第9話

 


結局その金曜の昼はだらだらと寝たり起きたりで過ぎてゆき。
土曜日には新居を求めて不動産屋を巡ったが、あまりのマヤのこだわりのなさに流石に不機嫌になった真澄と久しぶりに本気で喧嘩をした。
街中で隙を見て逃げ出し、その勢いで麗に会いに行ってさんざ愚痴ってみたら「もう惚気はウンザリだよ」と半ば本気でキレられ。
平謝りして長旅のお土産を渡した後、渋々連絡をとって渋谷の映画館で待ち合わせた。
出会った時には二人ともまだギクシャクとしていた――が、その時観たのは長旅を思い出すような風景と音楽に満ちた優しい映画だったので。
映画館を出た時には機嫌も直り、満ち足りた気分で二人家路へとついた。
日曜日には銀座に買い物に出かけた。
途中で別れた後、髪を切った真澄に再開した時にはちょっとだけ切ない気分になった。

「……なんだ、その不満そうな顔は」
「もったいない……顔だけ日焼けしてるのに、そんな短くなっちゃったら。
 何かスポーツ選手みたい、変、似合わない」
「サーファー崩れよりはマシだろ。人が髪型変えたら普通褒めないか?」

いや、一応カッコいいですよ、なんて照れ隠しにさり気なく言ってみた。
多分、そんな自分のドギマギとした心中もお見通しのはずなんだから。

――そして月曜日。
存分に満喫した休暇のお蔭で、危惧していた程には憂鬱な気分にも陥らず。
週末の間に気温はどんどん下がり、季節はぐっと変化の度合いを深めていた。
今年の秋は遅くやって来た割には短くて、このままだとあっという間に冬になりそうだ。
出したばかりの秋物のコートに袖を通しながら、もっと厚手のものも出しておいた方がいいかも、とマヤは思った。

……ちりちりと。
携帯電話が鳴る。
なぜだろう、彼ならばすぐにわかるのだ。
長旅を共にした今、特に。
彼が近くにいる、自分を呼んでいる、という直感は、絶対に外れない。
そうでない場合には、心が何の反応も起こさない。
そんな訳で申し訳ないけれど……この電話、きっと彼ではない。
ほら――やっぱり。

「もしもし」
「マヤちゃん!よかった……ようやく電話が繋がったかと思ったら全然とってくれないし、青木さんはもう帰ってるって言うし。凄く心配したよ、一体どうしてたの?」

非難を押し隠した、心配そうな声。
その声を聞く度に、ちくちくと申し訳ないような、落ち着かないような、変な気分になってしまう。
本当に悪いとは思うのだけれど――週末の会見まで何も言えない今、秘密を抱えたままのこの状態で彼と話すのは非常に――

(面倒だ……)

自分でも酷いと思うけれど、罪悪感よりも正直、そっちの気持ちの方が大きい。
断っても謝っても、彼はマヤを諦めない。
友達だ、と口では言いながら、その視線も態度も友達のそれではない。
諦めが悪い、という点では、互いの想いがすれ違っていた頃の真澄に対する自分だって同じなのだが。
人が人を好きになる感情は理屈じゃないし、その思いが叶わない切なさや苦しさも、十分味わい尽くしている。
それに何といっても彼とは幼馴染も同然の長い付き合いだし、大事な『紅天女』の相手役でもある。
恋じゃなくても、大切な人には変わりないはずなのに――面倒臭いと思ってしまうなんて、自分はなんて冷たい人間なんだろうと。
そう思うとどんどん凹んでしまうから、なるべく彼とは距離を置いておきたいのだ。
……が、そんな心中など彼は察してくれない。
事情がわからないのだから仕方ない、とは思うけれど。
だけど……

「あのね、桜小路君」

背筋を伸ばして声を改めると。
その気配を察したのか、彼が何か言おうと身構えたのが電話越しにわかった。

――いいよ、わかってるから。君が僕を友達にしか見れないって事。

――好きな人がいるんだろう、だけど僕はそれでも構わないから。

きっとそう言う、これまでと同じように、何度も。

「こんな事言うの、すごく辛い。自分でも何様だって思う……から、怒ってもいいよ。
 でも言う。だからちゃんと聞いて欲しいの」

電話口の向こうが沈黙に包まれる。
少し、演技をした方がいいのだろうと思う。
素の感情を差し出してしまえば、また彼に余計な期待を持たせてしまうだろう。
それこそ酷い、何様だかわからない態度だと思う。
だからできるだけ冷たく、そっけなく振る舞おうと、唇をかみしめる。

「これからもお芝居の相手として、ライバルとして、桜小路君とはいい関係でいたいと思う。
 だからもうあたしに関わらないで欲しいの。電話も、メールも、もうしないで」
「……友達でいるのも、無理?」
「連絡とらなくても、友達の関係は続けられると思う。だからこの電話で最後にする。
 あたしもアドレス消すから、桜小路君も消してね。じゃあ、さようなら」
 
人は、大切な人ができると、それ以外を残酷に切り捨てることができる。
自分が一番酷い状態の時――試演前、真澄が婚約していたあの時――誰よりも傍で必死に守ってくれた、優しい人ですら。
まるで利用するだけして捨てるような形で。
本当はあんな傷つけるような言い方、すべきじゃないのに。
だけど自分は頭もよくなければ器用でもない――
ストレスがかからないように適度に扱うなんて真似はとても無理だから、ならばバッサリと切り捨てるしかない。

――罪悪感は、ない。

きっとこうすることが、彼にとっても自分にとっても、最良の選択だ。

ふっと、空を見上げる。
休暇明け最初の仕事は、新しい芝居の打ち合わせ――結局、一番初めに読んだあの脚本に決める事にした。
打ち合わせ場所は……可笑しな事に、所属会社の社長室だ。
水城以外わからないであろう、吹き出したくなるような感情を抑えながら、一週間後には全く意味のない“芝居”をするのだろう。ガチガチに緊張したマネージャー、噂の鬼社長の機嫌を取ろうと必死の劇場関係者、そして不機嫌な所属女優と冷たい顔の冷血社長。
桜小路に冷たいセリフを投げつけておきながら、同時に幸せな笑顔を浮かべてしまう自分という人間は――やはり、阿古夜のように優しくもなければ天女でもない。ちっぽけで残酷な、ただの人間だ。

ねえ速水さん――あたし、最近、ちょっと貴方に似てきたかもしれない。

冷たいセリフも、意地悪なお芝居も、もうすっかり板についてきたの。

真澄と自分の事しか考えられない、こんな利己的な感情を抱えたままでいいのだろうか。
多分、それではいけないのだろう――女優として、一人の人間として生きていくからには、たった一人のことだけ考えて生きる、なんてのはどこか欠けた有様のようにも思える。
だけど……今はこの幸せだけを感じていたい。
このまま、いつか罰があたってひどい目に合うのかもしれない。
週末にあるという入籍会見だって、何か事故が起こってなくなってしまうかも、なんて。

幸せすぎると、きっとどんどん不安になってしまうんだ――

だからこうやって、少しでも離れているのが怖くて。
怖くて、つい走り出してしまう――
貴方のいる場所へと、全力で、駆け出してしまうあたしを……お願いだから、笑わないで、ね。

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last updated/10/11/06

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