『散歩』



焼け付くような日差しは一向に緩む気配がない。
あたしと速水さんは、さっきから「暑いな」「ホントに」といったような会話しか交わしていない。
さっき公園である人からもらった冷たいコーヒーとサイダーは既に飲み干していて。
後で買った2本目のペットボトルのお茶は既に残り3分の1にまで減っている。 
「速水さん、ちょっとだけ休んでから行きませんか?」

「駄目だ。君のことだからどこかのカフェにでも入ってしまったら――
 また冷たい飲み物とケーキで動けなくなるだろう。一気に歩いてしまった方がいい」

そういう速水さんだって、涼しい顔してるけれど額には汗が滲んでいる。
すれ違う人々の顔はみんな「暑い」とうなだれている様で、日傘やタオルをかぶって歩いていた。
ここまで暑いと、みんな人のことなんてどうでもいいんだろう。ほとんどの視線は下向きだ。
おかげで、いつもなら人ごみの中で二人で歩くなんてこと絶対しない速水さんなのに、今日は軽く手を繋いだまま歩くことを許してくれている。
といっても、今の速水さんは普段の速水さんとはまるで違う姿だから、それと気づかれる心配もあまりないのかもしれない。あたしなんて、自慢じゃないけど街中で気づかれたことがほとんどない女優なんだから。

今日は日曜日で。
あたしもドラマの撮影の狭間に短いお休みをもらっていたから、今日は久しぶりにどこかに出かけようかって話をしていた。
けど、待ち合わせの途中で仕事虫の誰かさんには急用ができてしまったようで。
何としても午前中に片付ける、という言葉に曖昧に微笑んで、あたしは確実に潰れるであろう日曜の午後をどうやり過ごそうかと悩んでいたのだ。

――が、約束を守った速水さんはあたしが思ったよりも早く仕事を片付けて、会社近くの公園に来るよう連絡してくれた。

付き合うって感覚がどんなものだか、速水さんと付き合い始めてもう1年にもなろうというのにあたしにはよくわからない。
お互いもの凄く忙しかったし、特に一ヶ月前に紫織さんとの婚約を破棄した速水さんはいつ寝ているのかわからない位多忙だった。
実を言うと、今日会おうとくれた電話が一ヶ月ぶりのまともな連絡だったのだ。
そうやってようやく出会えた速水さんは、びっくりする程・・・・・・なんというか、意外だった。

何に驚いたかって、あたしは私服の速水さんを見るのは初めてだったのだ。
出会ってもう7年、いや8年近くになろうというのに、初めて出会った時から今日の日まで、あたしはスーツ姿の速水さんしか見たことがなかったことに改めて驚いた。
それはそうなのだ――あたしと速水さんはほとんど会社か劇場か、その間でしか出会ったことがなかったし。
おまけに大半は喧嘩して過ごしていたから、「大都芸能の速水真澄」=スーツで武装した嫌味虫、とインプットされていた頭には、目の前の速水さんの姿には面食らうしかなかった。

「スーツ以外の服も持ってたんですね」

ドギマギしながら呟いたら、当たり前だと鼻で笑われた。
暑さに少しだけ感謝してしまう――気恥ずかしくて赤くなっちゃってるんだと、バレずにすむから。
通り過ぎたショーウインドウに映った速水さんは、やっぱりドキドキするほどカッコよかった。
そんなに凝った服じゃない、白いシャツと麻のパンツ、おまけに足元はサンダルといった超・ラフな恰好だ。
その裾を少し捲って、踝が見えているのがやけに色っぽかった。
普段隠れて見えない部分が見えてるってのは――反則だ、と心の中で呟いてみる。
仮にあたしが同じような格好をしてみたって、こんな風に「様になる」ことは絶対にない。
・・・・・何故か、前に麗がネットで見つけて教えてくれた「中国のイケメンすぎるホームレス」を思い出してしまった。
何はともあれ、元がよければ何を着たってかっちょいい、というのは世界界共通の定説なのだ。

手を繋ぎながら、速水さんは大股でさっさと歩く。
歩幅の合わないあたしは、少しだけ早歩きだ。
それに気づいて、少しだけ速度を落としてくれるところが、この人の優しい所。
――でも、目的に近づくとそれも忘れてあたしの腕をぐいぐい引っ張ってしまうのが・・・・・・強引な所。

「で、どこに行くんですか?」

「この先だ。頑張ったら、ご褒美にアイスをあげよう」

「もう、またすぐそうやって・・・・・・」

文句を言おうとしたけれど、最後に現れた坂はなかなかの傾斜で。
余計な言葉を出すと体力を消耗して坂を転がり落ちそうだったから、あたしは口をつぐんだ。
大通りから外れた、閑静な住宅街の間に細々と続く坂道をよろよろしながらよじ登る。
確かに、サンダルで正解だ。
ちょっとばかり踵のあるパンプスを履いてきてしまったあたしは、耐えられなくてそれを脱いでしまった。
おんぶに抱っこか、とからかい口調で手を貸そうとしてくれた速水さんに、おじさんの腰が大変なことになります――とイヤミで返して、裸足のまま最後の力を振り絞って走った。すると、ムキになった速水さんまでダッシュし始めて。
もちろん、あたしはあっという間に追い抜かれてしまい、ようやく坂の頂上に辿り着いた時には、息も絶え絶えで、アスファルトの上に倒れてしまった。

「はあ・・・・・・も、もう。アイス、3個くらい買ってくださいね」

「腹下してもいいなら、10個でも20個でもどうぞ」

速水さんもさすがにくたびれ果てた様子で、あたしの横で地面に胡座をかいている。

「で――何があるんですか、この先に?」

すると、速水さんは黙って空を指差した。
坂の向こうに、ぽっかりと広がる青い空。
ビルとビルの挟間に、それは小さく、でも確かにあったのだ。

「え――あれって、もしかして富士山!?」

「そう。こんなにハッキリ見えるとは思わなかったが」

「すごい・・・・・・」

あたしは立ち上がると、目を細めて空の向こうを見つめた。
ささやかな風が坂を通り抜けてゆき、その心地よさに思わずため息を漏らす。

「あれ、学生の時は左っ側も見えてたはずなのに。何か変なビルが建ってるな」
 
確かに、その山の稜線の左側は背の高いビルに遮られて全体を望むことはできなかった。
それでも、真っ青な空の下にくっきりと区切られたラインはとても優美で。

「朝から時間があれば、日帰りでドライブもできたのにな――すまなかった」

「ううん、いいんです。忙しいのに、ありがとう。
 どこか遠くに行くより、あたし、こうやって速水さんとお散歩してる方が楽しい」

「・・・・・・俺もだ」

速水さんが手を差し出す。
大きな、優しい手のひら。
いつもあたしを支えてくれる、大好きな手。
あたしをうっとりさせてくれる、長い指。

――大好き。

そう言いながら、手を差し伸べた。
そして引き寄せたつもりだけど、立ち上がった速水さんに引き寄せられたのはあたしの方で。
あたしは速水さんの堅い胸の中でもみくちゃになった。
おまけに、汗でぺたぺたのあたしの頬といわず唇といわず――ものすごい勢いで、舐めるようにキスされてしまい――暑いやら熱いやらであたしはフラフラになってしまう。

「――あの、あたし、汗まみれなんで」

「代謝がいいのはよいことじゃないか」

「速水さんはほとんど汗かいてない。代謝、悪いんじゃないですか。やっぱり――」

「それ以上言ったらアイス無しだぞ」

どうも最近、年のことをからかうとあたしの方に分があるみたいだ。
速水さんはあたしのペットボトルを取り上げると、残りのお茶を全部飲んでしまった。
時刻はまだお昼を過ぎたばかり――そろそろ、あたしのお腹が鳴る頃だ。
まだまだ残っている、今日という大切な時間――まだ見ぬその輝きに、嬉しくって思わず変な笑いが浮かんでしまう。

「昼飯の後で、履きやすいサンダルでも買ってやろうか」

「いいんですか?」

「裸足で街中を歩かれちゃ困る」

差し出された手を支えに、パンプスに足を通した。

「その後は?」

「家に帰って、仕事。」

「お仕事、まだあるんですか?」

「勿論。一番やり残した大事な仕事が待ってる」

そうですか、と、できるだけ暗くならないように呟いたあたしの耳元で。

「・・・・・・」

またしてもあたしの顔が真っ赤になる台詞を平然と言ってのけ、あたしが絶句していると、いつもの馬鹿笑いを響かせるのだった――その笑い声を聞くのも、そう、久しぶりで。
文句の一つでも言ってやろうと思っていたのに、またしてもにんまり笑ってしまうあたしは本当に単純だ――と思うけれど、でもやっぱり、この人のことが大好きなのだ。

手をつなぎながら、空を見上げる。
白い太陽に照りつけられて、何もかもくたびれきった街の片隅で、全身汗まみれのひどい状態なのに。
嬉しくって、わくわくして、歌の一つでも歌いたいくらい、最高の気分。
だから、大声で叫んでしまった。
発声練習で鍛えられた声は、静かな住宅街の中に思いっきり響き渡る。

「はやみさんは――っ!!エロオヤジだ――っ!!!!」

絶句白眼になっているに違いない速水さんを背にして、あたしは再び猛ダッシュで坂を下り降りた。
人聞きが悪いこと叫ぶなっ、と叫びながら追いかけてきた速水さんに、再びあっという間に追いつかれてしまい。
少しだけ本気で「転んで怪我したらどうする」と怒られて後、あたし達は再びゆっくりと歩き出した。
 
それは暦の上ではもうすぐ夏が終わろうとする――最後の日曜日の散歩での出来事。


END.

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『夏日』その後のおはなし。
この夏があまりにも暑かったので爽やかさを目指してみましたよ、と。
「イケメンすぎるホームレス」を出してしまう辺りが全然爽やかじゃないんですが^^;
そういえば彼の半生の映画化の話はどうなったんでしょうかね。
さて、東京には数多くの「富士見坂」がありますが、書いてた当初イメージしてたのは当時職場の近かった南麻布の「新富士見坂」でした。
・・・・・が、何とまあ現在はまったく見えないんだそうな。そーいや見た覚えなかったよっ
70年代までは見えてたようなので、ガラカメ連載当初には速水さんやマヤも見ていた――かも、しれないですね(笑)
現在東京で富士山が望める富士見坂は日暮里と大塚の二カ所だけだそうです。
この作品では日暮里をイメージしてみました。

last updated/10/10/12

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