第1話



アナルセックス含みます。苦手な方はリターンで。

 

規則正しい呼吸を繰り返す、喉仏を見つめている。 薄紫色の闇の中で僅かに隆起するそれが、死んだ様に横たわっている男が確かに生きている、という事を示してくれている――間違いなく、自分の今すぐ傍に居るのだという証を。 『何て頼りないんだろ――』 溜息を零す代わりに、そっと指を伸ばす。 触れた一点がぐりっと歪んで、薄皮一枚下の骨の感触が伝わる。 そのままぐっと指を埋めたい衝動にかられた自分が、まるで自分ではない女のような気がして。 少女、ではない、どうしようもなく女であるような気がして。 マヤは瞬きもせず、自分の指先とその下の小さな突起だけを見つめ続けた。 闇の中とはいえ、ただ一点のみに視線を集中させるのは目が疲れる。 次第に眼窩の奥の方がきりきり痛みだして、眩暈がしてきた。 喉仏と指先の隙間がじわじわと拡大してきて、肌色に膨らんで意識を押し潰す様な錯覚。 だけどその行為をやめることが出来ない。 一瞬、喉仏の上下が止まってドキッとする。 が、男は特に目覚める様子もなく、再び穏やかな呼吸を続けている。 目覚めて欲しいのか、欲しくないのか―― そっと自分の心に問いかけてみるけれど、わからない。 目覚めた後の息苦しいような切羽詰まった時間と。 目覚めを恐れながら息を潜めて見つめ続ける時間と。 どちらをどれくらい欲しているのか、マヤにはわからない。 女になりかけている心はまだ未熟で、幼くて。 持て余しがちなこの感情がもし愛情ならば、どういう類の愛情なのだろうかと。 幼いなりに考えてはみるのだけれど、やはりわからない。 ただ――確実なのは。 あと4時間後にはこの男と自分はそこら辺りに散らばった服を身に纏い、全く違う場所で、全く違う世界で、全く違うタイプの人種相手に、全く違う言葉で喋っている、はずなのだ。 そんな自分と彼が、今は腕を伸ばせば相手の喉元を潰せる程度の距離にいる。 出会いと偶然の不思議さにマヤは無邪気に首を傾げる。 その時、真澄がぱっちりと何の前触れもなく瞼を開いた。 「――今何時」 「……え、と、4時3分、になりました今」 素早く引き戻した指先を上掛けと胸の狭間に隠しこみながら、反対側の手でベッドサイドに置かれた腕時計を引き掴み、時刻を告げる。そのずっしりと冷たい金属の感触は、まるでその持ち主そのものの姿を現しているような気もする。 眠っている時はあれ程までに穏やかに生きているのに。 一度目覚めれば、ちくちくと一秒ごとにマヤの胸をざわめかす、冷たい男。 「……眠ってなかったのか?」 睡眠不足の疲労を押し隠す事なく、綺麗に整った眉根を曇らせながら言う。 真っ直ぐ天井を向いていた完璧な横顔がこちらに向きを変えた瞬間、ああ、やっぱり起きてて欲しかったんだ、とマヤは自分の心に正解を出す。ドキドキと動き出した心臓から末端まで血が巡るのを実感する――頬といわず、指先といわず、熱く紅く火照り出す。 「うん――でも、もう寝ます。起こしてごめんなさい」 返事はなく、真澄は再び瞼を閉じる。 身体をこちらに傾けた時、僅かに上掛けがずれて広い肩の先が顕れた。 闇の中で唯一彩を放つようなその剥き出しの素肌に、自分も同じ布団の中で同じ様に何も身に纏っていないにも関わらず、マヤはギクリと肩を竦める。 明らかに、完全に、大人の男がそこに居る。 未熟で、ちっぽけな、つまらない女の子に過ぎない自分とは全く違う、男が。 父親でも兄弟でも親戚でも友達でも先生でも何でもない、知り合いというには近すぎる、恋人というには異色すぎる、形容しがたい男がそこに居る。 「速水さん」 ……と、呼ぶ以外には、どうしようもない男が。 「――何だ」 「いっこだけ、聞いていいですか」 無言のまま、了承のサインを受け取る。 少しだけ肩を丸めると、マヤは早口で、努めて何気ない口調で呟いた。 「速水さんって、カノジョとかいるんですか」 「彼女」 「うん」 「――いない」 「嘘だ」 「嘘付いてどうする」 「だって、速水さんいい大人じゃないですか。口も態度も悪いけど、一応、カッコいいし」 カッコいい、という部分は殊更何気なさを強調――じゃない、投げ出すような言い方をしなければと緊張したのが、逆に駄目だったらしい。 眠りかけていたはずの真澄が、ぶっ、と妙な音を立てて咳をした――かと思うと、肩を震わせて笑い出した。 「何だそれ。君にカッコいいと思われていたとは初耳だ」 「え、そうでしたっけ。敢えて言わなかっただけで」 「ああ、そう。それはどうも」 まだ笑いの残るその顔が、目を開けていなくてよかった、とマヤはつくづく思う。 そうでもなければ、きっと息が詰まって真っ赤になった自分を見てこの人は更に笑うだろう。ほぼ一回り年の離れた女の子の、それこそちっぽけな戸惑いを目の当たりにして、何をマジになってるんだ――と笑うに違いない。 マジも遊びも何もない、この人にとって自分とのこの空間は、時間は。 『紅天女』という、自分などにはまだその重大性がわからない世界への執着が為せる業なのであって。 多分、この人が社長代理を務める会社的には、少しでも『紅天女』に関わる人間は押さえておきたい――例え敵対する人間であろうとも手の届く範囲に管理しておきたいのだろう。それくらい、いくら何も知らないコドモの自分にだって、わかっているつもりだ。 『――もう、寝よう、本当に』 溜息を逃しながら、マヤは布団の奥へと肩を沈める。 あと1時間後には本当の目覚めの時がやってくるんだから。 1時間15分後には、お別れの時が。 その時――軽く頭を撫でられるのか、ふと思いついたようにキスされるのかは――わからないけれど。 そしてちくちくと痛む女の子の気持ちなんてこれっぽっちも理解する事なく。 この人は別の世界にさっさと出て行ってしまうのだ。 「じゃあ――また」なんて、勝手な言葉を囁いて。 「……起きてるだろ」 「――ん……」 低く掠れたような声に、ゾクゾクと震えるような期待が胸を突き上げてくる。 「夜明けまで、大人の話でもするか?」 「え?」 「彼女に関わる話」 「――寝なくていいんですか、明日、っていうか今日、お仕事でしょ?」 「これを逃したら次いつチャンスが来るかわからんぞ。 プライベートを人に話す趣味はないからな」 「……いいですよ、そんな勿体ぶらなくても」 嘘つき、ともう一人の自分が叫ぶのに耳を塞ぐ。 聞きたくて仕方ない癖に。 起きてくれて、話してくれて、嬉しくて信じられない位ドキドキしてる癖に。 「いいから聞いときなさい、チビちゃんには今後の人生の参考になる」 と、呟いたかと思うと。 三〇センチ程離れていた空間があっという間に引き寄せられて、真澄の腕の中に居る。 火照った肌が、生温い硬い皮膚に包み込まれて更に熱を増す。 ああ、もうドキドキしているのもいっぺんにバレてしまった。 一点を見つめるだけで精一杯だったのに、目の前に押し当てられた鎖骨の太さと、鋭い喉仏が隆起する様に心底圧倒されてしまう。目なんて瞑っても瞑らなくっても一緒。ぎゅっと抱きしめられたそこから伝わる熱と薫りは、閉じ込めていた心の蓋を簡単に押し開いて要求する――ただ、素直に委ねればいいのだと。 「彼女は――いない、本当に」 「……何で?」 「何でって。それ、世界中の独り身に聞いてみるか?」 「……じゃあ、欲しいことは欲しいんだ」 「どうだろうね――今までも今後も、つくるかどうかは未定だ」 「え、まさか、速水さん、今の今まで彼女いたことないんですか!?嘘でしょ!」 思わず、伏せていた顔を上げると。 馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりの呆れ顔がそこにあった。 眠そうだった目が完全に覚めているらしいのが、ホッとしたようなドギマギするような。 「人にはそれぞれ事情があるんだよ」 「――男の人がスキ、とか?」 「男だろうが女だろうが、基本的に他人と関わるのが嫌い。あと忙しいとか、色々とね」 至近距離で視線が合うと、薄い光彩に自分の顔が映り込んでいるのがはっきりと認められて、マヤはふいに切ないような悲しいような気持ちになる。こんな場所で、こんな姿勢で、こんな会話しか交わせないような自分を抱く、大人の男の思惑に翻弄されている自分が何だかとても可愛そうな気がしてきて。 「いわゆる彼女、ってヤツはいないが、女性との付き合いはないでもない」 「付き合い?誰と?」 「具体的に言ったところで――ああ、君も知ってる人なら一人いるな。業界裏話だが秘密厳守で教えてやろうか?」 「え、何か知りたいような知りたくないような……ま、まさか水城さん、とか」 「……彼女にその手のネタは禁句だぞ――後が怖い」 苦笑いしながら呟くその言葉の意味を図りかねて、マヤも曖昧に微笑む。 それから拗ねたように唇を尖らせる。 気になる――事は、認める。 だけど。だからって、それを言った所で、聞いたところで、何か変わるとでもいうんだろうか。この切ない気持ちにケリがつくわけでも納得がゆくわけでもないのに。 いや、彼の方には意味があるのかもしれない。 「大人の話」を敢えてしてみせる事で、そっちの世界に自分が足を踏み入れる事を拒否しているのかもしれない。最初からそんな世界に自分なんかが入り込む隙はないし、そのつもりもないけれど。 「他人が嫌いな癖になんで――って、思うか?」 ふいに、すっと髪を撫でられる。 撫でた掌はそのまま背中に落ちてきて、腰の上にそっと添えられる。 つん、と胸の疼きと同時に――何故だか、お腹の奥がきゅんとする。 いや、正確にはお腹じゃない、もっと下の―― 恐々、再び視線を上げる。 闇夜に慣れた目にははっきりとその表情が浮かび上がってみえる。 心の内を決して見せない仮面のような顔が、何故だか泣きたくなる程優しく微笑んでいる。 だからうっかり、心のままに頷いてしまったのだ。 まさかその後に、淡い切なさなど一気にぶっ飛ぶ衝撃が待ち構えているとも知らずに。 web拍手 by FC2

last updated/10/12/16

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