第1話


何のことはない。 後回しにしていた問題が時期に合わせ立ち現れた、 ただそれだけのこと。 経営者は常に先を見て迅速に行動すべき鉄則を敢えて破り続けた、 致命的ともいえるミスがよんだ当然の結果だ。 よみ違えの招いたリスクの芽は小さいうちに摘んでおくのが懸命だ。 それなのに俺は敢えて、そう、敢えてそのままに時を重ねた。 少しずつ・・・多分、ただ待つつもりだったのだ。 あの少女が大人になるのを。 たぶん・・・か。 自分ともあろうものが何とも情けないことだ。 速水真澄は軽く首を振ると、指に挟んだ万年筆を投げ出した。 デスクトップは一瞬暗くなって、 やがてくるくると虹の双曲線無数に描き始める。 その一見混沌としながら一定の法則を持つ動きを追っているうち、 うっかり忘れがちな思考回路が・・・ ビジネスとは異なる、推測不能の感情がざわざわと胸の奥から湧きあがる。 その感情を持て余して行き場がないのだ―― だが状況は待つことを許さず運命の選択を迫ってくる。 社の命運を左右する決定ならこれまで何度となく下してきたはずで、 その全てに絶対の自信とツキを持って挑んできたはずだった。 このふたつのどれも今の自分からかけ離れていると感じる。 あの子は自分を嫌悪している、どう贔屓目にみたってこの事実は覆せない。 さらに取り巻く環境はどれも絶対不可能の5文字を突きつける。 大都芸能社長・速見真澄と、犬猿の仲にある女優・北島マヤ。 加えて彼女は未だ高校も卒業していない、何の後ろ盾もない小さな女優、 キャリアも経験も何もかもが未知数の少女ときたものだ。 その少女にこの速水真澄が惹かれていると。 商品としての資質以上の「何か」に惹かれていると一体誰が想像するだろうか? ありえない・・・自分でもそれはわかっている、あり得ない感情だと。 そしてツキにも見放されている。 思わず差し出した紫の薔薇は、 彼女を支え、成功へと導きながら、 それでもその色の不完全さ故か、いつか彼女を傷つけ、苦しめる。 時を重ね徐々に制御できなくなってゆくこの想いは、 ただすれ違っては彼女の頬を涙に濡らすだけで、 微笑みは虹の舞台の幻でしか捕まえられない。 恋・・・恋という感情を想像したことはあっても こんな風に自分の無力を思い知らされるものだと、 今まで誰も教えてはくれなかった――誰ひとりとして。 「やれやれだ・・・」 遂に真澄は大きくそう呟くなり、 デスクの裏を脚で軽く蹴って身体をくるりと回転させた。 背後に広がる漆黒のガラス窓の下には 鮮やかな都会の星空が広がっていて、 長いようで短い一日がもうすぐ終わることをふと考えてみた。 今日も明日もこんな風に過ぎてゆくのか。 忙しいのは悪くない。 網の目状のプランを神の手のごとく采配する、 スリルと興奮を孕んだゲームに我を忘れるのは決して悪くない。 だが何の為に・・・? 何の為にこの自分は生きている・・・? 会社の為――突き詰めれば何とどうでもいい理由だろうか。 『紅天女』。 ああそれだ、それは譲れない。 この為に捨てた心の欠片がそう叫ぶ。 だがあの少女を見ていると、どうだろう、そんな自分の生き様が とたんに味気なく無意味なものに思えてしまう。 圧倒的な輝きと情熱を放ち、舞台という人生を歩み始める少女の、 できれば一番近くにいたいと切望してしまう。 この状況は、まさに異常事態。 それなのに、恐ろしい行動計画を無意識に組み立てている自分を、もう一人の自分が呆れて見ている。 ・・・まあいいさ、そこで暫くじっとしているがいい。 そうやって味気ない毎日を重ねたまま死んでゆくには どうにも昔の悪戯心が消え去ってくれない様なので。 兎に角、決断はこの一瞬後に下してしまうのだから。 お前は最高の結果を得るべく尽力するしかない、もうそれしかない。 パン、 と冷たい両手が音を立て重なる。 この瞬間、 義父から要求される「見合い」というプランは見直し決定だ。 何の為に・・・? 俺自身の感情のままに。 満たされぬ想いの行き場の為に。 ただ、あの少女への愛しさの為に。 マヤを自分のものにする、それだけの為に。 web拍手 by FC2

2005年2月22日に連載開始したらしい、旧サイト2万ヒットヒットキリリク作品。
既に長期不在が続いていた当時ですが、ゲッター様の素晴らしいリクのお蔭で就活中断して不眠不休で仕上げた曰くつきの、例によって結構な長編でございます。
まだグラスガッシャン以降の展開は公式コミックス化されていない頃のフラストレーションを解消せんと生まれた『if』。原作一、「今言わんのかい!!!お前それでも漢かえぇええ!!??」っと身もだえした例の回を取り上げてみました。奇特な既読の方も、お初の方も、お楽しみいただければ幸いです。

    

last updated/12/01/01

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