『徹夜』




疲れた。
非常に。
3日徹夜でここまで困憊するとは。
数年前にはもう少し位平気だった気がする。
確実に歳を重ねていると意識するのはこういう瞬間。
まあ、別にどうだっていい、どれだけ歳を取ろうと自分とあの子の歳の差が縮まる訳じゃなし。

ああ

眠い。

眠いを通り越して、重い、頭の裏が、じんじんと鈍色に染まっている。

「――酷いお顔ですこと。もうお帰り下さいませ」

我が有能な秘書が眉を顰める。

「さっきからそうしようと思ってるんだが、身体が動かん」

「今日ばかりは社長室で仮眠はおやめ下さい。
 送迎の車を用意させてありますから」

「いい――歩いて行く」

「は?ご自宅まで、ここから?」

「いーや、折よくそこのプラザホテルにマヤが泊まってるんでね」

「折よく、ねえ――」

「そこは突っ込むな。じゃあ、君も早く帰りたまえ」

「言われなくとも、そうさせてもらいます」

言うなり、水城はくるりと振り向いた。
その途端、俺はうつ伏せになっていた執務机から飛び起きた。

「俺が先だ」

「いいえ、私が先です」

深夜の大都芸能ビルを、徹夜明けボロボロの鬼社長とその第一秘書が猛ダッシュで駆け抜けてゆく。
エレベーターホール手前で本気で眩暈がしたので立ち止まり、堪えきれない笑いを存分に吐き出した。
水城もゲラゲラ笑っている。常の冷徹仮面はどこに消えたんだ、二人共。
その様を、通り過ぎてゆく居残り社員が不気味なものでも見るような顔で見送った。

「雨が降りそうだな、気をつけて」

「お気遣いどうも、多分玄関に迎えの者がいると思うので大丈夫ですわ」

「君に?」

「失礼ですわね」

珍しいこともあるものだ、彼女も疲れているのか、普段よりも口が軽い。

「ホテルまで乗っけてくれないか?」

「お断りします。一刻も早くプライベートを確保したいので。
 あなたならよくおわかりでしょうけれど」

「大変失礼した――では、これで」

ニヤリと笑うと、水城も僅かに唇の端を上げた。
一瞬、彼女が滑り込む車の運転席に視線を遣ってみたい衝動にかられはしたが、確かに一刻も早くプライベートを確保したいのは俺も同じなのだ。

ぽつぽつと音もなく。
冷たい11月の雨が降り注ぐ。
人通りの途絶えたビジネス街は、何の感傷も呼び起こしやしない。
あの建物にマヤがいる、というそれだけが。
灰色の頭の中に唯一灯る、暖かい光。

早く。

抱きしめて。

キスをしたいという。

寝不足が催す、甘い本能に背中を押され。

俺は縺れるように本社脇のホテルのロビーに足を踏み入れ、イライラと今度は上昇ボタンを押した。

ふっと足元が浮き上がる感覚に目を覚ます。
どうやら一瞬眠りかけていたらしい。
部屋番号は何番だっけ。
4032・・・・・いや、4023だ。
ふわふわと実感のない絨毯の上を大股で歩く。
同じような扉を何枚かやり過ごした先に、ようやく辿り着く。

マヤ。

早く。

開けろ。

忙しないノックの後、気が遠くなるような長い時間の末――

ガチャリ、と訝しげに開いた扉の向こうに立っていたのは。

全く見覚えのない、深夜に叩き起こされた不快を一切隠すつもりのない、脂ぎった五十男だった――


・・・・・・


・・・・・・


ああ、確かにこの3日間の修羅場は尋常じゃなかったし、年はとったしで。
全部俺のせいです、俺一人が空回りなのです、理屈ではわかってます。
でもこのやり場のない怒りと苛立ちと眠気はどこにぶつければいいのだ。
確かにマヤはあの部屋に宿泊していたのだろう、”昨日は”。
俺が1日間違えていたのだ――何という失態、この、速水真澄ともあろうものが。

でもマヤもマヤだ、待てどもこない男に対して、不安でも不満でも何でもいいから一報くれるべきなのではないか?何のためにあの子は携帯電話を携帯しているんだ?まさかまた放りっぱなしなんてことはないよな、前にあれだけ言い含めたのだし。
それに電話でなくったって、簡単なメール一本で済む話じゃないのか?

「お仕事忙お疲れ様。先に寝ています」とか。

「もう、速水さんの仕事虫!大っ嫌い!」とか。

「徹夜明け、大丈夫ですか?おはよう」とか。

心配でも怒りでも寂しさでも何でも良いから、一報くれるべきだ。
それなのに、あの子ときたら――常識とか通念ってやつが丸っきり欠けているのだから。

「着きましたよ──お客さん、着・き・ま・し・た!」

ああ?っと言いかけるのを慌てて口の中に押し止める。
無言のまま財布を開き、もはや頭だけでなく、ぐったりと重い全身を引きずるようにして出た。
午前2時12分。
草木も眠る丑三つ時。
冷たい夜風が身に染みる。
最悪なことにコートも社長室に忘れてきていた。
だってマヤはすぐ近くだと思えばこそ飛び出せたのだから。
ホテルよりもやや小さめの箱に揺られて上昇する。
同じようなドアを何枚かやり過ごすのも同じ。
鈍い動作で、オートロックを解除する。
今度こそ、彼女はそこにいるだろう。
ただし、俺を待ってはいないだろうけれど――大方、ぐっすり眠り呆けているに違いない。

ほら、ね。

こういう予想だけはよく当たる。

薄暗い部屋の中、奥の寝室のドアをそっと開ける。
瞬間、全身にあの子の気配に、匂いに、優しく包まれ、何もかも許してしまってもいい気分になる。
あの布団の塊の中には、温かくて柔らかい、世にも可愛らしい生き物が丸くなっている。
が、今はそれをそっと愛撫する気にはやっぱりなれない。
この苛立ち、不快感。
眠気、疲れ、その他諸々。
全部お前が責任を取れよ、マヤ。

何とか上着とネクタイ、靴下だけを剥ぎ取って――塊の上に突っ伏した。

途端、むぐっ、とくぐもった声と共に、塊が緩やかに形を変える。

――が、それ以上の動きはない。

おい。

マヤ。

確かに君は一度寝たらなかなか起きない性質なのはわかってる。

でもな、君だって忙しいかもしれないが俺だって相当だったんだぞ。
いつまでも帰りを待て、なんて、時代錯誤な事を言うつもりはないが。
頼むから、少しは慮ってくれ――これでもかなり繊細なんだから。

「マヤ、マヤ。起きろ」

「う・・・・・・いやだ――」

「何だと。今すぐ起きろ、バカ娘」

「眠い・・・・・・」

「俺の方が眠い」

「じゃあ、いっしょに眠りましょ――はい」

マヤはごろんと身体を回転させると、覆い被さっていた俺をシーツの上に落とした。
身体の間に挟まった掛け布団を引っ張りだすと、ふわっと彼女の脇に空間ができる。
その薄闇の中で、何とか瞼をこじ開けたらしい彼女の、無愛想な顔が見えた。
せめてそこは形だけでも微笑むべきだろうが。
まあ、俺も似たような顔だと思うけれど。

「ただいま」

「おかえりなさい」

吸いこまれるように、その腕の中に潜り込む。
その温もりに、ピークを越え下降傾向にあった苛立ちが急速に溶けてゆく。
とろとろと、これは最高の睡眠導入剤だ――が、このままでは納得がいかないと、心が、身体が、理不尽な要求を訴える。
最後の力を振り絞り、俺は鬱陶しいシャツとズボンを脱ぎ去り、ベッドの下へと放り投げた。
そうして再びマヤの腕の中に頭を突っ込むと、子供がむずかるような仕草で一瞬身を反らし、それからきゅっと抱きかかえてくれた。

「・・・・・・冷たい」

そりゃあな、思いがけず遠回りしてきたし。

「タバコ、匂いキツイ――」

俺自身の煙も人の煙も存分に浴びてるし。
ついでに昨日からシャワーも浴びてないから汗臭いだろ。

マヤはゆっくりと俺の頬を撫でながら、ちくちくとした刺激を楽しんでいるようにも思われた。
が、その動きも緩慢になってゆき、ついに髪の中で指の動きが止まる。

――眠れる。

この瞬間、朝まで夢も見ずにぐっすり眠れる。

けど。

やっぱり。

嫌だ。


俺は再び寝息を立て始めたマヤをひっくり返し、薄いパジャマのズボンを下着ごとずり降ろした。
前戯の余裕も優しさもなく、乾いたものをそのまま一気に突っ込む。
少しだけ湿り気を帯びたそこは、意外な侵入に当然のごとく抵抗する。
そのささやかな抵抗を無視して、更に奥へと突き進むと、ようやく事の重大さに気がついたのか。
せめて苦痛を和らげようと、すべすべとした液体が分泌され、受け入れの姿勢が整ってゆく。
が、信じられないことに彼女はまだ眠りについている様子。
やや眉根を歪めつつも、息はまだ穏やかだ。
夢の中にいるのか、目覚めかけているのか、それが密かな媚態なのか、今の俺には判別がつかない。

やがて、くちゅくちゅと、水をかき回すような小さな音が聞こえ始める。
同時に、マヤの息が確かに上ずる。
シーツの皺が深くなり、その谷を黒髪が行き交う掠れた音も混じる。
ボーッと重かった頭の裏に一点、焼けるような火が灯る。
それは徐々に大きくなり、頭蓋を内側から圧迫し、耐えがたい興奮となって脳髄を駆け下り、疲弊した神経の隅々に行き渡る。
足の指先が甘く痺れて、ゾクゾクと背筋が勝手に震えてゆく。
ずっと正座していて崩した時の、あのふわっとした感じに少し似ている。
まるで死ぬために必死で息を吸い込むように。
俺は大きく胸を動かす。
マヤの細い腰に手を回し、深く深く抉り続ける。
その乱れた息に音声がまじり始める。
やがてそれは何とか言葉らしいものとなり、湿った空気にぼんやりと響き渡る。

「は、やみ、さん――?」

「何」

「ねむら、ないの?」

「眠るよ、もちろん。君も遠慮なく、おやすみ。」

「あ、の・・・・・・っ、あ、これじゃ、眠れないん――」

あ、そう。

返事をする代わりに、パジャマの上着の裾から掌を差し入れる。
触れるまえから既に乳首は固く屹立していて、覆いこんで力を込めた瞬間、ああ、と悲鳴を上げてマヤは身を捩った。
弓なりになった白い背筋の、か細い骨の羅列があまりにも美しくて、愛おしくて。
俺は何かを呟いたのか叫んだのか。
それが彼女の名前だったのか、ただの呻き声に過ぎなかったのかもわからなかったけれど、兎に角彼女の内部に向かっていろいろなものを一気に吐き出した。

そして、死んだように眠った。

朝まで、たぶん、夢ひとつ見ることもなく。

END.

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寝不足気味の時のえすいーえっくすはだらだらときもちがいいよね」を表現してみたかったSS。
それ以上でも以下でもないので、オチもとてつもなく凡庸ですがご容赦下さい。
テーマにあまり関係のない、冒頭の社長と水城さんの深夜耐久レースが結構お気に入り(笑

last updated/10/21

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