第2話


その日の打ち上げに、もうひとりの主役である亜弓の姿はなかった。 以前から組んであったスケジュールの関係により、舞台終了と同時に慌しく渡米してしまったのだ。 結果、公演後の興奮も開放感もひとしおのスタッフや共演者にしてみれば 酒宴の注目はもうひとりの主役に集中するわけで―― まだギリギリ二十歳じゃないので、と精一杯逃げてみたものの、 一口だけ、水みたいなもんだし、大丈夫だから、を繰り返されて、 気がつけばマヤの目つきは怪しく、フラフラと足元もおぼつかない。 関という、人を悪ノリさせるのが上手い調子のいい男とその仲間に取り囲まれ、 ジャンケンで負けたらスピリタスの一気飲み、という大変危ないゲームに熱中している。 当然手も震えがちなマヤはさんざん負けが続く。 「おおっとマヤちゃん、いい飲みっぷりですねえ!」 「今度のアルディス、正直俺マジでびびったよ、  あんなにキレイになるとか反則ー!」 「はーいっ、もうどんどん飲みます、飲んで何でも演っちゃいます!!  なによ、化けただの豆ダヌキだのバカにして・・・  だいたいタヌキを出してくるあたりアンタ一体幾つだっつーの!ねえ!?  はいはいそうですよ、こうなったらオフェーリアでもお岩さんでもパタリロでも何でも演っちゃうわよっ」 「じゃあ俺バンコラン!!」 「いやーっ絶対駄目、似合わない、むしろ関さんがパタリロでしょっ・・・」 一同が爆笑の渦に巻き込まれ、負けた訳でもないのにマヤはグラスを差し出す。 流石にその様子をみかねた安藤がその場から連れ出そうと試みたが、尚引き止められた。 この間未成年者に飲酒を勧めて問題になったアナウンサーの件を持ち出し、 ようやくその輪を抜け出して、どうやら酒乱の気があるらしい少女をトイレに連れ込む。 「ちょおっと大丈夫、マヤちゃん?  さすがにそろそろ家の人も心配するんじゃない?」 「えっと・・・ああ、はい、そうですね〜  家の人、うん、また麗に怒られちゃう、かな」 マヤはけらけらと声を立てて笑うと、再び顔をしかめて洗面台にうつ伏せになった。 濡れた髪の端を指で弄び、ふううっと大きく息をする。 心臓がドキドキと跳ね上がり、こめかみがドクドクする。 確かに、こんなに潰れるほど飲んだのは生まれて初めてだ。 「つきかげ」の仲間たちとの打ち上げで軽く飲むことはあっても、 ほんのチューハイ一口程度だったのがいきなりこれでは。 「立てる?もう・・・あいつらちょっと調子に乗りすぎ」 「バンコラン・・・ああ、ぴったり、速水さんだ・・・」 「ええ?」 「いえいえ〜あははははっっ、ごめんなさい、  なんか・・・なんかおかしいですね、ひとりで、ふふっ」 立てないほどフラフラのくせに、笑い出したり沈み込んだり忙しない。 安藤は溜息をつきながら、そのまま店からマヤを引きずり出した。 アパートの場所を何とか聞き出すとタクシーを呼んで押し込んだ。 流石に車内では大人しくなったマヤだが、アパートが近づくにつれ、店に戻りたい、もっとみんなと飲みたい、と駄々をこねだす。 そこを何とか言い聞かせ、丸め込み、想像以上にボロボロのアパートに内心驚きながら 安藤はマヤを抱え込むようにしてその階段を何とか上りつめたのだった。 「ハイ、洗面器おいとくから、お水はここ。  お腹空いてて気分悪くなかったらコレ食べて、何かあったら電話してね」 「はーい、ほんとに・・・す、スミマセン、安藤さ〜んもう大好きっ」 「ハイハイ・・・やれやれ、これが本当にあのアルディスかしらね」 「実はそーなんですっ!もう自分でも笑っちゃう!」 「ハイ、じゃあおやすみなさい、気をつけてね」 ギシギシと安藤が降りてゆく音が空ろに響き、そして消えた。 急に静かになった部屋の中は、ぐるぐると高速で回転している。 ゾクリと身体が縮み上がり、それから猛烈に吐き気がこみ上げてきた。 だが胃の中には既に何もなく、水だけをようやく喉に流し込むと、 倒れこむようにして安藤が引いてくれた布団の中に潜り込んだ。 ――布団の中はひんやり冷たい。 そして、今夜はラクの打ち上げであることを知っている麗も部屋を留守にしていた。 頭の底がガンガン鳴っているのが聞こえるようだ。 それなのに、目を閉じることができない。 そっと・・・まだ着たままのピーコートのポケットに手を入れる。 少し曲がってしまったそれは、確かにそこにある。 開けてみたい・・・でも、明日でもいいかもしれない。 明日の楽しみをとっておいて、今夜の寂しさを乗り越えられるかもしれない。 そう、寂しい。 寂しいのだ。 今頃あの人はきっと――キレイな服を着て、キレイな服を着たキレイな人たちに囲まれて、 こんな風にベロベロに酔っ払ったりなんか絶対あり得なくて、 高級そうなお酒を片手に気の利いた会話だか何だかを交わしてるんだろう。 そうだ、きっと、そうに決まってる・・・ わたしは、ここにいるのに。 ここで、バカみたいに丸くなって・・・バカって何度も呟いてる、あなたに向かって。 そんなことあなたはきっと知らない。 知りっこないのだ・・・バカだから。 何度も何度も呟いて、そしたらいつのまにか涙がぼろぼろ零れてきた。 どうしてこんなに寂しいのか、ちっともわからない。 紫の薔薇が届かなかったくらいで、どうしてこんなに弱気なんだかわからない。 紫の薔薇の人はやっと正体を明かしてくれて、 そしてそれが速水真澄だったのは確かに驚きだったけれど。 ちゃんと受け入れたはずだった、それなのに何故だか釈然としないのは。 「あの人が、自分で、紫の薔薇を持ってこないから」 ・・・そうだ、そのせいなんだ。 涙の流れるにまかせ、そして涙で枕はほんとに濡れるんだ、なんてことをどこかで考えながら、マヤはようやく瞼を閉じた。 が、すぐにもう片方のポケットの中で携帯電話が震えていることに気づいた。 初めは小さく聞こえた着信音が段々と大きくなってゆく。 やっとの思いでそれを取り出し、霞む目を必死にこじ開けて液晶画面を睨みつけると・・・知らない番号だ。 090、から始まるということは・・・携帯電話。 誰だろう、こんな時間に? 正直でるのは面倒で、自然に切れてくれるのを待ってみる。 だが着信音は真夜中の冷たい部屋の中で陽気に響きわたるだけで、一向に消える気配がない。 薄い隣の壁が軽く叩かれた・・・それで仕方なく、しかめっ面のままで通話ボタンを押す。 「もしもーし、北島ですけど」 「・・・」 何も聞こえない。 ・・・わけでもなさそうだ、受話器の向こうからは、遠く響く雑音が混じる。 宴会の仲間からだろうか、あの時誰か番号を教えた人は・・・ と、今夜一緒に飲んだ面々の顔を思い出そうとした瞬間。 「・・・おい、こら。この酔っ払い」 「・・・」 「聞こえてるのか?只今タレコミがありまして、未成年の女優がベロベロに潰れてるらしいんですが」 からかい半分、心配半分・・・少々の苛立ちも滲ませて、真澄の声がそこにある。 「バカ」 「なに?」 「バカ、は、やみさんの・・・大バカッ!!」 引き攣ったように声を出すと、同時にまた涙が出た。 少しの間、足音。 別の場所に移動する音、そしてまた声。 「なんでいきなりバカ呼ばわりなんだ」 「うるさいっ、何も・・・何も知らないくせに、さ、寒いじゃないですかっ」 「寒い?今どこにいるんだ、外か?」 「部屋です、もう戻ったんです、でもこの部屋生憎暖房とかないし、  もうひたすら寒いんですっ、速水さんは・・・大バカだし・・・もう、やだ」 「落ち着け、チビちゃん。相当だなこりゃ・・・」 「うるさいっ もうチビちゃんじゃないです!このバンコラン・・・」 「は?バンコラン?アレか、パタリロの?」 「へーっ、とっても意外!!速水さんパタリロよんだことあるの?」 「そりゃもう長い付き合いだし・・・だが俺はたぶんゲイじゃないし青筋も瞼の上ではなく・・・じゃなくて、  ・・・しかし本当に大丈夫か、青木君は?」 「麗いない・・・今日打ち上げあるから・・・どっか行っちゃったかな・・・」 暫し、沈黙が続く。 それからふいに、マヤが切り出す。 「でも・・・でもどうしてですか?」 「何が」 「どうして速水さんが電話してくるの?  その、えーっと・・・まだパーティーか何かの途中なんでしょ」 その声に含まれる、どこか面白くないような響きに、 真澄が軽く眉をひそめたことなどマヤは知る由もない。 「それは悪かった、大分調子が悪そうだと聞いたものから。  ああ、そうだ、君の今度の舞台はこちらでもかなりの評判だぞ。  『天使の微笑み』を初めて見たって興奮した社長がいて・・・」 「でも今は北島マヤなんです、おまけに酔ってて、すごい怒ってるんです」 「・・・マヤ?」 低く呟くように、声を絞り出す。 遠く揺れる声の真意を窺い、真澄はじっと眉根を寄せる。 「何故、怒ってる」 「・・・それがわかってないから、怒ってるんです」 「難しいな、女の子は」 「じゃあ女優ならどうなんですか?  女優の扱いなら慣れてるんでしょ、速水さんは。」 「やけに突っかかるな。  なんだ、花が不足だったのか?  それとも『完全に降参いたしました大女優北島マヤ様』とでも垂れ幕掲げて・・・」 「もう、いいです・・・もう知らない。おやすみなさい!!」 思わず、勢いで切ってしまった。 ・・・もう、もう、どうして私はいつも・・・!! じっと、動かないその小さな塊を睨みつける。 だが、暗い液晶画面は沈黙を破りそうにない。 それはそう。 折角、気まぐれにかけたにすぎない真澄からの電話を、一方的にわめいて突然切ったのだから。 きっと呆れて忘れて、そしてそれっきりに違いない―― ・・・気まぐれ、か。 そっか・・・私のファンなのも、紫の薔薇も。 そう、気まぐれ、最初からそうだった・・・そう考えたら・・・ 最初から期待しなければ、こんな風に変な気持ちにならなくて済むのかも。 ああ、だけど・・・ キリキリと胸が痛む。 だがそれも、再び存在を主張する頭痛と疲労についに押されて、 いつのまにか深い泥沼のような眠りの淵に落ちてゆく―― web拍手 by FC2

2005年当時、未成年アイドルに飲酒勧めて騒動起こしたアナウンサーはだーれだ!?
微妙に当時の世相を織り交ぜたりしてるのが今となっては面白いですね〜
普通にブラウン管、とか書いちゃうし。最早液晶アタリマエの時代だもんね〜
携帯の描写とかもあと数年したら古臭くなりそうで愉快^^
つかパタリロネタでしつこく引っ張ってた当時のセンスがよくわからんのですが、面倒なんでそのまま載せときます。笑って見逃して下さい〜
スピりタス一気飲み自体は平気ですけど、健康の為にはやっちゃだめだよね〜 己の限界限度に未だ見極めがきかない甘ちゃんです・・・
last updated/12/03/06         

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