ不器用なんだ。まあとりあえずおめでとう」

疲れた目には眩しすぎる強い照明も、睡眠不足の頭に突き差すような軽々しい騒音も。
不快なはずの何もかもが、ただ彼女がそこで笑っているというそれだけで、なんて心地良い空間と変化するのだろう――つい数時間前まで、飲んで寝込んでしまう事だけが唯一の気晴らしでしかない空しいひと時を過ごしていた事が嘘の様だ。

――が、疲れている事は疲れているのは事実なので。

不覚にも零れそうになった欠伸を噛み殺そうとした瞬間、目が合ってしまった。
満面の笑みを浮かべていたマヤが、ふと申し訳なさそうに眉を歪める。

「あ……ごめんなさい――疲れてますよね、速水さん。
 お仕事終わったのにこんなトコに突き合わせちゃって――」

急にあたふたと狼狽えだす姿に苦笑しながら、

「今更遠慮してどうする。気は済んだのか?
 UFOキャッチャーとかモグラ叩きとかいかにも君が好きそうなゲームだって上にはドッサリあるぞ」

「そう、ですね――あ、でも、もういいかも」

「おい、自分から誘っといて消化不良のまま投げ出すとか、一番タチ悪いと思うぞ。
 遠慮しないで楽しめって」

向かい合ったまま、少しだけ爪先を動かして彼女のシューズの先を小突いてみた。
コートの下には紺色の生地に一面に小花の散りばめられたフレアーワンピースを着ていて、腰回りからゆったり広がるシルエットが小柄な彼女にいかにもよく似合っている。
膝のすぐ上の黒いレースと、ゆったりした肘のフリルが甘く可愛らしいが、難をつけるならざっくり背中まで開いたネックがタートルのセーターで隠れているのが勿体ない……などとは口が裂けても言えないが、見つめているだけで口元が緩みがちになるのはもう仕方がなかった。

「すいませーん、ちょっといいですかあ?」

――と、唐突に降ってわいた間の抜けた声に、二人してきょとんと眼を瞬かせる。
どうやら後ろらしい、と真澄が声のした方向を振り返ると、例の女子高生集団が一際高い悲鳴を上げてヒソヒソと顔を寄せ合っている何とも奇妙な光景が目に入った。

「ヤバい、当たり。すげぇなエコ」

「幾つ?若くないけど、全然OK」

――何やらよからぬ噂を立てられているらしい。
こうした場所に来ること自体ほぼ稀だが、遠い記憶を掘り起こせば、かつて似たような場面に出くわした事も時々はあったような――と、状況にも関わらず一人思い出に浸っていると、

「なんか、そのコつまんなそうだし。アタシらと一緒に遊びませんか?」

声をかけたのはリーダー格と思われる背の高い少女で、スラリとしたモデル並みの体型に、この真冬の最中にもめげないショートパンツ姿が様になる脚線美を誇っていた。
くっきりと整った美貌はデコレーション豊かなギャルメイクで鮮やかに彩られ、どこからどこまでがアイラインで付睫なのか至近距離でも判別つかんな――と、真澄が変に感心しながら見つめていると、少女は自分の思惑通りだと受け取ったらしく、自信たっぷりに続ける。

「別にカノジョとかじゃないんでしょ、その人?何かオジさんに似合わないし。
 ソレ系の同伴とかだったら謝るけど、アタシの方が全然楽しいと思うよ」

うわ、すげ、強気、とか何とか、興味本位のクスクス笑いと値踏みするような視線が飛ぶ。
マヤはようやく状況を察したらしく、さも居心地悪そうに身を竦め、膝の上に乗った鉛の球を見つめていた。
さてどうしたものか、これだからお子様相手は厄介だ――と髪を掻き上げつつ、追い返すのに一番効果的で、一応少女の心を傷つけないような台詞は何だろうかと真澄は思案した。

――が、次の瞬間。
少女がその均整のとれた長い脚を惜しげもなく晒しながら席をまたぎ、勝手に自分の左腕を組んで微笑むのを目の当たりにし、マヤがぎょっと身を強張らせて腰を浮かしかけたのを認めると、もうそうした配慮は無用だと悟る。

遥か昔の学生時代に幾度か活用した、当時一番効果的だった侮辱の台詞。
それに年の功で培った悪趣味な単語を織り交ぜ、氷河よりも冷たい笑顔と共に一気に投げ付けてやった。

場は一瞬で凍りつき、唖然とした逆ナン少女は次の瞬間真っ青になって――意外な事に泣き出したではないか。
多分、その手の下で様子を伺っているのだろうけれど。
何事か、と周囲からちらちら視線が飛んでくる中、真澄は平然とマヤの腕を取って立ち上がった。

「――行くぞ」

「え、あ、でも――あの子、泣いて……」

「人のこと気にしてる場合か。ほら、それらしくしろって。
 ロリ顔の女王様でないと勃たないんだよ、俺は」

「い゛っ――へ、変態……」

背後で同じような捨て台詞が飛んでくるのをものともせず、引き掴んだマヤの腕をそのまま自分の腰に回して引きずるようにそのフロアを出てゆく。
ややくたびれかけているとはいえ、頭の先から爪先まで「一流」だの「高級」だのといった台詞がしっくりくる佇まいの男、それも明らかに人目を引く容貌とオーラを湛えた男がこの場にいること自体、一度気づいてしまうとかなり浮いて見える。
その隣にいるのが至ってカジュアルな装いの平凡そうな少女――なのが、これまた微妙な空気を放っている事に、勿論マヤ自身とっくに気付いているし、むず痒いような居心地の悪さだって感じているのだ。

だけど――困惑する胸の内にじわじわと広がるのは……この説明しがたい、浮き立つような気持ちは。

何気なしに掴まれて、腰に回された掌が馬鹿みたいに熱い、とマヤは思った。
その上から重なる掌のさらっとした冷たさが余計にそうさせるのかもしれない。

出口へと続くエレベーターの中に二人して乗り込んだ瞬間。
今宵何度目かの笑いの発作に襲われた真澄は、そのまま壁に頭をもたげて大いに笑った。
やや引き攣った顔のマヤですら、つられてつい苦笑いしてしまう――
全く、変な夜だ……と、二人して同時に思った。

「場所、変えるか」

「そうですね――ちょっと、お腹もすいてきたし」

「来たな……手軽にファミレスで済ませたら怒るか?」

「全然。お安い女王様でよかったでしょ?」

頬を赤らめながらも、くしゃっと笑ってみせるその顔に。
先程から抱きかかえてしまいたい衝動を堪えてきた彼は、遂に行動に移し――かけた。

……ダン、っと。

揺れる箱の振動と共に壁際に追い詰められ、マヤはぽかんと見上げる。
薄暗いような気もする蛍光灯の下で、真澄のつくる影が自分の顔に落ちてくる。
彼が笑っているとするなら、その微笑の意味が――わからない、と。
みるみるうちに緊張する頭の片隅でマヤは思った。

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last updated/10/12/21

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