第3話




本作品には以下の傾向を含みます。

パラレル/死/暴力・レイプ描写

必ず冒頭の注意書きをご一読の上、ご覧下さい。


   

鏡の中の王子様はいつも私を見つめて微笑んでいて下さる。 私もまた、彼の琥珀の瞳をじっと見つめて微笑を返す。 高く結い上げられた髪にはお気に入りの宝石が星の様に散りばめられ、東方のあの繊細で美しい白磁の様だと褒め称えられる頬はほんのりと桃色に色づいている。 あの方の隣に並んで立つ私は、誰よりも美しい、と心から思う。 自惚れでもなく、周りのおべっか使いの者たちが決まり文句のように囁く言葉通りに受け取っているわけでもなく、真実、あの方と共にある私は完璧に美しいのだと信じている。 幼い頃から毎年、ハヤミ公国より送られてくる貢物。 高価で珍しい異国の品々にお母様も皆も感嘆したけれど――御爺様だけが苦々しい御顔をなさっていた――だけど、私の目にはどれ程高価な品々もまるでガラクタも同然だった。 「お前の探しているものは、ほら、ここだよシオリ」 苦笑を浮かべながら、お爺様が手を差し伸ばすと。 私はみるみると頬を紅潮させて(それはとても珍しい事なのだ、とわかっているのだろう、その時は皆可笑しそうに微笑んだものだ)、ぱっと御爺様の元へ駆け寄ったものだった。 普段は絶対にそのようなはしたない行いなどするはずもない私のその様子を見て、 「仕方のない姫だ――それ程までに、この男が気になるかね」 先程までの苦々しい表情を御隠しになって、使者の掲げた大きな包みの、その重厚なペルシャ織の布を払うと――現れるのだ。 ハヤミ公国唯一の王子、マスミ様。 数年前よりも、遥かに男らしく、美しく成長した――私の王子様が。 一番新しい肖像画は、昨年贈られたものだった。 今年で31になられるというあの御方は、もう王子というよりも王と呼ぶに相応しい威厳をその元来の美しさに備えていて、私の心はまた掻き乱された。 いつもならば鏡の前に立ち並び、そのお顔を眺めながら、まだ聞いた事もないあの方の声を想像し、どんな風に歩かれるのか、そして私にどのようなお言葉をかけられるのかなどと他愛もない夢に浸るのが何にも替え難い至福のひと時だった。 だけどその時は――何故か、じっと見つめているだけで心がざわついた。 本当のあの方の笑顔をこの目にすることなど、きっと儚い夢に過ぎないのだ。 まだ若いというのに、私はとっくの昔に、夢見る事以外の幸せを諦めきっていた。 鏡に布を被せ、それから肖像画にも覆いをかける。 常にない私のその行動に、乳母のタキガワが僅かに目を瞬いたようだった。 私も今年で28になる。普通の一国の王女ならばとっくに輿入れして、後継ぎに恵まれている頃合いだろう。 従姉の貴族の子女たちは皆そうしている。行遅れているのは私くらいのものだ。 お父様もお母様も、誰よりもお爺様がその事に関しては酷く心配し、悩まれているのは勿論わかっていた。 その栄華に陰り無しと讃えられる我がタカミヤ国。 その唯一の王女である私、というより私の背後にある権力を欲しがる者には枚挙に暇がつかない。 ほんの6歳の頃には、とある大国の王子(やはりまだ御年5歳にも満たなかったが)との婚約が決まっていた程だった。 だけどその幼い王子が8歳の時に病死したのを境に、私の婚約には何かと邪魔が入ってまとまることがなかったのだ。 それでも私はほとんど不安らしい不安も、焦りすらろくに感じずに過ごしてきた。 幼い頃から私の心にはあの方がいらっしゃって、あの方以外の殿方に嫁ぐ事など思いもよらなかったからだ。 舞来る数々の縁談の中に、あの方の国からの申し出は決してなかった。 政治的な問題も大きかったし、何よりもあの方は――正当なタカミヤの、いやそれどころか貴族の血さえも引いてはいない、庶子の生まれだというのが最大の理由だった。 それならばそれでいい、と思っていた。 あの方と結ばれないならば、一生をこの国で穏やかに暮らしていけばいい。 元々内気な性格で、身体も弱い私なのだから、嫁いだところで政略結婚に求められる責務など到底果たせそうにもないだろう。 見ず知らずの、いや、周り中敵だらけといっていいような環境で、役に立たない姫だと後ろ指を指されながら怯えて過ごすくらいならば。 この美しい国で、これまで通り花と芸術に囲まれながら静かに暮らし、死んでゆきたい。 それが私のささやかな望みであったのだ。 それが――ことごとく覆ったのは、鏡に背を向け溜息をついた、その時だった。 「……姫様、シオリ姫様、大変でございます」 椅子に腰を下ろし、すぐ傍のテーブルの上の紅茶のカップを手にした時。 す、っと隣の間に消えていたはずのタキガワが血相を変えて飛び込んできた。 落ち着き払った彼女のそんな様子は滅多にあるものではなかったから、私は驚いてカップを置くと、 「どうしたのですか?お爺様に何か――?」 近頃、御爺様の体調が優れないのは私の最大の心配事の一つであった。 「いいえ……いいえ、姫。何と申し上げたらよいか――  落ち着いてお聞きになられて下さいませ、決して興奮なされませぬよう」 「お前がそうやっているのを見るだけで落ち着きません。  私なら大丈夫、さあ、お話なさい」 「たった今、ハヤミ公国に我が国よりの使者が向かったそうでございます。  例の御返事を――遂に、なされたと……お輿入れが決まったのでございますよ、姫」 「え……嘘。本当ですか?御爺様が――お許しに!?」 「ああ、姫様、御立ちになってはいけません、ほら御顔がこんなにお赤い……」 「いいえ、いいえ。構いません――確かな事なのですか?  だって御爺様、あれ程までに反対なされて……」 「姫様、正直申し上げれば私とて気は進まないのでございますよ。  あんな……いいえ、姫様の想い人をこのように言うべきではないとわかってはおりますが――でも、まあ、なんと嬉しそうなお顔を……  そんなお姿を見てしまってはどうしようもありませんわね」 「ああ……何も言わなくていいわ!本当なのね……何て素晴らしい――!」 溢れ出る涙を抑えることが出来なかった。 私は思わずタキガワに縋りつき、幼い子供のように叫びだしたい気分だった。 続いて、慣れ親しんだ足音が扉の向こうに聞こえた。 タキガワから身を離し、赤くなった頬を押さえ、幾分痛みすら感じてきた胸の動悸を必死で抑える。 だけど扉が開き、御爺様のお優しい御顔が見えた途端、もう我慢できなかった。 「ああ、御爺様――御爺様、ありがとうございます。  私は、シオリは本当に幸せな娘でございます――!」 まるで幼い頃と変わらない、そんな態度を御爺様が決して嫌がらない事は十分知っている。 最近少しだけ痩せられた御爺様は、それでも衰えることない威厳を湛えたまま、そっと私の髪を撫でて下さった。 「わかっているだろうが、お前の幸せこそが儂の幸せなのだよ、シオリ。  この結婚に様々な問題がある事は知っての通りだが――決してお前を不幸せにはしないと約束しよう。  何か不安な事があれば、どんな些細な事でも儂に言いなさい。あの国に嫁いでも、お前は変わることなき私の可愛い孫娘なのだから」 「勿論ですわ――愛しております、御爺様。  私の一生の望みをかなえて下さって、本当に――感謝してもし尽くせません」 涙に濡れた頬を上げてみると、御爺様は嬉しさの狭間にどこか奇妙な感情を織り交ぜ、じっと私を見つめていらっしゃった。 ああ、やはり、心からあの方に嫁ぐ事に満足されている訳では決してないのだと、すぐに察する事ができた。 本心では、御爺様は今でもあの大国と縁談を結べなかった事を悔やんでおられるのだ。 ハヤミ公国は、現ハヤミ公王が一代で築き上げたといっていい、強大な国。 形ばかりの臣下の礼こそ取ってはいるが、いつ本国に反旗を翻すかわからない危険な国だ。 数年前に突然、ハヤミ公国の方から申し込みがあったこの縁談は、更新の期日を迎えた和平条約の最大事項の一つだった。 私の内心の狂喜とは裏腹に、御爺様は決断を渋られた。由緒正しいタカミヤの血筋が穢されること厭っただけでなく、あの危険な国に私を一人嫁がせる事に大いにお悩みになられたのだろう。 御爺様の威光は並びなきものとはいえ、お父様始め臣下の者たちはこの条約を受け入れる様、随分と御諫めしたらしい。 何も私の気持ちを慮っての事ではなく、この所タカミヤ国も海を挟んでの強国、ホクト国を始めとする多くの国々に軍事的介入を受けているからだった。 ハヤミ公王の真の狙いが本国との合併吸収にあることなど、子供でもわかる事だ。 だがその勢いは無視できぬものだった。固い同盟を結ぶことは両国にとって至急の課題だったのだ。 「確かに、ハヤミ公のあの小倅は――どこの馬の骨かわからぬ男だが、切れ者には違いない。  油断ならぬ所は義父とそっくりだが、だが奴には何の後ろ盾もない。  頼りの公でさえ、本音のところはどうだか。そこを利用する価値はあるだろう」 ある夜、父上臣下の者にそう囁いているのを、私はそっと耳にした。 父でさえもが、あの方を、そして私を、政治的な駒としてしか見てはいらっしゃらない。 既に理解していた事とはいえ、それは私の心を酷く痛めつけた。 輿入れに反対なさっている御爺様の方がよっぽど私の事を、心底愛しい孫娘として配慮して下さっているのだ。 その御爺様が遂に、ハヤミ公の申し出を許可した――マスミ王子との結婚を御認めになったのだ。 これ程までに心強いことはない。 御爺様がお約束になった事を破られたことは一度もない。 ハヤミ国がどれ程危険な国であろうとも、御爺様がいらっしゃる限り、私はタカミヤの王女として毅然として振る舞う事ができるだろう――否、そうしなければならない。 何よりもあの御方の妃となれるのならば。 全てをあの方に捧げ、あの方の為に生きてゆくからには、私は強くあらねばならないのだ。 「なんという顔をしておるのだ、シオリや――まるで生まれ変わったようだ。  今まではどこか夢の中にでも住んでおるかのように儚げな姫であったのに」 しみじみと語るその声に、私はハッと顔を上げた。 御爺様は大きな掌でそっと私の頬を撫でながら呟いた。 その手に強大な権力を握り、支配する。冷たく血に濡れた掌だと揶揄されるその手。 だが、私に対する時はいつでも、一人のお優しい御爺様の、温かい掌であったのだ。 「それ程までにこの縁談を待ち望んでいたのだね。  王族たるもの、このような感情はいらぬものとわかってはおるのだが――  儂は王でも何でもない、ただの一人の祖父として、お前の身をとても案じている」 「わかっておりますわ、十分、シオリにはわかっております。  お父様よりも誰よりも、御爺様だけが私の最大の理解者です」 「いいかねシオリ、ハヤミ公国に行くにあたって、一つだけ約束して欲しいことがある」 「何でございますか?何なりと、御爺様の仰る事ならばお受け致します」 「その言葉、真実真心のものかね?」 「何を仰るのですか――シオリをお疑いなのですか?」 「お前にとっては辛いものになるかもしれぬ。  だがこの約束を守らぬ限りは、お前をあの国に遣る事は出来ぬのだ。  そして我が命をかけてお前の幸せを守る事もできぬ――だから約束するのだ、誓いを守ると」 「……お約束いたしますわ。何でも、御爺様の仰せの侭に従うと」 その瞬間、優しかった御爺様の眼が鋭く光るのを私は見逃さなかった。 度々見たことのある類の光だった――敵国と戦う時、また政治的に重要な決断を下す時。 誰もが畏怖し、恐れるあの御爺様の眼だった。 そして告げられたその言葉に――私は文字通り打ちのめされた。 今にも足元の地面が割れて奈落の底に落ちてしまうのではないかと思う程に。 御爺様は厳しい視線を崩すことなく、射抜く様に私を見つめなさる。 「どうだね、守れるかね。今の話を聞き、それでも尚、あの男の元に参るというならば――  それ程の覚悟がお前にあるというならば、儂は全てを賭けてお前を守ることが出来る。  そして誓いを守ることができないというならば――お前をあの国にやるわけにはいかない。  どこか適当な諸侯の元にやり、全面的にあの男と、あの男の義父と戦わねばならない。  可愛いシオリや、儂は今でも、お前をこのような醜い戦いに巻き込みたくはないのだ。  使者は今すぐにでも刺客に変えることができる。さあ、答えなさい」 足元の震えが収まると、息を乱さぬようにと私は深く息を吸った。 控えの間でタキガワが青ざめているであろうことは容易に想像がつく。 だが、いつものようにここで倒れるわけにはいかないのだ―― つい先程、決めたばかりではないか。 私は今までの私ではなく、強く生きてゆかねばならないのだ、と。 「ええ、御爺様。御誓い致します。この心、ハヤミ国の誰にも、決して許す事はないと。  でも御爺様、私はマスミ様の元へ嫁ぐのでございます。  妻は妻として、夫を深く愛し、信じなければなりません。  この愛で、きっとマスミ様とあの国を――手に入れてみせましょう、御爺様のお望みの侭に」 そう、例えその嫁ぐ前から深く愛している夫に―― 既に、私とは別の女との間に、子供がいたのだとしても。 私はあの方を愛し、また愛されなければならないのだ。 そうでなければ――この28年の人生は、長く夢見るばかりだった日々は、一体何だったというのだろう、あまりに悲しすぎる。 つい先程まで希望と喜びに沸き立つ様だった心が、それまで感じた事のない鈍い痛みに悶え、そして今この瞬間は青白く、静かな焔を立てている。 成程、今日あの方のお顔を見て常にない不安を感じたのは、これを予期していたのだろう。 愛、という言葉が私を強く奮い立たせる。 そして狂わせてゆくことを、この時既に心のどこかで予感していたのだと思う。 それでも私はこの愛を、人生を、一瞬たりとも後悔すまいと、その時固く心に誓ったのだった。 web拍手 by FC2

どろろ〜ん♪シオリン登場〜(笑)闇設定注意書きに「またシオリンか!そうなのか!?」と危惧され・・・ているかもしれませんね^^;
彼女程掘り起こすと面白いキャラはいないと思うのですが、まあ、共感を呼ぶには難しいですよねw
敵役にそんなに情感込める事もなかろう(二次だし)と自分でも思うのですが、何故だか書いてて楽しいのはこの人の深層心理。
敵役にふさわしいだけの堂々たるアレっぷりを描きたいなあ、と思いますので宜しくお付き合い下さい^^
それにしても暑い・・・今日は遂にクーラー入れちゃった。風はあるんですけどね、窓開けると信じられないくらいでっかい白アリが飛んでくるんですよ;;
半分森みたいなとこにあるんで、妹んち。転職先は更に密林みたいな島ですけどねw今後はできるだけ!更新間開けない様に続けて参りたいと思います!
last updated/11/06/05

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