第6話


「あの・・・ここは?」 「閑静な住宅街の一角。少し歩くぞ」  戸惑うマヤを尻目に、真澄はさっさと歩いてゆく。 冬空の電信柱の上から鳩が一羽、飛び立つのが目に入った。 辺りは驚くほど静かで、アスファルトの上を歩く二人の足音まで聞こえそうなほどだ。 冷たい空気に一瞬首を竦めて、それから慌てて真澄の背中を追った。 枯れた蔓草の絡みつく塀が長々と続き、その角を曲がると急に入り組んだ小路が現れる。 真澄はその道を迷いなく歩く――時々、二歩後ろのマヤを僅かに振り返りながら。 「・・・速水さん、ここに来たことあるんですか?何だかよく知ってるみたいですね」 「昔近くに住んでたしな」 「えっ・・・だって速水さんの家は」 かつて速水邸での軟禁生活を余儀なくされた頃のことを思い出し、マヤは首を傾げた。 あれはもっと郊外の方にある、高級住宅街のお屋敷だった。こことは少し趣が異なるはずだが―― 「まだ、藤村真澄だった頃のことだ」 「え・・・あ・・・!」 「――何だ、知ってたのか?」 真澄が方眉を上げて振り返った。 マヤはコートの襟を抱え込むようにして、ギクシャクと応える。 「あ、はい・・・ほら前に速水さんちに行ったとき、家政婦さんが」 「成る程ね。といっても住んでたアパートは既に跡形もないし、  この辺りも随分変わった・・・最後に来たのはいつだっけな」 特に気にする様子もなく呟くと、それから軽く空を見上げた。 研ぎ澄まされた彫刻のように端正で、冷徹で、完璧すぎて近寄りがたい程の横顔に―― ふと、懐かしい何かを想うときの人間らしい表情が横切った。 その瞬間、自分の心にも――何か、暖かな寂しさが過ぎるのをマヤは確かに感じとる。 多分この見慣れない景色も、いずれ忘れがたい記憶になるのは明らかだろうと、 根拠のない、だが確かな予感が囁いている。 暫く黙ったままで歩いて、それからようやく呟いた。 「変なの」 「何がだ」 「・・・速水さんと、多分、私も。」 「・・・?」 「教えてあげません、それにやっぱりちょっと意地悪だし」 意を決して、マヤはそこでピタリと立ち止まる。 真澄もギクリと立ち止まり、それからあからさまに眉をしかめて振り返る。 「いつ意地悪なんかした?」 「だから教えてあげませんっ」 「・・・これだから女の子の、いや女優の心を読むのは厄介なんだ・・・  お姫様、何が不満なのか残念ながら鈍感なファンは気づけなくて――」 「バラですっ」 「え?」 「ほら、わかってない」 「バラなら沢山、確かに千秋楽には行けなくて申し訳なかったが・・・」 「紫の、バラです!『ふたりの王女』で、私・・・速水さんから、まだ貰って・・・」 最後の言葉は、やはり掠れて消えてしまった。 はっと、真澄が息を呑んだような気がするが、多分気のせいだ。 堪えようと頑張ってみたものの、涙が勝手に零れそうになる。 だけどここで泣いてしまうのは――あまりに子どもっぽすぎる、また笑われるかもしれない。 だから精一杯、涙が零れ落ちないようにと顔を上げた。 言葉が出ないなら全身で伝わればいいと。 ――私は、あなたの手から、紫の薔薇が欲しいんです。 ・・・と、顔を上げたら。 やはり、そこにはじっと自分を見下ろす、 決してその真意を覗かせてくれることはない、不思議な微笑があって。 ああ、だけどその瞳は・・・見上げたこの瞬間、確かに暖かくて優しい色を浮かべている。 見間違いじゃない、勘違いでも・・・多分、ない。 「鈍感だな――」 掠れたような声が、真澄の薄い唇の間から降り注ぐ。 マヤは鼻をすすり上げ、ぐっと、睨み付けるようにして真澄を見上げる。 背後から郵便局のバイクが二人の側を通り過ぎてゆく。 その音があまりにのんびりしていて、周囲の風景はやけに静かで冷たくて、 その中にある緊張した自分たちの会話は、ひどくちぐはぐで浮き上がっている様な気がする。 「・・・誰が?」 「俺も、君も」 「私も・・・って、」 「わかった、わかってる、だがもうちょっと待った――泣くなよ」 「泣きませんよっ、もう・・・もう何か、ほんとに悔しいっていうか・・・  違う、バカみたいです・・・ごめ・・・ごめんなさいっ  怒るなんておかしいのわかってるんです、なのにいつまでたって子どもみたいに――」 「・・・ああ、申し訳ありません、全ては勿体ぶった愚かなファンの失策なんです――  でも少しだけ、泣くのは待ってくれませんか?」 意思に反してぱらぱらと零れ落ちる涙、上気した頬、上ずった声。 情けなくって、苦しくて、顔を真澄の前から遮ろうと手をやる。 ――その小さな手のひらを、ふいに真澄が両手で包み込んだ。 急に伸ばされた手のひら、その力、そっと触れ合っただけではわからない互いの質感。 そして、それよりもはっきりと伝わってくるお互いの暖かさと・・・感情の流れに。 ――暫し、ふたりは言葉を失う。 「・・・もう少し、ご機嫌取りにお付き合いくださいませんか、北島マヤさん――?」 「どういう・・・ことですか?」 真澄は黙ったまま、すっと3メートルほど先の袋小路に視線をやった。 普通の民家と民家に挟まれた、二階建ての小さな建物。 プランターから溢れかえったハーブや植木、その脇にとめられた自転車に幾つかの木箱。 びっしりと蔦に覆われて一見してはわからなかったのだが、その隙間から、小さな木製のドアが覗いていた―― web拍手 by FC2

はい、ここから怒涛の超オリジナルマイ設定スタート!!!・・・長いでしょ、まだまだ続きますスイマセン^^;
last updated/12/4/28         

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