はっと、ふいに目を覚ます。
夢なんて当然、何も覚えていない、昨夜の記憶も何もない。
見上げた暗い天井の縞模様には・・・見覚えがある、私のアパートの・・・
「えええっ!!??」
ガバッと布団を跳ねのける。
辺りを見回すと、間違いなく自分の小さな部屋の中だ。
・・・だが、だが。
枕もとの洗面器も、敷かれた布団の中いる自分自身も。
確かにあるのだが、何故そこにあるのか、いや、何故ここにいるのか。
確か皆と打ち上げで飲んで・・・飲まされて・・・あれ・・・??
ふらふらと立ち上がってみる。
時計を見れば、9時を少し過ぎたところで、思いのほかに身体は軽い。
カーテンを勢いよく開くと、ぱっと朝の光が差し込んできた。
窓の外は、薄い雲の張る冬の空が広がっている。
カレンダーをみて、今日から二月が始まることを知った。
まだまだ寒さは続くけれど、こうしているうちに春はあっという間にやってくるのだろう。
ふいに、アルディスの幻影が胸の内に広がりそうになる。
・・・それにしても、いつ、どうやってこの部屋に戻ってきたのだろう?
何とか思い出そうとするのだが、どうしてもわからない。
ひとりで戻れるはずがない、多分誰かに連れてきてもらったんだろうけど。
と、窓枠に佇んだままでいたせいで寒気に竦みあがった。
慌てて窓を閉めると、動きにくいコートを脱ぎながら――
ドキリとして、思わず硬直する。
それからゆっくりと布団の上に座り込み、
掛け布団を肩の上から被せると、すっぽりと丸くなった。
震える指先でポケットの中の封筒を引っ張り出す。
薄桃色の、さらさらした凹凸の表面をそっとなぞる。
それから、意を決して封を切った。
何だろう。一体何の手紙なのだろう?
何年も紫の薔薇を贈り続けた理由?
何故正体を明かしてくれなかったのか、それとも。
もうこれで、薔薇はお終いです、とか、
全部ただの気まぐれだったのだ、とか・・・?
イヤなことばかり考えてしまう。
不安と期待に、暫く中を見ることもままならず、マヤは大きく息を吐いた。
それからちょっと天井を仰ぎ、中に指を差し入れる。
薄い、カードでも手紙でもない、それは。
「チケットだ・・・」
思いもかけなかったそれを、マヤはぽかんとただ見つめた。
『アンナ・カレーニナ』
昼の部、席はSのB21。
日付は2月1日、つまり今日だ。
中を確かめてみるが、それ一枚っきり、何のメッセージもない。
その舞台のことは知っている。
ある劇団のこの時期恒例の公演で、役者もスタッフも一流と有名な舞台だった。
『ふたりの王女』の公演が済んだら是非観に行きたいと思っていたものではあるが・・・
「あの」カードもメッセージもない、ということは。
これは「紫の薔薇の人」からではなく「速水真澄」からのものと考えていいのだろうか。
「これに行けってこと・・・?」
時間を見れば、午後2時開場となっている。
今から準備すれば間に合うだろう、だけど・・・どうして?
今度の舞台が終わったご褒美とか?
ああ、成る程・・・そっか、と腑に落ちたところで、再びドキリと固まってしまう。
――だが熱心なファンとしては、すっぽかされたら多分傷つくな・・・
昨夜の台詞が突然思い出されたのだ。
と、いうことは、つまり。
これに、真澄も来るということなのか・・・
そうだ、そうに違いない。
思わず肩から布団がずり落ちる。
チケットを穴が開くほど見つめて、それから意味もなく正座してしまった。
胸が・・・胸がドキドキとうるさい。
信じられない、やっぱりまだ信じられない。
あの人が「紫の薔薇の人」であること、こうして自分を誘ってくれるということ、
それをどう受けいれていいのか躊躇っている自分。
だが、考えている時間などない。
それにこれは絶好のチャンスかもしれないのだ、
実際に真澄自身の口から真実を説明してくれる・・・
それが今日なのかもしれない。
マヤは再び勢いよく跳ね上がると、
バタバタと箪笥の引き出しを開け、オロオロと戸惑い、
それからはっと思い至って洗面所の鏡を覗き込んだ。
酔い明けの割には明るい顔色だ・・・と無理矢理思い込むことにして、体中の匂いを嗅いでみる。
ああ、やはり酒とタバコの臭いがしみついてしまっている。
お風呂に入らなくちゃ・・・って、この部屋にはそんなものがないから銭湯に行っているので、
でもこの時間帯に近所の「朝日湯」が開いてるわけないし。
と、ひとりで悲鳴を上げたり溜息をついたりしているうちに、はたと立ち止まる。
「私・・・速水真澄に会うのに、何でこんなに大騒ぎしてるんだろ・・・」
悔しいような、馬鹿馬鹿しいような、くすぐったいような、変な気分。
だが、相手は何といっても「紫の薔薇の人」なのだ。
長年の恩人でもある大切な人に会うのだから。
やっぱり、ちゃんとした方がいい。
そうだ、紫の薔薇の人に会いに行くのだ。
そうやってひるみそうな心を奮い立たせると、
マヤは何とか小さな台所の流しで身体を拭き、頭を洗うという技をやってのけた。
それから箪笥の中をひっくり返し、
あれやこれやと今まで貰ったプレゼントを広げてみる。
その全てを真澄が自分のために、と想像しただけで眩暈がしたが、
そこは恐らく人任せ・・・そうだ、聖さんとかに・・・と、思い至って三度硬直する。
真澄と聖が紫の薔薇を介して繋がっていると考えただけで、不思議な感動に胸が震えた。
それから聖を介して自分が託した、録音メッセージに手紙の内容を思い出して、
あやうく叫びだしそうになるのを何とか堪える。
(やっぱり・・・し、信じらんない、もうっ!!)
恥ずかしすぎる。
それに・・・やはり、悔しくて、悲しい。
自分の幼さと思い込みが。
そしてそれが真澄をどれだけ苦しめたのか、それなのにどうして何も言ってくれなかったのか、
そしてまた何故今になって明かしてくれたのか・・・?
ああ、それにどうして今まで気づけなかったのだろう。
これまでの様々な状況を思い起こし、紫の薔薇と真澄を結び付けてみる。
そして最後に、どうしても同じ疑問にぶつかってしまう。
――速水さん、どうして今回は・・・紫の薔薇を贈ってくれないんですか?
頬が熱くなり、興奮に涙が零れそうになる。
へたへたと畳の上に座り込んでしまう、だが、こうしてはいられない。
思い悩み、手を止め、それから我に返り・・・を繰り返しているうちに時間は経ち、
ようやく部屋を飛び出した時には12時を過ぎていた。
それから電車を乗り継ぎ、都内に出て・・・携帯電話を部屋に忘れてきたことに気がつく。
だが、多分大丈夫だろう、今日は特に何もないはずだし、
速水さんも恐らくこの会場に来てくれるのなら。
「ああーーーっっ!!」
ここでマヤは今日四度目の硬直直後、情けない悲鳴を上げた。
道行く人々がぎょっとして振り返るが、呆然と立ちすくんだまま口を開ける。
・・・思い出した、ようやく、昨夜の記憶。
――もう、知らない、バカッ!!
そう叫んで、一方的に切った電話。
あれは、あの電話は・・・真澄からのものだった・・・
「ど、どうしよう・・・」
何ということだろう、あの電話はこの舞台に招待した理由だったのかもしれない。
他に何か伝えたいことがあったかもしれないのに。
酔いつぶれて、一方的に怒って叫んで切ってしまった。
あの後再び連絡があったのかもしれない・・・のに、
今日は起きてから一度も携帯電話の存在を思い起こすことはなかった。
フラフラと腕時計を確認すると一時半、もうすぐだ。
マヤは何とか辿り着いた劇場の、始めはエントランスホール前の道路脇に立ち、
それからホール内のソファの上で、果ては受付嬢にそれとなく訪ねてみたりもしたのだが、
10分たち、15分たっても真澄の姿は見えない。
そのうちホールは客に満ち、ガヤガヤと賑やかさが劇場の中に流れてゆき
それもじき途絶えてしまったところで、マヤはようやく諦めて後に続いた。
ギイ、っと、重い扉を開く。
淡い照明の下に無数の顔がひしめきあい、厚い幕のその向こうで、これから繰り広げられる世界に思いをはせている。
つい昨日まで、その反対側に立って生きていたのがまるで嘘のようだ。
マヤは早くもその空気に吸い込まれ、指定された席に腰を降ろす。
ふと、隣の席が開いたままなのに気がつき、もしや、と首を回してみた。
だが、扉から入ってきた最後の数人が選んだ席は別の場所で、真澄の姿はやはりみえない。
(どうしたんだろ・・・こないのかな、やっぱり・・・)
怒ってしまったのかもしれない――
「紫の薔薇の人」にあんな態度をとってしまった自分が心底情けなくなる。
または仕事が忙しくて急にこれなくなったとか。ありそうな話だ。
はたまた、最初からマヤひとりが招待されたのか・・・それはそれで、嬉しいけれど。
やっぱり物足りない。
直接、会って話がしたいのに、あの人と。
ハラハラと、隣の空席と出入り口のドアを交互に見遣りながら、
やがて開幕前の注意アナウンスが流れ、開幕のベルが響き渡り・・・
観客が静まりかえって第一幕が始まっても、遂に真澄がその姿を現すことはなかった。
また全然関係ない後書きになりますが。このところヘビメタバンド(でもパンクコーナーにCDあったんですけど)の『SLIPKOT』にハマってるんですよ〜^^
曲自体は数年前に偶然耳にした『THE BLISTER EXISTS』がすんごい印象的で、でもアルバム聴くまでには至らず。
先日試しにとレンタル屋で借りてきたら・・・もうド嵌り!!!車の中でかけてるんですが、うっかりスピード出し過ぎそうになるんで危ないですね(笑
うぃきのメンバー解説文章がいちいち面白くて噴いてます。多分ファンが愛をこめて編集してんだろうけどw
メンバの一人の腕に日本語で『嫌悪』ってタトゥー入れてるらしいんだけど、家族には『綺麗な虹』って説明してるってクダリとかがもうヤバいww
・・・とかいいつつ現在のBGMはエアロスミス〜
last updated/12/03/14