第7話


「巴麻里が謝罪してきたそうですわ」 その日、社長室に現れた水城の報告に俺は眉を上げた。 「ええ、直接、彼女がマヤに伝えてきたそうです。以前車へ投げ込まれた抗議文と、撮影妨害の一部について──  彼女の取り巻き達が中心となってやっていた様ですが、勿論彼女自身もそれは知っていた様ですから。」 「何がきっかけで謝罪を?」 「強いて言うならばマヤの才能、でしょうね」 水城によれば、先日の撮影の小道具に仕掛けが施してあり、知らずに使用したマヤはNGを出した。 が、その窮地を利用し、機転を効かせて挑んだ二度目の演技はNG前よりも抜群に素晴らしく、スタッフの感嘆を集めたという。 それはその場面を見ていた巴麻里にも伝わった様子で── 「──が、それで全て解決したわけではない、と」 「ええ──」 大河ドラマでの沙都子の人気は絶好調で、常にマスコミを賑わせている。 それに比例して、彼女への妨害工作の数も半端ではなった。 あの日、撮影所に彼女を送った日も。 別のスタジオに顔を出す用があり、一旦水城に預けてから再び出向いてみると現場は大混乱だった。 中が停電になり、扉が開かないと騒ぐスタッフ達の話を聞くと、中で船のセットのマストが折れて沙都子が──マヤが宙吊りになっていると言う。 そしてようやく開いた扉の先に見えたのは。 「──里見との交際は?」 「交際も何も、現場で会って話す以上のことはない──はずですわ。私が見ている限り。  ただ、彼の方があまりに開けっぴろげなので──いつスクープされてもおかしくない状況なのは確かですね」 「成程」 俺も水城もそれ以上は何も言わない。 暫しの沈黙の後、水城の方から切り出してきた。 「例の、部屋への侵入の件。あの犯人は見つかりまして?」 「おそらく黒幕と思われるプロダクションは押さえた。  が、誰を使ってきているのか──それがわからない。マヤの近辺に怪しい人物は?」 「怪しいといえば皆怪しく見えてきますけれど──気になるといえばやはりあの子ですね」 「乙部のりえ──」 数ヶ月前から、マヤの付き人と称して近辺に纏わりついている少女。 熱狂的なファンとのことで、特に問題を起こしているという訳ではないが、馴れ馴れしすぎる、というのが水城の不審を買っている様だった。 一度、俺自身の眼で確認してみた方がいいだろう。 「今日のマヤのスケジュールは?」 「かなりタイトです。今朝から雑誌の取材を三本、昼食後に日向電気のイベントに秋葉原へ。  撮影所には夜8時から入り予定──ですが、彼女の出番は深夜近くになると思われます」 「わかった──時間が合えば撮影所に向かう」 水城が去る足音を聞きながら、苦々しい思いで煙草に火を点ける。 あの日のマヤへの約束が守れていない自分に対する嫌悪感── ……何が、心配するな、だ。 彼女への妨害は一向に収まる気配を見せない。 幾つかの犯人の尻尾は押さえ、それなりに圧力をかけておいた。 だが消しても消しても火の粉は燻り続ける。 ある程度の妬み嫉みを受けるのはスターへの階段を登る者としては仕方のない事だし、 またそれを跳ね除けて前へ進まないことにはスターの座を得ることなど不可能だ。 その点、マヤは大した神経の持ち主だった。 テレビの沙都子からは、とても裏で陰湿な嫌がらせを受けている北島マヤの素顔をうかがい知ることはできない。 だからこそ、気丈で明るい仮面の下の彼女の状態が気がかりだった。 俺などに心を許すはずはないとわかってはいるが、 ならばせめて彼女の支えとなるべき存在については把握しておくべきだろうと、密かに里見茂の動向も探らせていた。 そして彼は今の彼女にとって申し分ない存在であることを嫌という程理解させられる。 あれだけの人気を誇りながら、少しも気取ることなく明るい性格。 内気な彼女も彼とは自然体で接することができる様で、つまりはまあ、お似合いのカップルである、という事実。 だが気がかりなのが彼の取り巻き連中の女の子達だ。 ああいう少女達が本気を出した時の結束力と行動力は時に”大人”の理解を越える。 俺の直感が正しければ、おそらく郵便受けの猫は彼女達の仕業だろう── もし、里見との関係が公にでもなれば、マヤに具体的な報復手段をとるであろうことは明白だ。 それにしても、あの壁の脅迫文。 マヤの母親、という、自分のささやかな良心が痛む原因を突いてくるのが忌々しい。 あの時のマヤの不安定な表情──あれ以来、何かにつけ俺の気分を滅入らせる、彼女の涙。 彼女の母親は生きている、それは事実だ。 彼女と対面させてやった時の二人の姿を想像するのは密かな俺の喜びでもあった──情けない人間だと思われようとも、心の底には確かにその欲望があった。 もしかしたら、彼女は俺に感謝してくれるのではないか。 いつものあの、一歩引いたような不安な眼ではなく、感謝と希望に溢れた眼で俺を見てくれるのではないか。 それと同時に──かつてマヤと同じように、母一人、子一人の世界で、唯一のその存在だけを支えに生きてきた自分。 その過去の自分が手厳しく糾弾する──それで本当にいいのか、と。 かけがえのない存在を他人の利己心により傷つけられ、失った悲しみと憎しみ。 それを誰よりも知っているのはお前ではなかったのか…… 吸いかけの煙草を押し消して、頭を振った。 今はこうしたことを考えるのはやめよう。 ただ仕事に打ち込めばいい、彼女は彼女の仕事を、俺は俺の仕事を。 冷血漢はそれらしく振る舞うべきで、そんな風に彼女を思いやった所で、きっと何にもならない。 俺と彼女はきっと永遠に水と油の仲で、そうでなければ関係は成り立たない。 だが俺には紫の薔薇がある── それさえあれば、何とか生きてゆくことができる。 web拍手 by FC2

last updated/11/03/09

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