第5話



日本人の三人に一人が「興味ない」のが今年のクリスマスらしい。
だとしたらあたしは絶対に残り二人の一人に入る、と思う。
ただし――超楽しみ、とかそういう意味で「興味がある」訳じゃないけどね。

イブの前夜にカワイイ女の子を振る、という最低の所業をしでかしたあの男。
ヤツに復讐してやる、ってことだけであたしの頭の中は一杯だ。

アタシよりずっと年上で、まあオッサンの割にはカッコよかったし?
何より物欲塗れの貧乏女子高生にとっては有り難〜い金ヅルだった。
会ってちょっと甘えてみせただけで適当に何か買ってくれる、それも同世代や2,3コ程度年上のオトコには絶対できないようなスマートなやり方で。
それだけで花マル、の彼氏だったし、そんなあたしの思惑だって全部ひっくるめて割り切って付き合ってるはずだった、アイツも、あたしも。

だってアイツの方がずっと大人なんだから。
あたしは誰もが認める可愛いオンナノコで。
何と言っても今が盛りの女子高生なんだから。

その価値があるうちに思いっきり楽しむべきだってのが大抵の女の子のポリシーだと思うし、アイツだってこの若さと美貌を存分に利用しまくって得してた訳だから。
だから――だから、せめてクリスマスくらい、どこにでもいる恋人同士を演じ続けるべきだと思わない?年内に捨てる気満々だったとしても、さ。

「……ってか、フツーそうするだろ、普通!?」

イラっとしながら叫んだら、通りすがりの女がギョッとした様にこっちを振り向いた。
全身甘々デート服、ですか、そうですか。いいですね。あたしときたら、いろいろ悩んだ挙句久々に制服だし。ガッコ―なんか一週間近く行ってないっての。あ、そういや昨日から冬休みなんだっけ?まあどうでもいいや。

吐く息の白さとか、思わず口元に摺り寄せちゃう指先の冷たさとか。
コレがね、彼氏と待ち合わせで――なんて状況ならいくらでも楽しめるワケよ。
でも復讐の為だけに待ち伏せてる身としてはかなり辛い。
何で制服かっていうと、勿論公衆の面前であの男のメンツをズタズタに引き裂いてやるため。呆気にとられたアイツの目の前で、アイツに買ってもらったヴィトンのバッグの中から「証拠品」を雪のようにバラ撒いて、青くなるアイツの制止を軽く交わして大声で叫んでやる。


皆さ〜ん、聞いてくださ〜い、この男はねえ、澄ました顔してすんげーロリコンなんですよ、20コも年下のじょしこーこーせいとふじゅんいせいこーゆーしてたんですよ、そのコが何と中学生の時からね、異常っスよ異常。でもって自分の結婚が近くなったら平気な顔で捨てちゃうくらいかいしょーなしなんですよ〜?有り得ないっすよね?だって別れようっつった10分前にはアタシとSEXしてたんすよ?いい年した大人の癖にアタシのパンスト履いてハアハアしててさ、「エコ、もう駄目〜」なんてキモい声で叫んでたその口でいきなり「もうこれで最後にしよう」って、意味不明ですよねええええ???


ああ……その瞬間を想像しただけで、ゾクゾクしちゃうね。超楽しみ。
ホントはこのご大層なビルの中に駆け込んで、オフィスのど真ん中でやるのが一番効果的なんだってわかってるんだけど。
でも悔しい事に、あの男、その辺の情報はうまい事包み込んで絶対に明かしてくれなかったんだよね、どこの部署にいる、とか何とか。

でも、長い付き合いの間に時々耳に入った携帯での会話とか、滅多にしない仕事の話の断片とかで、薄々気づき始めた、奴がギョーカイでも超一流の事務所に勤めてるって事。
大都芸能っていう、別に芸能界の事なんて全然興味ないあたしなんかでも名前くらいは知ってる大手企業だ。
付き合い初めの頃は別の事務所で企画だか何だかやってたみたいだけど、その後で転職したっぽい。
何でも超やり手のそこの社長に直接ヘッドハンティングされたんだとさ。

仕事は鬼みたいに出来る、おまけに顔もスタイルもそこらの俳優顔負けにイケてて、何より人心の掌握が最高に上手い――って、その社長の事を話す時は妙に浮かれた目をして語るから、コイツ実はロリなだけじゃなくてその気もあるんじゃないかって一瞬疑ったよね。
あの手の業界人ときたらいかにもそれっぽいじゃない?
でもどんだけ偉くて凄いか知らないけど、いい年したオッサンかお爺ちゃんでしょ、シャチョーさんっつったら。

「それがエコ、見たら絶対驚くぞ。俺よりずっと若い、今年26だっけ?」

へえええ。
その年で、大手企業のトップで、如何にも仕事の出来るっぽいコイツをライバル会社から引き抜いちゃう程凄腕の社長――か。
ちょっと気にはなったけど、いくらアタシでもそこまで野望があるわけじゃない。
それっきり、会社の話題が持ち上がる事はなかったし、あたしもすっかり忘れていた。
復讐してやろうと思い立った――昨日の夜までは。

と――その時。
冷え切った膝頭を摺り寄せながら足元のタイルだけを見つめていた視線の先を、音もなく大きな靴が通り過ぎて行った。
ツヤっツヤに磨き抜かれた濃茶色のダブルモンクストラップ。
どこか見覚えもあるような、その澄ましきったラインは――
その一瞬、胸がぎゅっと情けない悲鳴を上げてしまう。
悔しい。あんな男のせいで、なんであたしが。

「ちょっと……」

と、顔を上げたその先の背中を見て。
あたしは思いっきり目を丸くした――ガッツリと盛り込んだ睫が落っこちそうになる位。
……顔はそこそことはいえ、アイツはそんなに背の高い方じゃない。
でもあれは絶対180超えてる、下手したら90いくんじゃ?
何より、アイツはスラッとした体格ではあったけどどっちかっていうと細身だった。
あんな風に、マネキンか!っと突っ込みたくなる位均整の取れた骨格でも何でもない。
ってか腰の位置がヤバイって。あたしだって幾つか読モを兼ねてる位だからスタイルには自信あるけど――あの隣に立ったら足が短く見えてしゃーないんじゃないか?
でもって全身これ隙ナシ、って感じで、でもイヤミなくまとめられたスリーピースのスーツ――ブラウンだぞ、よく着こなせんな、あんなの。

――じゃ、なくて!!

あの妙に柔らかそうな髪の毛。
深々と頭を下げる運転手からキーを受け取って軽く頷く、あの取り澄ました横顔……
忘れられる訳がない、この復讐を思い立たせてくれた張本人の、あの男!!

「……ちょっと、そこの変態!!」

ヤツの為に用意していた大声で叫んでやったら、運転手始め、周囲を取り巻いていた数人の大人達が唖然とした顔でこっちを振り向いた――あの男、も勿論。

「びっくりした〜アンタも此処の会社の人なわけ?さっすが、変態は変態を呼ぶってか」

本人規格ではかなり控えめなギャルメイクとはいえ、首から下は制服姿、のあたしの姿を見て、偉そうな大人達はますます不審そうにあたしを見つめた。
誰も彼もが、君と私たちでは住む世界が違うんですけど何か、って顔で見てる。
段々ムカついてきた――大体アイツが今この建物の中にいるのかどうかもわからないんだから、もしあの男が関係者なら聞き込み調査してやるのもアリだな、なんて考えてたら。

「何だ、昨夜のお嬢さんか。その制服は一ツ星学園だな?」

「は?」

お嬢……さん?ってか何で制服見ただけで学校名言い当てちゃうの。
この男も自分で言うだけあって相当な――と、口をぽかんと開けてたら。

「ちょっと君――学園関係者なら専用窓口があるだろう、一体何の用だね」

中でも年配の、威張り腐ったオヤジがあたしの腕を掴んで睨み付けてきた。
その手を払いながら、

「は、別に学校関係ないっすけど。このオッサンに用があるんです」

「――おい、この子を追い払え、社長に対して何て失敬な……」

すると、半ば運転席に入りかけた姿勢のままでそのやり取りを眺めていたそいつが、

「いや、いい。何だっけ、名前。俺に用なんだったら日を改めるか――途中まででよければ中で話を聞こうか。生憎立ち話してる時間がないんでね」

「え、社長、しかし――」

慌てた表情の周囲に、その男は――
認めよう、確かに、恐ろしくルックスがいい事だけは。
その顔に、余裕の微笑を浮かべながら、言った。

「女の子の突撃には耐性ができてるからな、それもそこの制服の女の子は特に」

深夜のボーリング場で、最初に彼だと間違えてしまった一番の原因。

それは痺れる様に低くて甘い、深い声で――


社長、と呼ばれた男は、さっとボンネットを回ると、長い腕を優雅に動かしてドアを開いて見せた。こんな高そうな車、勿論乗ったことなんてない。アイツでさえ、こんな風にお姫様を扱うみたいに完璧なエスコートなんて出来ないだろうな……と、段々訳がわからなくなってボーッとしてきた頭の片隅で考えた。
だけど――脚は勝手に動いて、滑り込んでしまう。

パタン、と扉が閉まる。
窓の外には一体何事だ、と顔を見合わせる顔、顔、顔――だけど声なんて聞こえない。
再びパタン、と扉が閉まると同時に、ドキドキする程甘い薫りが漂ってくる。
イブの夜、ゲーセンで逆ナンを仕掛けたその時は。
確かにあの時も澄ました格好だったし、一度気づいてみれば明らかにその場から浮いた雰囲気の男ではあった。でも決してこんな風に洗練された――あたしなんかの貧相なボキャブラリーじゃうまいこと表現できないけれど――兎に角、こんな風に、居心地悪い位ステータスの高そうな男ではなかったんだけど。

「……社長さん、だったんだ、ココの」

酷い言葉で呼びとめた癖に、何故か力のない声で。
まだ昼過ぎなのに、薄暗いような空気――きっと今夜も雪になるんだろう。
恋人たちにとってはうってつけの、ホワイトクリスマス――に、なるのかな。

「まあね――しかしまた何で待ち伏せてたんだ?まるで誰かさんみたいだ」

クスクスと笑う、その横顔をそっと窺いながら、心の中で何度も溜息をつく。
ヤバい――本当に、カッコよすぎる。
運転する男が普段の三倍イイ男に見えてしまうのは差し引いたとしても。
昨夜出会った時にはやや乱れていたその髪の毛は綺麗に撫でつけられて、胸元から覗くポケットチーフから察するに、どこかパーティーにでも出かける所なのかもしれない――いや、アイツもそうだったけど、普段のスーツでポケットチーフしてる気障っぽい男は結構いるし、ましてコイツは社長サンらしいからわかんないけどさ。

「別に待ち伏せてないし――」

ふて腐れたように呟いたら、信号待ちなのをいいことに突然爆笑し始めた。
なんだコイツ、キモい、ヤバい――と眉をしかめたら、ああ、すまん、と苦笑いしながら緩んだ口元を引き結ぶ。
――ああ、わかった。これは上機嫌な……というか、浮かれた気分の人間なら誰だってやりそうな――何を見ても何をしても可笑しくて仕方ないって、そんな所なんだろう。

「楽しそうだね、オジさん。昨日の夜は女王様と上手くヤッたんだ?」

ニヤッと笑いながら言ったら、イヤミのつもりで言ったのに平然とした口調で

「ああ、お蔭様で。長年のうっ憤も晴れた上にとんでもないご褒美まで付いてきた。
 君には感謝するべきだな。あの珍事件がなかったら、こう上手くはいかなかったかもしれん」

「何ソレ。意味わかんない。長年――って、どんだけ気長な放置プレイしてたの?」

「……君、一応高校生だろ。見た目より賢そうなのに、何処でそんな言葉覚えるんだ一体」

呆れながらこっちに投げられた視線は、思いの他優しい――というか、ちょっと心配そうな気配まで漂っていたので。
何故か赤くなってしまいそうな顔を慌てて窓の外に向けて、何気なしに続ける。

「オジさんだけじゃないんだね、大都芸能ってヘンタイだらけなんだ。
 そーいう業界人ってみんなそんなもん?」

「おい、一応言っとくが。昨日のアレは君らを追い払う為の切り札であって――
 で、大都の誰に用があったんだ、誰が変態だって?」

「あんたにヘッドハンティングされたっつってたから知ってるんじゃない?
 田邊啓二ってオトコ。部署とかは知らないけど」

「田邊――ああ、はいはい。……で、彼と君に何の関係が?」

「一昨日フラれたの、ヤツに。中学の時からあたしの――なんていうの、ああいうの。
 えーと、パンタロン、じゃなくて……」

「パトロン?」

「ああ、それそれ。時々会ってセックスする代わりにちょっとしたご褒美貰う、みたいな」

「……それがパトロンの全てじゃないがな――マジか。中学生から?
 ――そんな話は聞いてないぞ……というか彼は既婚者だって知ってたか?」

「――知らない」

ああ――最悪、ホント最悪のクリスマス、だよね。
不覚にも――涙が、一粒、ぽろりと。
まるで「女の子」みたい。
フラれた時にも泣かなかったのにさ……

シン、と静まりかえった車の中で。
絶対に鼻なんか啜るもんか、と決意しながら。
何気ない素振りで、制服の裾でぬぐおうとした――ハンカチなんて持ち歩いてないし。
すると――絶妙なタイミングで横から差し出される、如何にも高級そうなシルクのハンカチ。

「いいよ、別に――いらない。何か高そうだし、後でクリーニング代ボられそう」

「そんなケチ臭いことするか。いいから使えって」

遠慮する、なんてあたしらしくもないので。
あっそ、と呟きながらその長い指先から引っぱり抜いてやった。
冷たいけれど、ふわっと柔らかな上質の感触――あたしの真っ黒なシャドウで汚してしまうのがほんのちょっとだけ申し訳ないような気分になったけれど。
仄かに漂う甘い薫りまでもがムカつくくらい大人で、アイツを思い起こさせて、仕方ない。

どんどん溢れ出る涙。どうしよう、止まらない。

昨日、酷い言葉であたしを泣かした男の横で、また泣いてる。

泣き真似のつもりだったけど、あの台詞は結構胸にこたえた。
コドモはあくまでコドモなんだと思い知らされた――
お前なんかどれだけ背伸びしたってこっちのラインには踏み込めないんだ。
お前に用なんてまるでないんだ、と、嗤いながら突き付けられるような。

わかってるよ、そんな事――最初っからわかってた。
ずっと年上のアイツがあたしの事、気紛れに可愛がって時々性欲を満たす以外の存在としてしか認めてないんだって事くらい、何度も何度も心の中で言い聞かせてきたよ。
でもね――やっぱ、コドモとはいえ下地はオンナ、な訳で。
あんなオッサンとはいえ、どこかで期待しちゃってたんだよね。
他に付き合うような、釣り合いの取れた男なら幾らでもいたのにさ。
モテモテのエコさん、男運は結構ないんだよね、友ダチの前では絶対言えないけど。


睨み付ける様に見つめた先の標識から、車が銀座方面に向かっている事はわかった。
どんどん暗くなってゆく空気――そっと触れた窓ガラスは痛い程冷たい。
すっと流れてゆくのは、溶けた雪なのか、氷混じりの雨なのか――
有り得ない状況のこの車の中は妙に温かいのに、外とあたしの心は痛々しいくらい、寒い。


「昨日の女王様とは――いろいろあったんだ。それこそ、彼女が中学生の頃から」

ぼそっと、呟く声。

「……あんたもロリコンかい」

「かも、ね。でも俺は君の元彼と違ってそう簡単に手は付けなかったぞ?
 まあ何の言い訳にもならんだろうが――何より、彼女は恐ろしく俺の事を嫌ってたから」

「ふうん。遠まわしにSMしてたってわけだ、お互い無自覚で」

「――あのな、何でもそんな風に受け取ると……まあいい。
 君の元彼がやってきた事や、俺が彼女にした事の全てが許される訳では勿論ないし――
 その罪や、しっぺ返しは――君のやらかそうとしてたであろう復讐も含めて、甘んじて受け入れるべきだとは思ってる。それが大人の――最低限の責任、だろうから、でも」

思わず、その整った横顔を凝視する。
後で名前を知って、これまたいかにも名は体を表す感じなのが癪に障ったけれど。
でも確かにその名の通りだと――
その澄み切った、少し寂しそうな眼を思い出す度に、そう思ったのだった。

「それでも求めてしまった事自体には一片の悔いもないし、今後も求め続けることは間違いない――認めるのには恐ろしく時間がかかったけれど、な。俺は」

「自覚したら開き直った、ってコトね」

「そう、そういう事」

うらやましいな――なんて、言うつもりはなかったのに。
ぽつん、と呟いたら、目的地に辿りついたのか車が静かに止まる。
窓の外を通り過ぎてゆく人種のステータスが隣の男と見事に一致する、笑っちゃうくらいあたしには不釣り合いなその光景。

「羨ましい?」

「そ。アンタの女王様が――羨ましいな、と」

「またどうして」

「――だってさ、あの男は絶対、社長サンみたいなこと思ってないもん。
 アンタって変態だしヘタレだけど純情なトコあるみたいじゃない?
 でもアイツの場合は――完全に利用されてたもんね、あたし」

「……酷い言われようだが否定はできんな。
 しかしまあ、勝手な事言うようだが、田邊だってどう思って君と付き合ってたのか、君だって直接聞いたわけじゃないんだろ?」

「そんなの長いコト付き合ってたらわかるっしょ、ニュアンスで」

「どうかな――どれだけ時間を重ねても、肝心な事は言葉に出さなきゃ伝わらない。
 ……あんなつまらない男の事は忘れろ、っと言うのは簡単だが。
 全部が全部酷い思い出ばかりだった訳じゃないなら――それだけでも君の心の片隅に置いといてもらえると――馬鹿な大人の一人としては、ちょっと救われるかな」


もうダメだ――あんな酷い目に合ったってのに。
この年上趣味は当分治りそうにないかも。
……なんて、ドキドキと跳ね上がる鼓動を持て余しながら、あたしは思った。
昨日のあの汚物でも眺めるような視線は何だったんだ、コイツ変態の上に酷い二重人格――と貶めようと頑張ったけど、無駄。
大きな掌が、ふわりとあたしの頭の上に乗って――軽く、ぽんぽん、ってされてしまった。
コレが嫌いな女子なんているはずがない。
ましてこんな、見た事もないような完璧な男前にされちゃあね。
さしものエコさんも純情オトメに早変わりしてほっぺたピンク色になっちゃうわけですよ。

――と、その時だった。

僅かな振動音に、掌が離れてゆく。
パチン、と携帯を開いた瞬間の、落ちつた素振りに見せかけた焦り顔ときたら。

「もしもし?ああ――じゃあ迎えに行くからそこで待ってろ――いや、駄目だ。
 また降り出してきたから濡れると――あ……ったく、人の話を聞かん奴だな相変わらず」

喋りながら外へと泳いでいた視線が、ある一点で立ち止まる。

右手でさっと横切った曇りガラスの隙間、彼の掌の幅だけクリアになったその先に。

ぼんやりと滲んだ街の中、艶やかな黒とゴールドの扉の前に、一瞬花の精か何かと思うくらい可憐な――女性が、佇んでいた。

花の精だなんて、あたしの乾いた心じゃひっくり返っても出てこないようなインスピレーションだけど。
でもその瞬間は確かにそう思ったのだ。
そして多分、それは隣で一瞬小さく息をのんだような――彼も、きっと。

何も言わず、彼は勢いよくドアを開いた。
さあっと、冷たい風が吹き込んできてあたしの髪を揺らす。
何もかも完璧にこなすのであろう彼が、その瞬間は完全に全て、放っぽり出して走っていった。涙が止まったばかりの車内の女子高生の事も、通りすがりの人の視線も、自分の立場だとか何だとか、何もかも忘れて。

あっという間に彼女の前まで辿りつくと、一瞬の間もおかず、抱きしめた。

ちょっと驚いたような彼女は、でも次の瞬間、ふわっと花がほころぶように淡く笑った。

大きな彼の肩にぎゅっと包み込まれた白い花びらは……

ちらちらと舞い散り始めた粉雪の中で、まるで夢みたいにキレイだった。

決して消えない夢――なんて幸せな……クリスマスの奇跡なんだろって。

いつまでもいつまでもその光景を見つめながら、何故か泣き笑いで。

そんな風に、あたしは思ったのだった――

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初雪舞い散る中別花求めて書店に走り、まさかの萌え展開に身も心もガクブルで迎えた2010年クリスマス。
マスマヤの衣装は一緒に買った『UOMO』と『ELLE』の写真からイメトレして描いてました。
曖昧描写でアレですが、シャチョーはDOLCE&GABBANA,マヤちゃんは2010年春コレのシャネルのオートクチュールドレスです♪
ライラにとっては萌え尽きたのみで終わったクリスマスでしたが…それで〜いいのだ〜それで〜いいのだ〜ボンボン…by クレモンティーヌ

last updated/10/12/25

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