第4話




本作品には以下の傾向を含みます。

SF設定/密室/飼育/(捉えようによっては)獣姦

   

それから――マヤと俺の更に奇妙な共同生活が始まった。 速水の屋敷から完全に足が遠のくのは流石にまずいだろうと頭ではわかっているのだが、あのマヤを一人きりで部屋の中に置いておくのは色々な意味で難しい事だった。 いつ義父にバレて何を言いだされるか――という不安が、かつて秘密裏にペットを飼っていた子供の頃の気分を蘇らせる。 秘密にすればするほど、囲い込んでいる対象への執着は強くなる。 だが――彼女は一体「猫」なのか、「人間」なのか。 この俺の感情は、態度は、どう考えても「愛玩物」として彼女を愛している、としか思えない。 欠けた何かを埋め合わせるような、空虚な日常に潤いを与えるような、彼女との生活。 一人の人間として、女として、その「人間性」を愛しているなどとは間違ってもいえない。 そもそも、俺が世間に冷血だの何だと揶揄される所以は。 人を愛する、愛される、という行為に強い猜疑心を抱くようあの男によって育て上げられ、環境が人格を形成するという言葉通りに成長してしまったからであって。 今更誰かを愛してみたいとも思わないし、愛されるはずがないという自覚もある。 だからこそ――どこか捩じれたこの執着は、愛着は、止まることなくマヤへとなだれ込む。 それが正しいとか、間違っているとか、そんな事はどうでもいい。 今の俺にとって何よりも重要なのは―― 扉の向こうに、俺を待っている柔らかで温かな存在があって、それは俺という存在なしには生存し得ないのだという、居心地の良い責任感に縛られる―― この緊張と、彼女を抱きかかえた瞬間の幸福に勝るものなど有り得ない。 「マヤ――おいで」 軽く呼びかけると、寝室からパタパタと彼女がやってくる。 相変わらず少女の姿のままで、だが行動パターンはほとんど猫そのものだ。 最初の数日、何とか二足歩行と着衣の習慣を教え込もうとしたのだが、特に二足歩行は断固として嫌がった。 仕方がないので膝と肘にサポーターを巻いてやり、直接地面と接触することで受ける負担を軽減してやる。 その姿になったからには、四つん這いは腰にもかなり負担がくると思うのだが、生まれてこの方の習慣は治しようがないのかもしれない。 服の方は、素肌のままでは寒いのだろう。 身体にぴったり纏わりつかないような――俺のシャツ一枚だけなら着せても嫌がらなかったので、彼女の一張羅になってしまっている。 「ほら――今夜のご機嫌はどうだ?  フォークを使って食べる気は……ないか」 差し出した皿の上には、俺の皿と同じものが乗っている。 今夜はアンチョビのパスタ――彼女のお気に入りだ。 人間の姿になって以降、流石に猫と同じ食べ物は受け付けなくなってしまったようだが、箸やスプーンを使う気はさらさらないらしい。 テーブルの上に丸く握りしめた掌を置いて皿の中に顔を突っ込み、さも食べにくそうにしているのは可愛そうだった。 「あまり甘やかしたくはないんだが――仕方ないな」 「みぎゃっ!?」 「ああもう、取り上げやしないから落ち着きなさい――ほら」 後ろから彼女を抱きかかえると、そのままソファの上に座り込んだ。 膝の中にすっぽりと収まったマヤは俺の意図を察したらしく、思ったより大人しくしている。 腕を伸ばしてテーブルの上の皿を取り上げ、パスタをフォークで巻き取って口元に運ぶ。 マヤは小さな唇を精いっぱい開けてそれを受け入れ――ガキッ、としたたか噛み付いた。 「だーかーら、フォークまで噛んでどうする!危ないから口開けなさい!  次が食べられないぞ?」 「ふぎぃ……ぎゃおっ」 「うわ――やっぱりフォークは駄目だな……これならどうだ?」 噛むなよ……と祈りながら、指でパスタを摘み上げ、直に唇の中に突っ込む。 するとスムーズに――ズルズルと舌を絡ませ、うまく食べてくれた。 噛む回数が少ないのが気になるが、気長に教えるしかないのだろう。 何度か繰り返しているうちに互いにコツを飲み込み、俺が口元に運ぶタイミングと彼女が口を開けるタイミングはぴたりと一致し、皿の中はあっという間に空になった。 いつもの時間の3分の1で済む――これは早い所食器の使い方を教え込んだ方がいいな、それにはある程度まとまった休暇をとらないと――などとぼんやり考えていると。 「みぃ……」 「――食いしん坊め……まだ足りないのか?」 空の皿に手を伸ばそうとするのを、後ろから脚で抱え込んで固定する。 それでも何とか届かせようともがくので、仕方なしに残った汁気を指に絡め取って口に突っ込んでやった。 すると、ややザラついたような小さな舌が俺の指に絡みつき――ぺろぺろと夢中で舐めている。 苦笑しながらなすがままにさせていると、綺麗になった指に飽きたのか、掌から手首、甲の筋張った部分まで丁寧に舐め始めた。 「そんなに美味しいか?もう味なんてないだろ」 既に――舐める、という行為に没頭しているだけなのだろう。 掌を内側や外側に返しながら唇に押し当ててやると、眼を細めながらより一層舌を擦り付けてくる。両腕はくたっと胸の前で交差させたままで。 左手でそっと耳の後ろや顎の下を撫でてやると、ゴロゴロと転がるような音を出した。 人間の喉でどうやってこんな声が出せるんだ――と変な事に意識をとられ、真似してみようかと喉を震わせた――その時だった。 「ぅ……にぃあ――ぉ、お……」 突然、マヤが奇妙な声を上げ始めたのだ。 「どうした?」 「ぉ、お……イ、い――し、い。オイシイ?」 「――え?」 今耳に届いた音節を繋ぎ合わせて――美味しい、って言ったか?まさか―― まだ口元にある俺の指を舐めながら、ひとつひとつの音を必死で再現しようとしているのか、口をぱくぱくと動かしているマヤの顔を覗き込む。 「マヤ、もう一度言ってご覧」 「うぉ、お――お、」 「お・い・し・い?」 「お、おいし、い――おいしい」 俺の口元を見つめながら、たどたどしく、だが確かに。 完全に意味を理解しての発語なのだと思った瞬間、背筋がゾクリと粟立つ。 この子は――本当に、人間の女の子として成長できるのかもしれない……? 「マヤ――信じられないが……凄いな。言葉を覚えようとしてるのか?」 「マ――ァ、みゃ、あ――マ、ヤ……」 猫の鳴き声のような掠れ声の間に、紛れもなく言葉の欠片が混じっている。 俺は脚の中に抱え込んだマヤをひっくり返して向きを変えると、小さな顎に両手をかけて引き上げ、覗き込んだ。 黒い瞳が嬉しそうに――俺が機嫌のいい時も悪い時も、ぴったりシンクロして輝くその瞳が、とても嬉しそうに輝いていた。 あたし、ガンバッタよ? ねえ、ほめて? そんな風に言っている、と俺は感じた。 なので、そのまま素直に褒めてやった。 「偉いぞ、マヤ。これから少しずつ覚えていこうな。  ちなみに俺の名前は――」 「お、お、レ――?」 「違う違う。さあ、何て呼んでもらおうかな――君に名づける時より緊張するな、何か」 両手で頭と顔を一緒くたにしながら撫でてやると、ゴロゴロと再び喉を鳴らして喜ぶ。 人間になってもちんまりと小さな鼻の頭にそっとキスを落としてやった。 すると、シャツを掴んで擦り寄っていたのが、するっと首の後ろに腕を回して抱き着いてきた。 まるで俺の腕の使い方を真似してみせたかのように。 そうした触れ合い方はいつもの事で――然程驚く事でもないはずなのに。 素肌に俺のシャツ一枚だけを纏った少女が、遠慮呵責なく身体を摺り寄せてくる。 細やかとはいえ、確かな胸の膨らみが俺の胸に押し当てられ、脇腹の横に彼女の太腿が密着したその瞬間―― 自分でも形容しがたい、痛いような切ないような感覚が心臓を締め付けたのに、俺は酷く面食らった。 馬鹿な――彼女は……人間の姿とはいえ、まだほんの子猫に過ぎないはずなのに―― これでは、まるで。 「にゃあおう……」 ふと、アンチョビ臭い匂いが耳元に吹き付けられたので、ハッと我に返る。 「――マヤ。臭い。次のレッスンは歯磨きだな」 「……にいっ!!」 ハミガキ、と聞いた瞬間、マヤはびくりと肩を震わせて嫌悪の表情を浮かべた。 猫は綺麗好きのはずだが――根がぐうたらなのか、身繕いにかけては恐ろしく鈍感なのだ。 中でも歯磨きは最も嫌う。 これが猫ならそれほど心配する事もないだろうが、人間の姿ならせめて1日1回は磨いてもらわなければ困る。 今の状態で万が一虫歯にでもなられては、とても歯医者になど連れていけない。 「歯を剥いても駄目。猿ぐつわ噛ませても磨かせるぞ、でないとキスしないからな」 「にぎーっ!!ぎゃぁあっ」 再び暴れる彼女を肩の上に担ぎながら――くるくる回るので胸や腰の辺りに滑り落ちるのを抱え直しつつ――バスルームへと続く廊下を、鼻歌混じりで歩き始めた。 web拍手 by FC2

last updated/11/01/04

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