『遊戯』



それは、どこか地を這う蛇の気配に似ている。

微かな、でも限りなく生々しい、断続的な振動音。

確認するまでもない。
放っておけばよい。
いや、最初から電源を切っておくべきだった。
今からそれを実行するとまた一悶着あるだろう。
だから放っておく。
それをいいことに蛇は少しずつこちらに近づき、存在を主張し続けている。
ああ、本当に、何と禍々しく、鬱陶しいことか。

パチン。

舌打ちと共に開く。
無感動に受話器のマークを押す。
その途端、蛇の気配を押し殺し、健気で慎ましやかで美しい、かの婚約者が微笑んだのがわかる。
その唇の上げ方、受話器の持ち方まで、見えるようにはっきりとわかってしまう。
確かに、今宵の勝者は彼女なのだ、それは間違いない。

『こんばんは、真澄様。夜分遅く、お忙しいのにごめんなさいね。』

『いいえ、こちらこそ、中々ご連絡できず申し訳ありません。
 少々厄介なトラブルを抱えておりまして、私でないと対応できない状況なのです。』

『わかっておりますわ、貴方にとってお仕事がどれ程大切な事か――でも紫織は心配です。
 お式も近いことですし、くれぐれもご無理はなされませぬよう・・・・・・』

勝者は泰然と微笑み、敗者の口から望みの言葉を引きずり出そうと画策する。
以前はそれに上手に乗ってやることができた。
美辞麗句ならお手の物。
本物の感情を億尾にも出さないことにかけては、一流のギャンブラーにも負けない自負がある。

――が。
せめて柔らかく当たり障りのない言葉、などはもう出せない。
隠そうにも隠しきれない、侮蔑と嫌悪の感情が。
必要以上に冷たい事務的な言葉の羅列となって、幾らでも吐き出せそうだ。

『ははは、何も無理などしていませんよ。ご心配は無用です。
 仕事だけが私の唯一の楽しみといっていいですから。』

『ふふ、貴方らしい事。でも私には本当の事を仰って。
 貴方は本当はとてもお優しくて――情熱的な方ですもの。
 お仕事よりも大切なものの為には、それこそ命を削ってでも行動なされるのでしょう?』

――成程。
この嫌悪感が”無関心”へと進化せぬようにとの、これは見事なお手並みだ。
その言葉にこちらがどう対応するかと、舌なめずりして伺う気配を感じる。

無関心よりは、怒りと苛立ちを。

憎悪は執着と表裏一体だから。

ならばその思惑に存分に合わせてやろうと、俺は笑みを浮かべながらはっきりと告げた。

『ところで紫織さん、この婚約を白紙にされる気はありませんか?』

彼女は勝ち誇ったように笑う。
それはそれは可笑しそうに、高らかに、朗らかに。

『まあ、何をおっしゃられるかと思ったら――ふふふ、ほほほ、真澄様ったら、本当に。
 貴方は時々思いもよらない事をおっしゃられますのね、可笑しくて――涙が出てしまいましたわ』

『私はそんなに可笑しい事を言いましたか?
 以前に申し上げたのと全く同じ台詞ですが。』

『ええ、ええ。少々毒が強うございますけれど――それも貴方らしくていいと思います。
 あら、お話が楽しくて肝心の用件を失念してしまう所でしたわ。
 明日のお仲人さんとの最後の打ち合わせですけれど、予定通りこちらからお迎えに参りますので。
 お時間の確認を宜しいかしら?』

『大変申し訳ありませんが、例のトラブルは未だ解決の糸口も見えない状況ですので。
 打ち合わせには代理の者を向かわせますので、お迎えにはいらっしゃらずとも結構です』

『真澄様――貴方ともあろうお方が、お仕事の重要性の違いもおわかりにならないとは驚きですわ』

『充分承知しているつもりですよ。それでは時間も時間ですので、これで失礼致します』

――何を驚くというのだろう、こちらは貴女の思い通りの言動を取っているだけなのに。
おまけに今の会話の一言一句、俺は真実のみを述べている。誠実と言ってもいいくらいだ。

「――マヤ、顔を上げなさい」

マヤは細っこい首をこれ以上ないくらいに縮ませ、ますます顔を俯ける。
出来ることならそのまま小さく消えてしまいたいと心から願っているのだろう。
――全く、仕方のない子だ。

俺は電源を切った携帯を部屋の隅に投げ遣ると、その涙と汗でぐしゃぐしゃの情けない顔をこちらに引き上げた。
真っ赤に上気していたはずの頬は先程の電話の間に蒼白になり、きつく噛み締めた唇が青ざめている。

「マヤ――泣いている場合じゃない。
 君の気持ちを聞き出さない事には、俺は身動きが取れないんだ。わかるだろう?」

「き、気持ちって・・・・・・言ったって、あ、あたしは――」

「結局、君は俺とどうしたいんだ?
 今まで通り犬猿の仲で済ませたいのか、何か――別の関係でいたいのか、それともきっぱり絶縁したいのか。何でも君の思う通りにしようと下手に出て申し出ているつもりなんだが、何故こんな簡単な問題に答えが出せないのか理解できん。返事をするのに朝までかけるつもりか?」

「かっ、簡単って――そんな、事」

遂に、大粒の涙がぽろっと頬を伝う。
後から後から、ああ、そんなに泣いたら眼が腫れるだろ。
――その手は許さないからな、女優の癖にすぐ目を擦ろうとする。

胸を隠すようにして交差した腕、その手が涙を拭おうとするのを手首を掴んで止める。
そのまま顔を近づけ、崩壊しかけの涙腺に舌を這わせた。
そのまま舌全体で頬をなぞり上げ、塩辛い液体を全て舐め取ってゆく。
蒼白の頬が再び熱を持ち初め、強張っていた太股が僅かに反応した。

「ほら――早く、言え。でないと、これ以上動かないぞ」

「う・・・・・・」

そんなに苦しそうな顔をしても無駄だ。
確かに厄介な案件だが、俺としてもこればかりは一歩も譲れない。
マヤは俺に手首を拘束されたまま、きつそうに身を捩る。
そうして浮かせようとした腰を右肘で押さえつけ、逃げないように押さえつけた。
それがさらに深く抉った形となり、思わぬ刺激にマヤはぐっと背を反らせる。
目の前に露になった白い胸が誘うように揺れるので、遠慮なく摘み取った。
途端にあ、と壊れた人形のような悲鳴をあげて首を振る。

携帯に出る一瞬前に、その意識は飛びそうなところまで追い詰められていたのだ。
それが唐突に全ての動きを封じられ、聞きたくもない会話を聞かされながら緩慢に身体のあちらこちらを弄られていた。
その胸の奥は凍りつきそうな程緊張していても、感覚神経は過敏に高まりきっている。
マヤは涙以外何一つ纏わぬ姿で、着衣のままの俺の両脚の間に跨っている。
白い身体の中心を刺し貫かれたまま、碌に身動きひとつできやしない。

「マヤ・・・・・・そうやって判断を先延ばしにすることで」

俺ともっと遊びたいのか?

夜明けまで。

だらだらと続けてみたい、この恐るべき快感と耐えがたい優しさの入り混じる遊戯。

そうやって積み上げた不安定な積み木の塔を、

一瞬にして冷たい床の上に散らしてしまいたい衝動を堪えながら。

ひとつ、またひとつ、と慎重にピースを重ねてゆく。

「ああ、駄目だ――まだ駄目。動くな」

「や、だよ・・・・・・もう、つらい」

「俺とどうなりたいのか、に、答えたくたいのなら。
 君がどうしたいのか、それくらいは言えるだろう。もうお子様じゃないんだから」

「あたしは――あ、あたしは・・・・・・あっ、あっ、やっ、ん、ああっ」

彼女の前では、上っ面だけの手練手管や綿密に立てた計画などは一瞬にして瓦解する。
早く、早く押し倒して侵入し、破壊の限りを尽し、そのすすり泣きに包まれながら恍惚に浸りたい。
結局のところ、こうして中途半端に散らしてしまうのは俺の甘さ故なのだ。
不規則な収縮を繰り返す彼女の入り口に指を沿わせ、ぷっくりと赤く膨れ上がった芽を苛め抜く。
もちろん、彼女の快感はその一点のみに集中しているわけではないことは熟知しているので、無駄な動きを抑え込んだまま、もう片方の掌で一つずつ探り当てて開放してゆく。
見る見る毛羽立ってゆく肌の湿り気、物欲しげな腰の動き、意味ある言葉を紡がない唇のだらしなさ。
スーツの折り目に皺をつくり、シミを広げて俺を汚してゆく、その可愛い有様を存分に堪能する。
――ああ、だけど、本当は。

真実を明るみにするには、常の俺と彼女はあまりにも臆病で、それでいて恐れ知らずで、無謀だ。
だからこそ。
複雑に入り組んだ二人の心の襞の奥の奥まで指を差し込み、押し広げ、真実を掬い出すことに心を砕かなければならないのだ、本当は、今すぐ、それこそ朝までかかろうとも。

なのに気がつけばいつも同じ。
混じりっけなしの快楽に溺れて本当のお互いに固く目を瞑りつづける。

・・・・・・ふいに押し寄せる、猛烈な寂しさに胸が潰れそうになった。

寂しい、哀しい、つらい。

多分、同じように彼女も。

途端に、体中の熱が荒い粒となって沈殿する。

長く繋がったままだったものを引き抜くと、ぐちゅっ、と情けないような小さな悲鳴がした。

艶やかに糸を引くその様が、また新たな感情を呼び起こす。

けれど俺はそれを無理に振り払い、呆然とする彼女の身体を床に置いた。

「――本当に、朝まで待てないんだ、もう」

服の乱れを整えながら、冷たい感情に身を浸してゆく。
長年の習慣で慣れたものだ、こういう場合にふさわしい台詞も澱みがない。

「服を着なさい。遊びはもうお終いだ」

マヤは泣かない。
媚もせず、怒りもしない。
かつて単純な情熱に満ちた少女は、今や深い謎を秘めた女となった。
一瞬、嵐のような後悔と執着に眩暈を起こしそうになったが、何とか耐えしのぐと、俺は彼女に背を向けた。


END.


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ようやくエロらしいエロ?を出してみました。
こんな感じで、SSは後腐れのないエロ話が中心となっていくかと思われ。
各ストーリーに関連性はあったりなかったり。
登場人物の性格設定も世界観も原作からガッタガタにズレ落ちています……が、書いてて一番楽しいのはSSだったり^^;
長編はいろいろ考えすぎてエネルギー消耗してしまいます。
ちなみに作中、「恐るべき快感と耐えがたい優しさの入り混じる遊戯」という一文はボードレールの詩篇より。
今回久々に読み返してみて、やはり私のエロスのバイブルの一つである事を再確認しました。
続編にあたる作品が『服従』となります。

last updated/10/17

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