全1話


「マヤって…どんな字をあてるんだろうな」 ある冬の昼下がり、 珍しく、本当に珍しくぽっかり空いた奇跡の休日。 マヤの淹れたココアのカップを大事そうに抱えて、速水真澄が呟いた。 「漢字でってことですか?」 と、自分のカップを持ってキッチンからマヤが顔を出してくる。 フローリングの床の上には、 マヤが少しずつ買い集めた大小・種類も様々なクッションが小山を築いていて、 真澄はその真ん中で長身を折りたたみ、丸くなっている。 いかにも乙女臭い、可愛らしい色彩に包まれた、 「異色」ともいえるその光景にマヤはついじっと凝視してしまう。 「何突っ立ってるんだ」 カップから立ち上る湯気を覗き込むように、 長い睫を伏せたままで真澄は呟く。 何だか、気恥ずかしいようなむずむずするような、笑いたくなるような感覚。 そんなものをクッションの山ごと飛び越えて、 マヤはその隣にちょこんと身を滑り込ませる。 窓には薄いカーテンが三分の一ほど開きかけで、 淡い冬の日差しが殺風景な室内を明るく包み込む。 マヤがついにあの古巣のアパートを出て、 真澄の用意したこのマンションに引っ越してきたのは一ヶ月前。 何の前触れもなく、 突然真澄がそのインターホンを押してやってきたのが10分前。 玄関口に現れた真澄は、 ざっくりしたニットに黒のデニムパンツという、 普段の真澄からは想像もつかないようなカジュアルな姿で、 それがまた悔しいくらいにサマになっていて、 マヤは自分の部屋着姿…上下ユニクロのフリース姿が急に情けなったくらいなのだ。 「休日なんだ、これがまた数年ぶりの」 そう言って靴を脱ぎ、 驚きの余りただうろたえるだけのマヤの隣を潜り抜け上がりこむ。 「わっ、うわっ、勝手に入っちゃだめですまだ!!  来るなら来るって、先に連絡してくださいよっ」 慌ててその後ろからニットの裾をつかんで引っ張る。 真澄はクスクス笑いながらその制止を無視してずいずいと進む。 「引っ張るなよ、伸びるだろ」 「だーかーら、お願いです、5分だけ待ってください!」 「何がまずい?桜小路でもいるのか?」 「…洗濯物があるんですっ  片付けるまで待っててください!」 「それはそれは…是非とも捜索しなくちゃ  チビちゃんがまだイチゴのパンツ履いてるかどうか…」 「速水さんっ!!!!」 真っ赤になり、伸びるのも構わず思いっきりニットを引っ張る。 …「付き合い」初めてこの方、 真澄のからかい口調はますます鋭さと多様性を増し、 マヤの貧困なボキャブラリーで対応するには難しい角度から次々と攻め立ててくる。 赤くなるか、怒ったフリでもしてみなくては、 もはや冷血漢の仮面を被ることない今の真澄には対応できない。 「何だこりゃ」 かっきり5分、「もういいよ」を言う前に真澄は部屋の中に入ってきた。 クッションの小山を見つけ、 他に何かまずいところはないかと部屋を見回すマヤに問いかける。 「あ、ああ、コレですか?  なんか、デパートとか雑貨屋さんとか行くとつい可愛くって。  ちょこちょこ買ってたらこんなんなっちゃった」 「ソファの必要はないな」 その小山をかき分けて座り込む。 …自分の部屋の中に、真澄が当たり前のようにいる、という現実。 しかも、私服で、こんなにリラックスして、 子どもみたいにクッション抱えて丸くなっている。 まだ少し嘘くさくて、でも本当で、胸は勝手にドキドキし始め、 言葉を探して目線が宙を泳いでしまう、それなのに、 平気な顔でこの人は自分の領域の中に滑り込んでくるから…お手上げだ。 「な、何か飲みます?」 と、頓狂な声を上げてみたら、にっこりと微笑む。 淡い光に、色素の薄い柔らかな髪が透けて、 果たしてこれは現実なのか…とやはり眩暈がするほど、この人は美しい… 「…マ、は真でいいだろうな」 ぼうっとしていると、 ふいに真澄が続ける。 「漢字?」 「俺の、真澄の真で決定だろ、マヤの真。」 と、折りたたんだ両膝の上にカップを載せて、 床の上に人差し指で書いてみせる。 「ヤ、はどんな字?」 「真…矢?一本気で言い出したら聞かない頑固者、ぴったりだな。  あ、でも某石鹸のCMが彷彿とされるしあんなクールビューティーじゃないし、没」 「ちょっとぉ…」 「真…谷、は苗字みたいだから駄目。  真…耶…何か賢そうだからこれも駄目」 「なんですかそれ!」 床に見えない文字を書いては消し、面白そうに続ける真澄に、 突っかかりながらマヤも真似をする。 「真…弥は?なんか可愛い」 「別人みたいだから駄目。  やっぱりマヤはマヤがいい」 と言うなり、 マヤが書いたばかりの透明文字を自分の手でかき消して、 真澄はカタカナで「マヤ」と大きく書く。 「自分でどんな漢字って言ったくせに〜」 …マヤはマヤがいい、 何気ないそんな言葉にすら、自分はどぎまぎして顔もみられないのに。 平然としてカップに唇を当て、 ぼんやり宙をみつめる端正な横顔は、 本当に悔しくなるくらい穏やかで。 ニットに包まれた喉の下を通りすぎる液体の動きや、 ふうっと唇から漏れる白い息の行方すら凝視して、 赤くなるのを必死で押さえている自分はなんて子どもなんだろう… 「速水さんの名前は、キレイですよね」 何とか話を続けなくては、 と、少し変な言葉を出してしまう。 「速水、真澄って。まっすぐ透き通った感じがキレイ。  でもでも、本人はとっても意地悪でへそ曲がりなんですけどね」 照れを隠しながら、 本当はいつも思っていることを何気なく言ってみる。 真澄の真心を、 冷たい仮面の下の深い愛情を窺い知るようになってから、 その名前通りだと密かに思っていた、 真澄、という、特別な名前… 「そうか?  俺は…小さい頃は嫌いだったけどな」 「なんで?キレイじゃないですか、私好きですよっ」 …と、まあこれも何気なさを装って言ってみた台詞。 バレないように、カップの中を大げさに覗き込みながら… 「…女の子みたいだってたまに馬鹿にされたからな」 ぶすっと、呟く。 一瞬おいて、たまらなくなってマヤは笑い出す。 「おい、だからそうやって笑われるから嫌だったんだよ」 ココアが零れださないよう、 右手を掲げながら身を捩ってマヤは笑った。 真澄はふん、と視線をずらしてもう一口、カップに口をあてる。 「おまけにあだ名は“マー君”だろ。  母親がそう呼んでたのを聞きつけたクラスメイトがばらして以来な…  まあ馬鹿にして笑う連中はみんな潰して…おい、マヤお前ちょっと笑いすぎだ」 遂にマヤはカップ床に置き、 クッションの中に顔を埋めてゲラゲラ笑った。 「ま、ま、マー君…!!!  に…似合わない似合わない似合わないっっ!!!」 苦しくって顔を上げたとたん、 同じくカップを床に置いた真澄の両腕が伸びてきた。 そのままマヤの両の頬っぺたをつまんで、ぐにっと横に引き伸ばす。 「ふ、ふひゃひゃひゃ…」 「黙らないと、円い顔がもっと円くなるぞ」 「ふーんだ、ひょんなことゆふ人には、もっとゆっちゃふよ〜  マーくん、マーくん、マーくんん〜♪」 やっと見つけた真澄の弱点なのでは、 とマヤは頬を引っ張られたまま連呼した。 「ほお〜何だ、俺の弱点でも見つけたつもりか?チビちゃんのくせに」 何てことはないはずなのに、 マヤに昔の呼び名で呼ばれると、 くすぐったさに柄にもなくドキドキする自分に気づいてしまい、 バレては大変と表情を崩さぬよう、真澄は思わず指先に力をた。 「いった、痛いですっ」 と、そのとたんマヤが小さく悲鳴をあげる。 「ああ、すまん、懲りただろう?  もう言うなよ、もちろん他の誰にも」 すぐに指が離れる。 そしてマヤが頬を押さえた、その隙に。 真澄の上半身が傾いて…思わずきゅっとつぶった瞳の前で、 形のよい唇は同極の磁石を合わせたみたいに躊躇って宙に止まる。 …マヤが恐々目を開ける。 限りなく近くて遠い数センチを挟んで、 真澄の穏やかな視線がマヤを包み込む。 「…馬鹿にした罰。」 「な、何が?」 慣れない、どうしてもやっぱり慣れない、こんな至近距離。 こんなに、怖くなるくらい近くにいては、 今にも倒れてしまうんじゃないかと不安になってしまうほどに。 「目を開けてするか閉じてするか?」 「だ、だから何を…」 「頑固者。可愛くない…」 マヤがつくりだそうとする僅かな隙間を無視して、 真澄の上半身はさらにマヤの顔の上へと傾ぐ。 (うわっ…) という心の叫びが頭の中に響いて、 観念してぎゅっと瞳を閉じた… 一秒、二秒、三秒… (あれ…?) そのまま、硬くなったまま、 何か様子がおかしい…と、恐々再び目を開けると、 真澄は先ほどのマヤの真似をして、 クッションの中に顔を埋めて笑っているではないか。 「な、ちょ、なに〜〜!?」 「ふ、ふはははははっ 何だその顔は、唇尖らして緊張しすぎ…」 「尖らしてないっっっ!!!馬鹿!もう最低っキライッ  速水さん…ちょっと笑わないで、酷いいっ〜〜〜」 「君の文句ときたら馬鹿・最低・キライの三つだけだな」 投げつけられたクッションを軽くかわして、 底の方に浅く冷たく固まったココアのカップを持ち真澄は立ち上がる。 キッチンに行って戻ってくると、 マヤはまだ頬を赤くしてこちらを睨みつけていた。 「…まだあります」 「なにが?」 「馬鹿、最低、キライ、大っキライ、四つです」 「…それは、困る」 「え?」 てっきり笑われるかと思ったら、 真澄は静かにそう言うと、小山をまたいでマヤの頭の上から見下ろした。 「『速水さんなんか大キライ』は、もう言われすぎて十分堪えてるから、困る」 マヤは小さくひゅっと息を吸うと、 悪戯っぽく上目遣いで呟いた。 「…大っキライ」 「・・・」 真澄は無表情でその顔を見つめている。 (お、怒ったかな?) とマヤが思った瞬間、 ふいに真澄は胸を押さえたかと思うと、 長い脚の膝を折って倒れこむ。 「ああ、死んだ…もう死んだな…」 と、クッションに埋もれたまま呟いている。 「う、ごめんなさい、本当にイヤだった?」 「致命傷…大キライ?本当に?」 いつでも余裕ぶって、からかってばかりいるくせに、 最近少しずつわかってきたのだが、この人はとてつもなく寂しがりやの… 甘えん坊だ… こうしたふとした瞬間の甘えた口調に、 もうどうしようもなく胸がきゅんとしてたまらない。 「嘘、嘘だよ〜」 おどけて話しかける。 真澄は動かない。 その髪の毛に、そっと触れてみる。 まだ動かない。 癖のある髪、そっと指を差し入れ、梳いてみる。 温かな頭皮が心地いい。 心地いい…なんて心地いい時間… 幸せすぎて目が眩みそうなほどに。 ぼーっとしながら、手の動きは無意識になり、 いつの間にか真澄の腕が伸び、その大きな身体の上にマヤは折り重なる。 ニット越しに、暖かい体温を感じる。 自分の心臓の動きは、間違いなく真澄にダイレクトに響いているはず。 ふと真澄の半身がひっくり返って、 床に仰向けになったままマヤを見上げる。 大きな両手に、すっぽり挟まれた両の頬。 「…さ、寒くないですか?暖房つけるね」 動こうとするマヤを、捉えて離さない。 「いい、空気が悪くなる」 「でも床、冷たいです」 「マヤがくっついてればいい」 …もう、完全に降参だ… 「最高…」 目を閉じ、溜息をつくように真澄が呟く。 「こんな休日は初めてだ…」 片方の手で頬を支えたまま、もう片方の掌でマヤの長い黒髪を撫でる。 「ホントに…?」 「ホントに。これからは何としても作り出さなきゃな…  水城君に一大交渉だ…どんなビジネスより難しい気もするが」 マヤがくつくつと笑う。 真澄は遂にぎゅっと腕を回して、小さな身体を抱きかかえる。 もうマヤも抵抗しない… 柔らかな日差しとはいえ、確かに空気は冷たいのだ。 真澄にとってはレアな休日も、実際はあと数時間後に終わってしまう。 だが、この時間は…何物にも変え難い永遠の瞬間… す、と頬を摺り寄せた。 マヤの暖かな柔らかな頬に触れただけで、 心がとろとろとろけて流れてゆくみたいな、浮遊感に漂える。 「大好きだよ、マヤ」 きゅっと縮む愛しい恋人の身体をさらに強く抱きしめて、 心からもう一度呟いた。 「…あいしてる」 と。 END. ***やった〜〜〜っ♪*** ・・・何がやったかっていいますと、初めて読みきり短編が書けたってのに ライラは今激しく感動しております!!^^; だってほらいつもだとあちこち動き回るの追いかけてるうちに長く長く 果てしなく長く・・・なってしまうので・・・ 今回は「絶対に外に出さん!!」という決意の元で書いてみました☆ さらに、あんま得意じゃないのですができるだけ甘く、甘く、甘〜く・・・ なってるかなああ・・・??? 2005.1.21 web拍手 by FC2

「完全に降参」を「完全に完敗」に変えようかどうか一瞬迷うも当時のままで載せてみる(笑)
こっ恥ずかしくて身悶えする位に甘々を、の当時の狙いは現ライラには十分効いた!
皆様にもちょっとでも甘い気分?をおすそわけできたらいいなあ〜 できますように!

    

last updated/11/03/19

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