第2話


今夜、私は紫の薔薇の人に会えるのだという。 いつか、いつか必ずと願ってはいたけれど、 こうも唐突だとまるで現実感が湧かない・・・ だけど薔薇は確かに届いていて、 沢山の贈り物はまだ包装のリボンすら解かれずそのままに、 握り締めた受話器の向こうの静かな声は 「それでは後ほど」 と消えたのだった。 会える・・・ 紫の薔薇の人に会える・・・ 今夜…!! 嘘みたい…嘘だったらどうしよう…? 落ち着かないその様子を窺っていた姫川亜弓の乳母は、 どうやらこの新しい小さなご主人様は 会食に招かれたのらしいと機敏に察知し微笑んだ。 そう、マヤは今あの姫川亜弓と日常を交代して生活している最中なのだ。 言い出したのは他ならぬ亜弓で、理由はダブルキャスト『ふたりの王女』の役作りの為。 「非日常」な日常も同じ世界に存在するものなのだと、毎日が緊張と驚きの連続で少しばかりくたびれてきたところだった。 加えて「アルディス」という今までと異なる役へのプレッシャー、『紅天女』への遥かなる道程… 師である月影だけが自分には「光り輝く可憐な王女」を演じる才能があるのだと言う。 でも私には何もない、ただ不安しかない… そう考えあぐねていた最中の、紫の薔薇… 「マヤ様、折角の贈り物です、お開きになったら?」 穏やかな乳母の声にやっと我に返って、マヤは慌てて受話器を置いた。 その言葉に従い、恐る恐るリボンを解く。 冷たい包装紙のセロファンを引っかいて、破らないようにそっと開く。 つやつやと光る大小様々な紙箱の蓋を開ける。 最初に出てきたのは、薄紅色の小さなドレス。 何層も重なったチュールの生地に、色鮮やかなスパンコールが散りばめられた、大人っぽさとキュートさが絶妙なバランスのデザイン。 次に出てくるのはドレスに合わせたサテンのミュール。 銀の蝶のようなコサージュの付いたショルダーバッグ。 ビーズに繋がった白蝶貝のネックレスには、お揃いのイヤリングまで。 次々に現れる煌びやかな贈り物に埋もれて、紫の薔薇が届く時は常にそうなのだが、 自分がまるで物語の中のお姫様か何かのように、浮遊感と淡いときめき、そして少しばかりの切なさに言葉も出ない。 ふと気が付くと、乳母が呼んだのだろう、姫川邸の使用人たちの手により、 マヤはまさに魔法にかかった女の子のように足の先から頭の先まで整えられてゆく。 目を閉じて流れに身を委ねる、周りの空気が、自分の外面が明らかに変化してゆき、 それにつられて心の内まで何かいつもとは違うような… すっかり出来上がり、鏡の前にそっと身体を押しやられる。 思わず、僅かに唇を開いて目が瞬を瞬かせる。 その唇も、いつもと違ってオレンジのグロスにつややかに濡れて、 引かれたアイラインの先には、薄い黄色のラメのパウダーが乗る。 くるんと綺麗に巻き上げられた睫の中の瞳に映るのは、女優・北島マヤとも少し違う、 もちろん普段の目立たない平凡な少女でもない。 興奮と期待に震える、妖精のように美しい少女。 「まあ、なんてお美しい」 全てを整えてくれた女性が、溜息をつくようにその斜め後ろから囁いた。 「この贈り物をされた方はマヤ様のことをよくお知りなのですね、大変よくお似合いですよ」 銀髪の乳母はにっこりと微笑みながら、少し飛び出したマヤの後れ毛をピンでとめてくれた。 心臓の鼓動は今になってだんだん大きくなってゆく。 …少しでも、女優らしくみえるだろうか、この姿は。 …あの方は私を見て何と言ってくれるのだろうか、喜んでくれるだろうか。 ああそうだ、私は一番に何を言えばいいのだろう? ほんの少し前までの不安が嘘のように飛んでゆく。 (紫の薔薇の人・・・私の何より大切な人…!) もう、この時点で涙が出そうになるのを慌てて堪えた。 そうだ、穴が開くほど見つめよう。 もう二度と会えない人なのかもしれないから。 ここまで頑なに正体を隠してきたのだ、よほどの理由があるのだろう。 でもどんな人だって構わない。 私のこの感謝と思慕の情は決して消えなることはない。 じっと目に焼き付けて、二度と迷わぬよう、この先の支えとなるよう見つめよう。 そして、ありがとうと。 言葉が足りない代わりに、心をこめてそう伝えよう。 ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・ そして、これからも私のことを…見守って下さい、と。 やがて、全てを見計らったかのようなタイミングで、姫川邸に迎えの車が到着する。 そこにあの紫の影の姿はなかったが、運転手の男性は完璧な仕草でマヤを誘い、車は都内を静かに滑ってゆく。 何を聞いても、たぶんこの人も首を振るだけなのだろう。 白いシートの中に、ちょこんと身を強張らせて、だんだんに暮れてゆく街並を空ろに眺めていた。 …そして、遂にその場所に辿り着く… web拍手 by FC2

ムラバラさんからの贈り物を開封するマヤちゃん。ベタなシチュですが、こういう細かな描写は今の作品にはあまり出てこないですね〜
さあ、正体を全く知らないチビちゃんに、社長はどんな手を使って姿を現すのか…現すのかッ!?(笑

    

last updated/12/01/04

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