第15話


ふわり、と水色の布地の下から現れた姿は、かつてその肌の上を何度となく彷徨いながらも決して目の当たりにすることのできなかった美しい肢体。 冷たく凍えた時も、熱く燃え滾るような時も、いつでも簡単に俺の心を掴んで離さない、毒の果実。 青みを帯びていたはずのそれは今薄桃色に染まりつつあって、 毛羽立つ肌の湿り気や仄かな甘さといったら「美味しそう」という以外、何と表現すればいいのか見当もつかない。 できることならその内側と外側をひっくり返して、何者の侵略(この俺さえもだ)も受けていない未知の子宮を、 小鳥のように蠢く心臓を、艶やかな肝臓やキュートな双子の腎臓に貪欲な唇を押し当て、舌で存分になぞり上げたいところだが、 そればかりはいくら彼女でも許してはくれないだろう。 恐ろしく捻じ曲がった情欲だとわかっているが、この際更に白状してしまうと。 俺はその時、これから起こるすべての過程を取っ払って、彼女の襞を描き分け、赤く甘い子宮を突き抜け、 喉を駆け上がって白い歯の裏側から唇の先へと駆け登り、貫き通すといった、いかにも渇望する雄じみた妄想の虜になっていた。 彼女の内臓が熱くぴくぴくと蠢き、俺の肉と絡み合い、恍惚とする様は気が狂いそうな程綺麗で、淫らで、愛おしくて。 あまりにも長い間片恋の病を抱えていたせいで、そうした妄想だけは人一倍ディティールが細かくて、 白昼に浮かび上がって眩暈がしそうになる事だって一度や二度ではなかったのだ。 だが、再び顔を挙げたマヤを前に、そうした妄想も潮が引くように霧散してゆく。 溢れるような愛情を無造作に目の前に差し出されると、いつも俺は不器用な子どもに還ってしまう。 本当にいいの? 本当に、僕でいいの? だってちっともいい子になんてしてなかったのに。 いつだって君を泣かせてばかりなのに。 何でそんなに優しくしてくれるの? そんなに甘やかしたら駄目だよ──俺が、駄目になるから。 ほら、もうグダグダだ。 そんな誘惑に上手に乗れる程、大人じゃないんだから、本当に。 委ねられるようにして抱かれた白い胸は、想像以上に柔らかく、ふんわりと甘い。 甘酸っぱい香りを放つ、洗い晒しのタオル地のような、春の日差しのような、どこまでも触り心地のいい、暖かで滑らかな質感。 邪魔な固い布地をずり下ろして、指で直接確かめる。 真っ白な肌に固い指先が沈み、僅かに押し返されるのを何度となく確かめる。 その奥で彼女の心臓がはち切れそうな音を奏でているのを、押し当てた頬で感じ取った。 浅く上下する胸の上で、俺はじっとその肌の変化を眺める。 視点が合わない程間近に迫った彼女の胸はまるで巨大な丘のようで、俺の睫毛の先で一秒ごとに風景を変えてゆくのがあまりに面白くて。 つい、無意識に差し出した舌先で丘の頂上をなぞり上げた瞬間。 淡く桃色に煙っていたそこは生き物のように固く形を変え、 産毛の小さな突起がさざ波のように全身に広がっていったかと思うと、彼女の身体はみるみる次の段階へと変化していった。 「あ……」 深く漏れた溜息が要求する。 かつてその身体に刻み込んだ感覚は紛れもなく彼女の奥で息づいている。 差し出された愛情を、彼女の全てを、俺はただ無心で受け取る── かつての思惑に満ちた技法と、この緩慢な動きと、どちらが彼女のお好みなのかは今聞いたところで決して答えてはくれないだろうけれど。 仰け反った喉の曲線を辿りながら、もう片方の手で凹んだ腰骨の形をなぞりつつ、俺はマヤの胸を貪り続けた。 舐めしゃぶり、歯を立てすぎないように我慢しながら喰むうちにマヤは溜息交じりの嗚咽に歯止めが効かなくなった様子で、 それを堪えるように片方の掌の内側を噛んでいる。 俺はその手を口から奪い去り、彼女の背中とシーツの間にしまい込みながら言った。 「もう、出していい──声」 「や……あ」 空いた手で自分の髪を掻あげ、快感に身を捩るマヤ。 そうしてできたシーツの皺の奥へ奥へと顔を刷り込むようにして、更なる感覚から逃げるようにして。 俺は思わずそのもう片方の腕も後手に封印し、白く戦慄く両腿を膝頭で無理やりこじ開けた。 陰鬱な照明に浮かび上がる興奮しきった身体を前に、重く邪魔な自分の肉体との境を今すぐ越えてしまいたい衝動にかられ、 俺は彼女の上に四つん這いになってのしかかる。 嫋やかな身体は簡単に押しつぶされ、脳髄が蕩けるような熱はさらに温度を増して、 彼女と同じく堪えられない溜息と嗚咽を隠すこともなく、俺はマヤに溺れていった。 下半身から突き上げる衝動を無遠慮に彼女に擦り付けてみると、待ち受けていたかのように腰が浮く。 内股に、脇腹に、それから再び腰骨に向かって、狂ったように擦り付ける。 何か邪魔だと思ったら、未だに濡れた衣服が身にへばりついていた事にようやく気づき、舌打ちしながらまどろっこしいそれを脱ぎ去った。 熱い4本の脚を絡めて互いに上下させるうちに昂ぶりはどんどん硬さを増し、興奮は否が応にも高まり、はち切れんばかりに膨れ上がる。 脚の指でマヤの脚の形をなぞるように、肌にその記憶を刻み込むようにして絡み付けてゆくと、マヤもそれに応えるようにして返してきてくれた。 黒髪を掻き分け、涙と汗でびしゃびしゃの頬に、唇に、噛むようにキスをしながら。 抱き締めた腕は背骨を辿り、形のいい尻を掴み上げ、両腿から胸の頂までの肉をたくし上げる。 背中に回された腕をどうにか引き抜いたマヤは、そんな俺の背中に腕を回し、同じように俺の背骨に爪を立て、脇腹からは指の背でなぞり上げてゆく。 「ん……」 漏れた声はどちらのものだったか。 マヤの指はどんどん俺を侵蝕してゆき、やがて薄い舌がそれに加わり、密着した肌と肌の間に紛れ込んでゆき── 気がつけば彼女は半身を起こした俺の上に跨る形で、俺が最初にそうしたように頬をすり寄せ、舌を這わせながら喘いでいた。 「マヤ」 呼んでみると、ふっと眼を開ける。 涙と官能の幕を張った漆黒が静かに俺を写し返す。 その状況に今更驚いたのか、腰を浮かせかけるのを引き止める。 ほんの数十分前に悩んでいたことの馬鹿馬鹿しさに、どうしても笑いが浮かんでしまう。 こんなにも情熱的で、しなやかで、強く美しいマヤ。 俺に抱かれることで壊れてしまうのではないかと怯えていたのは、まさに杞憂に過ぎなかった。 かつてそうだったように、俺に抱かれながら、俺を抱きながら、彼女はまた生まれ変わる。 「綺麗だな」 口にしようとしたら、先に言われたので少し唖然とする。 「え?」 「速水さん、綺麗です」 「──何だそれ」 桃色に染まった頬に手をやる。 赤く濡れた唇に人差し指を差し入れると、前歯で軽く噛まれた。 そのまま引き抜き、顎の先へ落とす。 それから喉、胸の中心、臍の上。 「綺麗なのは、マヤだよ」 「う……よく、臆面もなくそんな台詞言えますね」 「先に言ったのはそっちだろ。いつも人のせいにする」 小さく笑うマヤ。 そんな笑顔は少女の頃とまるで変わらないのに。 そっと伸びた指先が俺の眉間に止まり、鼻筋を通って上唇に降り立つ。 「本当に──綺麗ですよ、ドキドキして、死にそうなくらい」 いいや、その太股が心臓の上にあるなら、俺の方が死にかけていることに十分気づいているはず。 自覚してないところが、ちょっと悪質ってやつだよ、マヤ。 マヤがそっと眼を閉じ、黒髪の雨の中に俺の顔を覆ってゆく。 差し伸べられた舌を受け止め、掻き回しながら、太股の上に置いた指を動かしてゆく。 既にぐっしょりと濡れた布きれに用はないので、隙間からやや強引に指を差し込む。 ぴくりと尻を浮かせたマヤは、俺の頭の後ろに腕を回して衝動に耐えようと身構えた。 「……ずっと、聞いたことなかったけど。今なら答えてくれるか?」 湿った襞は指に吸い付くように馴染み、与える刺激に実に素直に反応する。 此処に触れることなく過ごしていた2年という月日の不毛さに、今更ながら溜息を漏らす。 「何……ですか」 肩を竦め、髪の中に顔を隠すようにしてマヤは呟く。 「俺にこうされるの──嫌だった?」 身体と心は時に裏腹だから。 男はいつも都合のいい解釈をする。 「──や、だったら」 震える指先が俺の肩を掴む。 マヤは何度も息を堪え、膝を立てて、次々と侵入してくる感覚に耐えながら続けた。 「ホントに嫌だったら──こんのなの、しない。  あ、あたしは……っ」 一際強く仰け反った細い腰を支えながら、俺は再びゆっくりと仰向けになった。 うつ伏せになったマヤは俺の顔のすぐ横に顔を沈めると、抱きかかえるようにして腕を回してきた。 マヤの指に髪を掻き回されながら、俺は今間違いなく彼女に抱かれている自分を実感し、その髪の匂いを存分に吸い込む。 「あ、たし──好き。はや、みさんが……っ、すき。  こう、されるもの──何をされても、す──ふっ、あ、ああっ……」 甘い告白は啜り泣きの中に消えてゆく。 優しく緩慢な指の動きは、突然激しく性急さを増す。 俺は昇り詰めてゆくマヤの甲高い声に痺れながら、抱き締める腕に力を込めた。 まるで此処は外の嵐みたいだ。 生温くて、複雑で、我慢ならない痛みと、心地よさに中から打ち時雨れて。 やがてぐったりと力の抜けゆく、汗ばんだ背中をそっと撫でながら。 指先に残る彼女の雫を唇に含み、囁いた。 「ああ、俺も大好きだ──マヤの全部、丸ごと愛してる」 「あ──」 い、してる。 また、そんな事簡単に言うな、って顔してるだろ、その髪の中で。 確かに、真実を表すのに言葉はいつだって酷く無力だ。 だから作家は死ぬほど頭を悩ませるし、役者は身を削ってそれに命を吹き込もうとするんだろう。 美辞麗句を操ることに長けた汚い大人はいつでも言葉を軽々しく弄ぶ。 ──今のは誓約書だ ──俺を利用することはできる 何だって素直に伝えられなかったんだろう。 年の差だとか、複雑な因縁だとか、諸々のしがらみなど、真実には太刀打ちできないというのに。 言葉が如何に無力であったとしても、それは伝えられるはずだった、そうすべきだった。 君が好きだと。 君が必要だと。 俺を見てほしいと。 俺に優しくしてほしいと。 不器用でも、無様でも、そう伝えるべきだったんだ。 マヤ、マヤ、マヤ。 不安で堪らないんだ。 信じられないだろうけど、君がほんのちっぽけな頃から、俺は君が怖くて、羨ましくて。 だから手を伸ばしてしまった、君を掻き乱してしまった、それでも強く美しい君にますます狂わされながら。 「愛してる」でもまだ足りない。 全然足りない。 やっぱり言葉は不完全だ──なあ、マヤ、そう思わないか? メキメキと、実際そんな音はしないが、間違いなくそれに近い音が彼女の中心を引き裂いている。 下半身から背骨を伝って脳髄を喰らい尽くす感覚は、このまま本当に狂ってしまうのではないかと思うほどの力で俺を翻弄し、 その衝動のままに俺は叫び、悶え、揺さぶった。 見えてもいない自分の内部の細胞の動き、マヤの肌を朱に染める血潮の流れに一体となるかのような陶酔感。 垣間見た妄想と現実の境目がわからなくなるようなグロテスクな快楽の虜。 マヤの肉を引き裂き、彼女の痛みを押し広げ、唾液を啜り上げる。 時間の止まった冷たい部屋の空気が、血と汗の匂いに塗れてどんどん濃く淀んでゆく。 ずっとずっと、こうしていたかったんだ。 この青白い身体に深く沈み込んで、全てを埋めて──君を征服したいんだと思ってた、でも違った。 君に平伏したかった。 君に許しを請いて、その中に全てを委ねて、できることなら泣いたってよかった。 小枝みたいなその腕で軽く抱き締めて、ちょっとだけ言ってくれたら、もうそれで充分だ。 「速水さん、大好きよ」 「ずっとずっと、紫の薔薇の人だって、知る前から、きっと」 「あなたのことが、誰よりも好き」 ──もう、本当に、死んだっていい。 「でも……こんなに痛いなんて、ちょっとムカつく。  ズルい、なんで自分だけそんな──気持ちよさそうなの?」 涙交じりのその台詞に、不意を突かれた俺は心の底から笑った。 情事の後とも思えないほど子供じみた、馬鹿笑いが止まらない。 淀んだ空気があっというまに暖かくなり、まるで居心地のいい巣みたいだ。 笑って笑って、その絶え間ない動きに押し潰された彼女が本気で苦痛の悲鳴を上げたので、俺は仕方なく彼女の内部から這い出した。 少し身体をずらし、まだじくじくと痛むのであろう彼女の腹の上に手をやると、少し怒った、でも優しい微笑みを浮かべた彼女の手がそっとその上に被さってくる。 その時ようやく、窓を叩く雨粒が小さく、霧のように柔らかになっているのに気がついた。 幸せ、という言葉の本質を理解したのは、多分生まれて初めての経験だったと思う。 マヤによって、俺もまた見事に死の淵から蘇ったのだ。 web拍手 by FC2

「なんということでしょう…14話まで費やしてきた真澄君の悶々が、匠のたった1話で雲散霧消してしまいました…!」
嘘です。土台はしっかりしてると思いますが結構な突貫工事かと思います。でもいいのです。いつか建てる夢のマイホームへの第一歩です、きっと(涙
次回、最終話〜 は、東京でUPしたいと思います。久々だなぁこの展開(笑)  

last updated/11/04/02

inserted by FC2 system