第1話




本作品には以下の傾向を含みます。

暴力/流血/マス×マヤ以外のCP

   

新宿東口改札を出て、ゴタゴタとした路地を何本か越えること十数分。 どこにでもある薄汚い雑居ビルの一角、立てつけの悪い鉄の扉の向こうから、これまたこの街では特に珍しくもないような会話がかれこれ小一時間程繰り広げられていた。 「……だからねぇ、奥さん?こっちも慈善事業でやってんじゃないワケよ、ホント。  あんたが今すぐ支払ってもらわないとこっちのクビが……ああ、ダメダメ。それなりにイイ身体なのは認めるけどね。 イヤ、歳とかの問題じゃなくて。今日び一,二本AV出演したところで貰える金なんて鼻クソみたいなもんよ? そんなんで目ぇ潰れる額じゃないのわかってるっしょ」 男は欠伸を噛み殺しながら背を伸ばすと、事務机の上に組んだ脚を大義そうに組み直した。 短い金髪を掻き毟る指にはいかにもソレっぽいシルバーのリングをゴテゴテとつけ、机の上に乗せた靴も成金趣味に白く輝いている。 全身中途半端なヤクザ崩れ、といったその風貌はともすれば吹き出しそうな程なのだが、口調程には浅薄な男ではない事は、見る者が見れば一目瞭然だった。 そして今の彼は――安浦圭吾は、人生に倦みきっていた。 こんな馬鹿馬鹿しい、金にならない商売からはきっぱり足を洗うべきだ――と、わかっているのに、口からは惰性のように取り立ての文句が飛び出す。 だがその言葉に一欠けらの感情も――取り立ての意志すらも籠っていない事は、もしかしたら当の取り立てられる側にも伝わってしまうのかもしれない。 闇金業者としての安浦の実績はそれこそ鼻クソみたいなものだったから。 「あーーー、疲れた。オバさん相手は精気が吸い取られるねホント……」 くだらない会話を更に長引かせている自分の事は棚に上げ、携帯電話を放り投げる。 危うくソファーの背後に落ちるかと思いきや、背もたれを伝って床の上に転がった。 ――その瞬間、再びその小さな金属が震え出した。 「うげー 面倒くさ……1分待ってやるから諦めろ」 眉をしかめ、事務机の一番右上の引き出しからグシャグシャに潰れた煙草を取り出した。 この国では一部の地域でしか販売されていない、紫色のパッケージにはそのままズバリ、「バイオレット」と記されている。 この甘ったるい安煙草こそが、安浦の唯一最大の精神安定剤だった。 ――が、1分待っても床の上の振動は収まる気配を見せなかった。 何かの予兆を察し、再び大義そうに立ち上がる。 表の液晶画面には公衆電話からの通知を示す文字。 取立人の一人か……もしそうでないならば。 「はいはーい、こちら工藤探偵事務所ぉ〜」 「……お久しぶりです、それが今の肩書ですか?」 「相変わらず冗談の通じないヤツだね、アンタも」 「緊急の依頼です。今から5分以内にそちらに向かいます」 「ちょっと……忙しいんですけどね、これでも」 「ご冗談を。そろそろ闇金にも飽きてきた所でしょう?  腕が鈍る前に引き受ける事ですね――ああ、もう着きました」 そっちこそ、相変わらず慇懃無礼な上に強引……っと、一言くらい文句を言ってやろうとした所で、鉄の扉が無遠慮に叩かれる。 溜息をつきながらも、客のもたらす“仕事”を待ち望んでいたのは事実に違いなかったので。 それを迂闊に顔に出すのは流石に躊躇われ、無理に仏頂面をつくると、 「開いてるよ」 声と同時に扉が開き、一人の背の高い男が音もなく入ってきた。 細身だが、黒尽くめのスーツの下には鍛え上げられた肉体が覆い隠されている事が容易に想像できる、影のような身のこなしの男。 これ程までに完璧に「裏」の所作を身に着けた男を、この国に腰を据えるようになって早二年、安浦は未だお目にかかったことがない。 細身の男は――聖唐人、と最初に名乗った男は、耳元から携帯電話を降ろして胸元にしまいこむと、そのままそこから一枚の茶封筒を取り出した。 灰色の机の上に置かれたそれを一瞥し、安浦はハッと鼻から紫煙を吐き出した。 「……幾ら?」 「中身をご覧になれば検討がつくでしょう」 「条件を言わない辺りが厄介そうだけど――ま、贅沢言ってられないのは確かなんでね。  アンタの依頼なら金払いだけは……っと、おいおいマジかよ」 中から出てきた三枚の写真。 その一番上を見て眼を瞬かせる。 「――降りた!」 「1億でも?」 「おくぅ?……イヤ、やっぱ降ろさせてもらう。コイツとは絡みたくない」 「では二枚目をどうぞ」 二枚目の写真は、ある意味もっと意外な人物が微笑んでいた。 どこかで見た事のある顔――滅多にテレビなど見ない安浦ですら見知った様なその顔は。 「何だっけ……あー、出てこない、知ってるよこのコ。  何か滅茶苦茶CM出まくってるよな、そんな美人じゃないけどカワイイ系?まあ俺のシュミじゃないけどね……ええっと、待てよ〜」 「北島マヤ様です」 「うわ、最悪。人が思い出そうとしてんのに……様って何?」 「依頼人の奥様です。二日前に消息を絶ちました―― 居所が判明すれば1億、五体満足の状態でこちらに引き渡せばお望みの金額をお渡し出来ますが……如何ですか?」 「何、その怪しい勧誘みたいなハナシ……ってかこのコ結婚してんの?  その年でどんだけ金持ちの爺さん垂らしこんだワケ?そっちのが知りたいね」 聖は無表情のまま、黙って三枚目を見ろ、と眼で言った。 ホントに愛想のない奴だ、と肩を竦めながら写真を捲る。 そこに現れた顔を見て、人並み程度の野次馬根性しか持ち合わせていない安浦も流石に驚いた。 そこに写っていたのは、表社会は勿論安浦や聖が棲息する裏社会でも十分顔と名の通った人物だったのだ。 「依頼人はアンタのボスか――で、奥様って、まさかこのコ?」 「引き受けるか引き受けないか、まずはそれから決断して下さい。  そうでなければこれ以上の情報はお渡しできません。  “彼”が絡む以上、厄介な事は承知の上でしょうから無理強いはしませんよ。  駄目ならこの話は聞かなかった事にしておいて下さい」 安浦の手の中から写真を引き抜き、封筒の中に収めながら聖は淡々と言った。 その落ち着き払った物腰から特に焦ったような様子は見受けられないが、この男が自分に依頼してくる時点で状況はかなり切羽詰まっているはずだ。 出来る事なら“彼”に直接関わる仕事は避けたい、何よりも自分の身の安全の為に――というのが安浦の偽りのない感情である。 何せ彼が本拠地を日本に移すきっかけというのが、“彼”との摩擦にあるのだから。 だが―― 「居所だけで1億ってのは本気?」 「勿論、必要経費は別途でお支払しますよ」 「……話変わるけど俺最近ハマってるチョコがあるのよ。ほら、これね。癖になるよねぇ〜しっとりビターのチョコに挟まった濃厚なバーボンの絡み合いがもう最っ高。  そういや北島マヤってコレのCM出てるでしょ、今思い出したけど」 聖は黙ったまま片眉を上げて見せた。 安浦はこれまた引き出しの中から取り出した皺だらけのチョコレートの箱を空けると、中から残り1粒を取り出して口の中に放り込む。 「『貴方と一粒だけの蕩ける夜を』って囁くの、あれいいよね、ハスキーボイスが超セクシーで。  初め北島マヤだって気づかなくてさ、何このミステリアスなカワイコちゃんは!って思わず見惚れちゃったのよ。  それで即コンビニ走って買っちゃってハマったワケ。庶民の購買意欲を刺激するイイ女優さんだよね、引っ張りだこなのもわかるわ」 「引き受けるのか、引き受けないのか、どちらです」 「無事発見、保護できたらその場でマヤちゃんに俺の耳元でゆって欲しいね、『貴方と一粒だけの蕩ける夜を』って。  でもってこの期間限定チョコ1年分。それと1億+αの報酬――でどう?」 「……最初の条件が一番難しそうですが、まあ善処しましょう。  契約成立、という所でこれ以上貴方のお喋りにかまけている時間がありません。  手短に状況だけ説明しますから、この資料に目を通しておいて下さい」 聖は再び胸元から小さなケースを取り出し――中から小指の爪先程のフラッシュメモリを取り出すと安浦の手元に放った。 無言でそれを受け取ると、机の上のノートパソコンに接続する。 立ち上がるまでの短い間、安浦はふと目の前の男の様子を伺ってみた。 狭い部屋の中央に置かれた簡素な応接セット、ソファの背もたれに軽くもたれかかり、その視線は虚ろに窓の外に向かっている。 その横顔は長い前髪が影になり、表情をはっきりと見る事はできなかったが、薄く引き結ばれた唇といい、いつも以上に淡々とした口調といい、確かに緊張している様子だった。 これまでそう多くない回数“仕事”関係でこの男と接してきた中でも、こうして不安や懸念を完全に隠しきれない聖を見るのは初めての事だ。 写真の人物たちと僅かな情報、そして安浦の持つ情報を突き合わせてみれば大体の事は予想できる。 居所を掴むこと自体はそう難しくないかもしれない――が、“五体満足”というのがどういう状態を指すのか深く考えたくない程、1枚目の写真の男が「普通じゃない」事は安浦には十分すぎる程わかっていた。 やがてメモリを認識したパソコンのフォルダをクリックする、そのタイミングで聖が口を開き、詳しい事情を話し始めた。 そして案の定、それは安浦の予想とほとんど変わる事がなかった。 web拍手 by FC2

last updated/11/16/

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