第2話



コンコン・・・・・・と、ノックの音と同時に男の声が届く。

「北島さん、大丈夫?さっき速水社長がもの凄い剣幕で歩いてるの見かけたけど」

「まだ話は終わってない。後にしてくれないか」

マヤの膝の上に頭を載せたまま、真澄はあくまで不機嫌な一喝を下した。
今にも開きかけた扉の向こうで、「げっ」っとひしゃげた声が聞こえた。
慌てた足音が遠ざかるにつれて、堪えきれなくなった二人は声を忍ばせて笑い出す。
あのままドアが開いてしまえば、犬猿の仲で有名な女優とその所属事務所社長の真実の姿が白日の元に晒されたはずだったのだが。

「速水さん、絶対俳優さんになるべきだったんですよ。勿体ない」

「俺の得意なのは本心を隠すことくらいだ。
 他の人格の仮面を被る才能は持ち合わせていない」

息苦しい空気はいつのまにか消えてしまっていた。
真澄はようやく腰を上げ、まだ笑いの余韻の残るマヤに両手を伸ばした。
長い指先が熱い頬を掠り、顎の線を辿って喉元に落ちる。

「――俺にも褒美が必要だ」

「え?」

僅か一歩でドアの前に進み、申し訳程度の鍵を閉めたかと思うと、あっという間にマヤを椅子の上から抱き上げる。
そのまますぐ側にあった会議テーブルの上に押し倒し、肩からローブを引き剥がす。

「ちょ、ちょっと――速水さん!」

抵抗する間もなくワンピースの背中が開放され、すとんと床の上に白い花が咲く。
青白い蛍光灯の下に、真っ赤な下着をだけを纏ったマヤの身体が浮かび上がる。
真紅の薔薇が彼女の一番美しい部分だけを覆い隠している、その鮮やかさ。
白い肌にみるみる朱が広がってゆく様を一瞥して、真澄は慄くマヤの細首を強く吸い上げた。

「お願い、ホントに・・・・・・また誰か来ちゃうから」

「なるべく手早く済ませる。君がイクまで待つ気もないし」

「っ・・・・・・ひ、」

「酷いのはどっちだ?こんな姿を今夜どれだけの人間に見せたと思ってるんだ君は。
 できることなら一人一人の記憶を消し去ってやりたいところだが、残念ながら不可能だ。
 これくらいの我侭は許せ」

低い声で素早く囁き、羞恥と焦りで再び泣き出しそうになったマヤの唇に左手の指を差し込む。
右手は下着の上から円やかな胸を揉みしだき、かと思うと肌の上を刷り込むように這い回り始めた。
腹の上から太股の隙間を、膝の裏を辿って足首を高く掴み上げる。
普段と違う荒い愛撫にマヤは戸惑いながら、そのくせ徐々に下腹の奥が甘く疼き始めたのに気付いている。
つい先程まで自らの弱さをマヤの前に晒け出していたはずの真澄は、今や全く違う姿でマヤの体中のあらゆる箇所に自分の痕跡を刻みつけていた。
テーブルの上に片足を広げた状態で横たわるマヤは、両手で眼を覆ったまま小さく息をする。
声にならないように、喉の奥でかき消しながら、何とか息をする。

「演技とはいえ、絶頂を迎えられない君を観るのは酷く複雑な気分だった。
 信じたくはないが、仮にも君は天才女優だし――俺はうまく騙されたこともあったか?」

「・・・・・・ルーシーとあたしは違う」

「でも演じられるからには、君の中にそういう要素があるんじゃないのか?」

「想像、してみたんです――大好きな人に、触れられても……よくないって、感覚」

「本当かな」

「もう、どうして――」

はあっ、と、甘い吐息に抗議の言葉が消える。
そう、そんな感覚なんて、マヤは知らない。
真澄に触れられる寸前から、既に肌は粟立ち、予感に熱くなる。
触れられればそこから痺れるような快感が広がり、それは瞬く間に周囲に飛び火する。
足の裏から背骨を高速で駆け登り、散ってゆくそれを捕まえたくて。
身体は無意識に痙攣し、ねじ曲がり、当てもなくただ真澄の皮膚に爪を立てる。
いつもなら、その身体は優しく彼女を受け止めて、徐々に徐々に高みへと誘ってゆく。
だが今夜は違う。
求めに応じることも、感覚を交わし合うことも拒否して、真澄はただ自分の思うが侭にマヤを扱う。
まだ十分に準備の整っていない繊細な部分に、乾いた方の指を差し込むことさえ、躊躇せず。

「い、や・・・・・・」

痛みに眉根を歪めるマヤに、少しだけ挫けそうになる。
が、もう止められない。
マヤの口の中に入れていた指を引き抜いて、唾液にまみれたそれを代わりに差し込んだ。
侵入を拒んでいた部分がやっと馴染み始める。
指の角度を変えながらゆっくりと掻き回す。
薄いドアの向こうから、忙しげなスタッフの会話や物音がぼんやりと伝わってくる。
それは時折ギクリとする程近くで聞こえ、行為に没頭したいマヤ本来の欲望に水を差す。

――ふと、訳の分からない寂しさが胸を突き上げてくる。

ルーシーの欠片はやはりまだどこかに残っているのかもしれない。

好きだけど。
この人の言葉、微笑み、仕草、熱い肌も、吐息も、魂全てを愛しているけれど。
けど、完全に二人の魂が繋がり、絶頂に達した瞬間、猛スピードで離れていくあの感覚。

彼岸の彼方に、愛する分身がいる。

全てを超越すると同時に崩壊する、耐えがたい寂寞感――今は、それが怖い。
ああ、もしかするとルーシーはそれを本能的に避けていたのかもしれない。
彼女は達せないのではなく、達するのが怖かったのかもしれない。

真澄はふと顔を上げる。
マヤは蒼白な顔で、苦しげに自分を見つめている。
身体の反応よりも雄弁にものを言うその瞳が、真澄の胸を無数の後悔の針で突き刺す。
間違っているのは十分わかっている、だけど、これはそんなにも決定的なことだっただろうか。
どんな形であろうと彼女と繋がらずにはいられないこの身体は、脆弱な精神は、遂に彼女を失ってしまったというのだろうか。

嫌だ・・・・・・

そんなことは、認められない。

そうだ、ただ彼女の肌が万人に晒されることだけが嫌だったんじゃない。
あの芝居の怖さの本質はそこにあるのではない。
どうしようもないほど愛しているのに、愛されているのに、繋がった瞬間そこにはとてつもない孤独が待ち受けている。
あの芝居は、マヤの演技は、その痛みをリアルに表し、観客に迫った。
そしてマヤにたった一人愛される男を酷く苛んだのだ――

たった一瞬で、マヤは真澄の苦悩の襞を十分に理解した。
それでも触れずにはいられない彼の煩悶と、応じずにはいられない自分の矛盾も知っていた。
だから僅かに首を振った。

「・・・・・・はやく、して」

離れていこうとする身体に向かって腕を伸ばし、囁く。

「待たないんで、しょう?
 いいから、あなたの好きにして」

自分の体液で濡れた指。
綺麗な、冷たい、寂しい指。
手首をつかんで、その指を引き寄せる。

「寂しくなったら、また、して。何度でもして。
 たぶん、あたしも耐えられない」

引き寄せられた指は、柔らかな胸の上にぴったりと張り付く。
すぐ下で、心臓がバクバクと悲鳴を上げている。
真澄は夢中でそれを握り締める。
マヤが痛みにうめき声を上げる程強く潰して、桃色の突起を舐め上げる。
瞬く間に固くなったそれを、唇と舌で執拗に吸い上げ、転がし、甘咬みする。
再び火の点いた身体が、今度は遠慮なく大きく動き始める。
2人分の体重にテーブルが軋んだ音を立てた。
真澄は半身を起して再びマヤを抱え上げると、両足を開いて自分の腕の上に載せた。
そしてそのままマヤの背中を楽屋の壁に押し付ける。
片方の膝でバランスをとりながら上半身を折り、深く口付けた。
もう、言葉は邪魔なばかりだ。

ほとんど何の前置きもなく、真澄はマヤに自身を深々と突き立てる。
思わず、真澄の首にぎゅっとしがみ付いて声を殺す。
あまりにも硬く熱いそれが、マヤの細い身体を荒々しく揺さぶる。
抉るように突き上げられる度、マヤは自分の脳髄の彩りが見えるような気持ちになる。
身体がここにはないような、真澄に身体を貪られて、真澄の細胞の中で蠢いているような感覚。
心のままに嬌声を上げることができない代わりに、真澄の耳を舐めながら狂ったように囁く。

すき、だいすき、だいすきよ、あなたにこうされるの、ほんとにすき。いい、ほんとに――いくて、もう、あはっ、あたま、おかしくなりそう――して、もっとして、もっとたべて、もっと、もっとよ、またないで、はやくいって、すきなようにして、みがってにして、めちゃくちゃに――そう、そんなふうにして、ん、はっ――はああっ、ああ、いい、きもちいい、あ、あ、ああ、っ――あっ、あ、あああああ・・・・・・

その昂ぶりに応じて真澄の動きもどんどん激しく、早く、動物じみたリズムを奏でてゆく。
ほどなく、マヤは真澄の首筋を強く吸い上げながら絶頂を迎えた。
不自由な姿勢のお陰で完全にそれを共有することができなかった分、一瞬遅れて背筋を震わせた真澄を精一杯の力で抱きしめる。

彼が彼岸の彼方から戻ってくるまで、あと一瞬。

小刻みに痙攣する自分の子宮の中で、切なく弾けた真澄から零れる体液は、まるで涙のように熱く、ただただ愛おしかった。


・・・・・・

・・・・・・


「――待つまでもなかったな」

「もう……ほんと、意地悪。無神経。あっ、あっち向いててくださいよ!」

「断る」

慌てて身繕いするマヤをやんわりと笑みを浮かべながら眺めつつ、真澄は煙草をふかしている。
いつもの愛撫の3分の1にも満たない時間で、性急に結果だけを求めたが、当然ながらそれで彼女への欲情の炎が消えたわけでも満足したわけでもなかった。
だが、寂しさは少しだけ癒された。
寂しいのは自分だけではないと、ならばいつでも求めろと、彼女がそう言ったのだから。

「う・・・・・・よ、よかった、一夜限定公演で」

「まったくだ」

鏡に映ったマヤの全身には、首から胸にかけてキスマークが散りばめられ、今回のように露出の多い舞台でなくともちょっと言い訳に困る有様だった。
舞台衣装の下着は買い上げることになっていたので、そのまま私服のワンピースに着替える。
華奢な背中でいかにもやりにくそうに両手を曲げる様を見かね、真澄の指がファスナーを上げるのを手伝った。
そしてそのまま背後から抱きしめる。
黒髪に顔をうずめると、僅かに汗ばんだ首筋から甘く蠱惑的な匂いが立ち昇る。
今夜はとても彼女なしに眠りにつくことはできないと、真澄は確信している。

「この後の予定は」

「――みんなで打ち上げを。さっきのスタッフさん、呼びに来たんだと思います」

「・・・・・・」

「もう、冗談ですってば。
 今夜ばかりは怖い社長のご機嫌を取りに行きますよ。皆わかってくれてると思うし」

「なら、俺も下手な演技の続きといこうか」

ドアを開ければ、そこには社長と女優のビジネスライクな関係、という舞台が広がっている。
そういう風に振る舞わなければならない期間も、あともう少しだろう。
マヤは床に落ちた紫の薔薇を拾いあげ、胸いっぱいにその香りを吸い込んだ。
愛しい人と重なる、大好きなこの香り。
背後から、その人が頬に唇を寄せてくる。

「行くぞ」

真澄の声を合図に、ドアが開く。

開幕――現実の世界で、二人の秘密の舞台は続くのだ。

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元ネタ解説はコチラ。

last updated/10/10/27

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