第10話




本作品には以下の傾向を含みます。

暴力/流血/マス×マヤ以外のCP


速水真澄と北島マヤの誘拐事件――に伴う、台湾マフィア青道幇の内ゲバ事件。 プラザホテルという超高級ホテルの地下に広がる秘密クラブの存在、そしてそこに関係したとされる各界様々な人脈を巡る黒い噂は瞬く間に「表」の世界へと向けて広がりを見せ、国会を巻き込む大騒動にまで発展していった。 クラブ常連客の一人に現内閣の閣僚が混じっていたことが発覚した為である。 その混乱の中で、大都と青道幇との関係を疑うマスコミの追及は収束の兆しを見せ始め、事件から三ヶ月が経った頃にはほとんど噂もされなくなった。 真澄の拉致事件は、前代からの黒い繋がりを断ち切ろうとした新総裁へのマフィアの脅迫行為であった事、妻であるマヤの誘拐も真澄個人へ圧力をかける為であった――と大きく報道されて以降、大都――というよりも真澄個人への世間的な評価は好意的なものへと転じたくらいである。 それというのも―― 世界中のマスコミが注目する中で発生した事件発生当夜。 ものものしく武装した機動隊がホテル周囲を取り囲む中、全身傷だらけの真澄が、やはりボロボロに憔悴したマヤを抱きかかえてホテル裏口から脱出する姿が、まるで何かの映画の一場面のように――バッチリとカメラで捉えられ、生中継されてしまった事が大きかった。 真澄の緊張と心配に満ちた顔でマヤを見守る姿や、それに対してマヤが健気に微笑む光景は関係のない人間にも感動を呼ぶものだったし――何といっても、絵になった。 意識的なメディア操作などしなくとも、世間の反応は見かけに簡単に左右され易い。 その効果に救われた形の真澄ではあったが、今回の一件に関しては一時的に自分の都合のいい方向へと傾いただけに過ぎない、という事は十分理解している。 今度似た様な事件が起こったら、世間は決して大都を許さない――ひいてはマヤを、眼の敵にするだろう。 自分だけならまだしも、彼女が黒い世界との関わりがあるように捉えられる事だけは避けなければならない。 青道幇の日本での影響力が崩壊しつつある今を潮時に、大都も裏社会から手を引かざるを得ないだろう――というのが、真澄の本音であった。 が、それを英介に理解させ、実現させるにはまだまだ困難が伴うだろう。 今回の好意的な報道の裏に英介の手が関わっていないはずがないのだから。 「はや……真澄さん、もう、何やってるんですか。早く行きますよ!」 「ああ、今行く」 パタン、と応接テーブルの上に置いたノートパソコンの蓋を閉じ、聖からの報告書を伏せて視線を上げると。 速水さん、とまたいつものように言いかけて、喜代子にじろりと見つめられたマヤが必死で言い直しながら、入り口の扉から顔をのぞかせた。 妊娠三ヶ月半――の、ようやくお腹の膨らみが目立ち始めて妊婦らしく見えてきたマヤ。 ほっそりとした手足もさすがにふっくらとしてきて、これまでの彼女とはまた違った魅力が―― ああ、これが妊婦の色気というやつか、と妙に納得する真澄であった。 「でも何だか最近ホントに忙しそうですよね――無理言ってごめんなさい」 唇を尖らせていたマヤがやや申し訳なさそうに手元のパソコンを見つめて呟く。 真澄はソファから腰を上げながら、 「気にするな。半年後には大っぴらな育児休暇を要求して水城君の顰蹙をかう予定だから――それまではせいぜい、馬車馬のように働くさ」 おどけた調子でそう言うと、あはは、とマヤは明るい声で笑った。 その頭をぽん、と叩きながら肩を引き寄せ……そのまま丸いお腹の上に掌を重ねる。 「それに――彼も喜ぶだろう……楽しみにしていたからな、”弟”が生まれるのを」 「”妹”もできるんだよ、って言ったら驚くかな?」 「だろうな、そして絶対自慢される、俺が」 その様子を思い浮かべて―― マヤはちょっぴり、涙を滲ませながら笑った。

二月半ばのその日、都内には季節外れの雪が降り始めていた。 地上に落ちた途端に泥混じりになるような、儚い雪の上を車はゆっくりと徐行しながら進み、予定より三十分遅れて二人は目指す病院へと辿り着いた。 入り口ロビーでその到着を待っていた警視庁の捜査官・二宮昌弘は、二人の姿を見て声をかけると――やはり信じられないな、と心中で首を傾げた。 こちらの姿を認めた一瞬、真澄の瞳に過ぎった厳しい視線―― 紛れもなく、あの事件前夜に取調べを行った際の、油断ならない男の眼だった。 が、それがマヤに傾いた瞬間、嘘の様に甘く蕩け、妊娠中の妻の身体を労わる平凡な夫の顔に変貌する―― どちらが本当の彼の姿なのか、二宮にはまだ判断が付きかねた。 「わざわざご苦労様です――お忙しいでしょうに、お二人揃ってまたいらっしゃるとは、正直驚きましたよ」 少しばかり皮肉を込めたつもりだったが、真澄は全く意に介さず、マヤの方はそもそも皮肉とすら捉えていないようだ。 「こんにちは、ええっと……二宮さん。この間はいろいろと、ありがとうございました。  我侭ばっかり言ってごめんなさい――彼、は元気ですか?」 ぺこり、と頭を下げて微笑むマヤの姿――顔を上げたその瞬間、ふわりと甘い様な匂いが漂った気がして、二宮は思わずたじろいだ。 その屈託のない笑顔は――成程、彼女の前で厳しい顔を取り繕うのは無理なんだな、と思ってふと視線を上げ、真澄のどこか面白くないような仏頂面にぶつかった。 思いもよらず吹き出しそうになるのを堪えると、 「いや、こちらとしても助かりますので。  あなた方を見ると安心するんでしょう、会話も成り立つし、担当医師も驚いてますよ。  今はもう食事すらままならない、という状態ですが……」 マヤがふっと顔を曇らせたのに言葉を途切れさせると、二宮は慌てて真澄の方を向いて、 「ええ、かなり危険な状態です。検察の方は被疑者心身喪失のままで起訴を固めていますが――立件までもつかどうかは、正直な所……」 「その件はまた後で伺いましょう。 今日は彼の家族と――友人として来たつもりですから、その辺りもう少し配慮して頂けると有り難いですね」 微笑ながらも冷たい視線でそう言うと、真澄はマヤの傍にぴったりと寄り添いながら歩き始めた。 彼、の個室はこの警察病院の東棟の最上階、最も警護の厳しいエリアにあった。 一族と組織を壊滅状態に追いやったに等しい彼を狙っての襲撃に備え、捜査関係者以外の面会謝絶。 とはいえ――訪れる者の中に、本当の家族関係や友人と名乗る者は誰一人現れなかったのだが。 これまで訪れ、面会がかなったのは真澄とマヤの二人だけである。 長く冷たい廊下に、二人と二宮の足音だけが響く。 入り口の警備の者に許可証を見せた二宮がドアの鍵を開け、先に中に入る。 その後から入ってきた真澄とマヤの眼に飛び込んできたのは、一週間前に訪れた時と何一つ変わらないような風景だった。 窓辺から少し離れた鉄製のベッド。 皺ひとつない、真っ白で固そうなシーツにくるまれて、眠る少女―― いや、息一つしない、まるで死体のような李照青の、小さな頭が見えた。 マヤは思わずかけよると、枕元に向かって囁いた。 「照青――こんにちは、あたしよ。マヤ……来るのが遅くなってごめんね」 無理かもしれません、もうここ数日ずっとその状態で―― と言いかけた二宮が驚いた事に、一瞬の沈黙の後、照青の瞼が僅かに動き始めた。 「……媽媽(マーマ)?」 干からびた唇が発したのは、母――という呼び名。 それを聞いたマヤは、にっこりと微笑んで、照青の長く目に覆いかぶさった前髪を掻き分けた。 その瞬間、照青の漆黒の瞳が見開かれる。 「媽媽!いつ来たの?待ってたよ――僕、ずっと……」 「ごめん、照青。あたしまだ北京語、うまく聞き取れなくて――」 「ああ――ごめん、でも変だね……媽媽、どうして忘れちゃったの?  ……そこにいるのは誰?」 途中から日本語に切り替えると、照青はゆっくりと上半身を上げようとして―― ふら、っと枕の上に倒れた。 その右手首に突き刺さった点滴の針がやたら太く見える程、全身痩せ細って生気がない。 眼だけが、マヤを認めて生き生きと輝いているのが悲惨だった。 と――マヤの背後から回ってきた真澄が、そっとその首の後ろに手を差しこむ。 照青の身体を抱き起し、枕を背もたれにしてバランスをとってやる、その顔を見上げて照青は再び小さく眼を見開いた。 「速水――!?あれ、なんで君が此処に――?」 「あたしが呼んだのよ――照青のお友達だって聞いたから。ビックリした?」 「信じられない……すごい、何年ぶりだろ!? こいつ、日本に留学していた時の知り合いで――って、知ってて呼んでくれたんだね、媽媽?  お前、また背が伸びたんじゃない?その調子だと天井突き破るかもよ、迷惑なヤツ」 「――何だそれ。お前は相変わらず細っこいな。ちゃんと食べてるか?」 「失礼だなあ、体質だよ、細いのは。媽媽だって小柄だろ、僕ら似たんだよ。  でも……媽媽が君の事を知ってるなんて驚いた――」 「へへ。ついでにもっとビックニュースがあるんだけど――」 と、真澄がそっと寄越した椅子に腰を降ろしながら、マヤは悪戯っぽく笑った。 その腹部に目を遣り、照青の顔が一層明るくほころぶ。 「ああ、僕の――弟だね……いいだろ、速水。君も一人っ子だったな、確か。  僕には兄弟ができるんだよ――名前は、僕がつけるって約束なんだ」 「それがねえ、照青。弟だけじゃなかったの――何と双子ちゃんでした!!」 「え……双子?もう一人、いるの?」 「うん、そう。まだ男の子か女の子かわかんないの―― だから、もしかしたら妹もできるかもしれないよ、照青」 照青の頬がぱっと赤く染まる――それから、瞳がきゅっと潤んだかと思うと。 か細い腕を震わせながら、そっとマヤの頭を抱きしめた。 さらさらと滑る、絹糸のような黒髪だけは三か月前と変わらない―― と思いながら、マヤはそっとその髪を撫で続けた。 「ありがとう、媽媽……僕にたくさん、家族をくれるんだね――  今までずっと一人で寂しかったけど……もう――」 「そうだよ――もう、寂しくないよ。  だから……早く、元気にならないとね。 ご飯もいっぱい食べて、歩けるようにならなくちゃ。  そしたら一緒に――海に行くって、約束よ?」 「うん――媽媽は北京の冷たい海しか知らないから……  ここの、台湾の海はね、全然違うんだ。 深い青緑色で――きらきら虹みたいに輝いてて、とっても綺麗…… 速水、お前も知らないだろう?」 「ああ――まだ見たことがない。連れていってくれるか?」 「いいよ――みんなで行こう……そしたら、歌を教えてあげる。  僕の弟と妹に歌ってあげる子守歌――媽媽もちゃんと、覚えなきゃね……」 冷たい病室に、照青の透明な声が流れる。 やがてその声にマヤの柔らかな声が、途切れながら重なってゆく。 何度も立ち止まりながら、繰り返しながら。 たゆたうように、流れるように、二人の歌はいつまでもいつまでも続いた――

「でさあ、結局あの男――崔ってオトコ。なんであいつ、社長サンを誘拐した訳?  照青がああなっちゃったから理由がわかんねーんだけど、どうせ次の日にムーン・ライトに呼ぶつもりだったんだろ?」 事件から数日後、安浦はいつものように事務所のソファにだらんと腰かけながら愛用の煙草――バイオレットをふかしつつ、聖と話していた。 その甘ったるい煙に僅かに眉をしかめながら、 「あれは恐らく、李照青の意志ではないでしょう。 彼は例の”パーティー”に全てを賭けていましたからね。 身柄を警察に引き渡したので口を割ることはできませんでしたが―― 彼の照青への心酔ぶりはかなり常軌を逸していましたから、その辺に理由があるんじゃないですか」 「……あー、なるほどね。 やれやれ、皆さん揃って執着ハンパないねぇ……俺には想像もできん」 「私や、あなたのような人間には――理解できないでしょうね、確かに」 聖はそう言って少しだけ微笑んだ。 と――その瞬間。 「……あー!!!」 安浦の頓狂な叫びに、再びムッと眉根を寄せる。 「忘れてた!」 「――謝礼なら、私がこの部屋を出た五分後に振り込まれますよ。  今回の一件、いろいろクレームはつけたいところですが、その辺りは眼を瞑るようにと真澄様の……」 「違う!一番大事なの忘れてた……っ!!  ちょっと、社長んちに電話して!マヤちゃんまだいるでしょ、家」 「何なんですか一体――」 安浦は勢いよくソファから腰を上げると、机の上に山積みされたチョコレートの空箱をゴミ箱に放り込みながらその一つを聖に示して言った。 「コレ。『あなたと一粒だけの蕩ける夜を――』って囁く約束!  マヤちゃんともしたもんね、忘れてもらっちゃ困りますよ」 「……善処しますとは言いましたが、それが一番難しいとも言ったはずですよ、最初」 「知るかそんなの――ホレ、早く電話して!この際受話器越しなのもまた乙な気が――  っておい、聖!待てったら!!うわ、最低――この世界で大事なのは信用ですよ!!」 と、叫ぶ間に聖はするっと錆びた鉄製の扉の隙間から姿を消してしまった。 バタン、と閉じた扉に向かって空き箱を投げつけてみたが…… 途中でへろり、と床の上に落ちてしまう。 畜生、と溜息をつきながら―― ふと、安浦は手近に転がっていたリモコンを拾い上げてテレビをつけた。 ザラザラと感度の悪い、あと数か月で終了するアナログ放送の電波に乗って―― 『あなたと、一粒だけの蕩ける夜を――』 掠れた声で呟く、北島マヤの漆黒の瞳を見つめながら、安浦はふっと微笑んだ。 そう、執着だとか愛憎だとか、悪いけど俺にはさっぱり理解できない―― だけどあの時、押しつぶされそうな恐怖の中で微笑んでみせた彼女の顔。 確かに彼女の笑顔は物凄く魅力的だ、それは確かだな――と、呟きながら。 ふうっ、と甘い紫煙を吐き出しながら、少しだけ隙間の空いた窓ガラスを眺めた。 数日前から降りやまない、霧の様な雨。 その水滴が一粒――すううっ、と流れていった。 END. web拍手 by FC2

last updated/02/06/

inserted by FC2 system