第4話


黒く濡れたアスファルトを睨み付けるようにして歩いている。 シャアア、っと背後から飛沫を上げて通り過ぎる車の音を耳にするや否や、 反射的に隣の少女を庇うように身体の向きを変えている自分につくづく溜息が出る。 (全く――この子の保護者でも恋人でもないよ、あたしは) 青木麗が何度となく自分に言い聞かせてきた言葉ではある。 それでも無意識のうちにあれこれとマヤのお節介を焼いてしまうのは、 何とかしてやらずにはいられない――という彼女の持つ特性は勿論あるのだろうけれど。 結局、自分がしたいからしている余計なお世話なのだ。 頼りないようでいて、たった13歳で自分の生きる道を選んで迷いなく進んでいる、その強さには正直舌を巻いている。 馬鹿、と言ってもいいのかもしれないけれど。 「ねえ、麗」 ぴた、と二人の足が止まる。 あのムカつく男のマンションに行く途中まで降っていた雨は止んでいたけれど、その代わりにひんやりとした空気が足元から立ち上る。 もう4月も半ばを過ぎようというのに、桜も散ってしまったというのに。 薄手のコートの隙間に忍び寄る寒気に、麗は思わず肩を竦める。 「何」 「速水さん、何て言ってた?」 「何を」 「あたしの事」 自分の肩あたりにある小さな頭が、必死でこちらを見上げている。 芝居に夢中な時、好きなお菓子の事を語る時、珍しく欲しいものがあると悩む時―― その時々に彼女のこんな顔に出くわしたことがある、けれどそのどれとも違う熱を感じて、またしても説明不可能な苛立ちが湧いてくる。 「それを聞くより、あたしに言わなきゃいけない言葉があるんじゃない?」 吐き出すように言ってしまってから、途端に後悔した。 マヤの真剣な顔が苦しそうに歪むのを見つめる。 今の台詞は最低だ、と麗は自分で思う。 「ごめん」と言わせたいだけならいくらでも言わせられるだろうけど。 でも本当にそんな言葉が欲しい訳じゃないって、多分この子も気づいてる。 「ごめん、今のは撤回。あたしが――なんで怒ってるか、ホントの所知ってる?」 「……秘密にしてた、から?」 「それもあるけど」 「――よ、よりによって……あの、速水真澄だから」 「当然だろ。でもそれでもない」 と、ちりりん、と鋭い音が二人の間を割る。 道端で修羅場トークなんてしてんじゃないわよ、と言わんばかりに不機嫌そうな主婦が自転車の前かごに幼児を乗せて通り過ぎてゆく。 そのタイヤの轍が水飛沫を上げて遠ざかってゆくのを眺めながら、 「……わかんなきゃ一生考えてな」 そのまま、スタスタと再び歩き出す。 2歩遅れて、マヤが慌ててついてくる。 いつの間にか街灯に明かりが灯りだし、薄暗いとばかり思っていた街並みがすっかり墨色に溶け込んでしまっている事に気が付く。 アパートへと向かうバスに乗るにはこの大通りの反対側に移動しなくてはならない。 そのまま、目の前の歩道橋の階段を一度も立ち止まることなく一気に駆け上がった。 マヤが後ろからついてくる気配が――途中で止まった。 「麗、わかった」 振り返ると、マヤは制服の両腕をかき合わせるようにしてこちらを見上げていた。 そういえばあの子、ブレザーはどうしてたんだっけ、と麗の頭に疑問が過ぎる。 「間違ったら――笑ってくれていいけど」 ぱちぱちと長い睫を瞬かせながら、マヤはゆっくりと言葉を選ぶ。 本当に変な子――普段はイライラするくらい内気で、何を考えてるかわからない癖に。 そうやって核心を突いてくる時の真剣な表情ときたらとても少女には見えなくて。 自分なんかよりぐっと経験を重ねた人間みたいな顔をする、奇妙な事に。 そしてそんな時は本来の幼さが一瞬かき消えて、ゾクリとする程、美しく見えてしまうのだ。 「麗は、速水さんに――嫉妬してる?  あたしが、取られちゃったみたいな感じで」 ……全く、何だってそんな風にストレートにしか言えないの、この子は。 「笑っていい?」 「――う、やっぱり違うよね」 途端に真っ赤になってしどろもどろになり―― ぐしゃぐしゃと髪を掻き回す、その様子を見ていたら。 これまで築き上げてきた鉄壁の怒りの仮面が、ガタガタと台無しになってゆくのを麗はゆっくりと実感した。 堪えきれなくなったので、ひとしきり身体を揺すって笑った。 マヤは茫然としたようにこちらを見上げたままだ。 「何て言ってたかって?あいつが?」 「……やっぱり聞きたくないかも」 「何だよ、今更。ところであんた、ブレザーはどうした?」 「え?――あ、あああ!!」 「わざとだろ」 「違うったら!ど、どうしよう――」 「取りに戻れば」 「え?」 「もう時間ないから、あたしこのままバイトに行く。  ムカつくから今夜は呑んでくる、だから遅くなるし、勝手にして」 「麗――」 「ああ、もう、今のうちに早く行けってば。今だってイラつくんだからね。  言っとくけど許した訳じゃないよ?  最初で最後、とか言ってたあいつの言葉がどの程度のものか見極めたいだけ」 そのまま再び踵を返して――また振り返った。 益々冷えてゆく一方の夜気に細い両腕を組み合わせる、世話の焼ける“妹”を眼下に、 麗は着ていた薄手のミリタリーコートを脱ぐと、三段下に縮こまった薄い肩にバサリと降りかけた。 「幾らなんでも、制服であのハイソは住宅街をウロつくのはやめてくれ。  マスコミじゃなくても変に思うから」 そのまま手を離したら、冷たい指先がぎゅっと握りしめてきた。 ああ、これって傍から見たら恋人同士の別れ際にしか見えないんだよなあ、きっと―― と自分で自分に突っ込みながら、憮然とした表情を作って見せる。 さっき不覚にも大笑いしてしまったから、もうどうしようもないけれど。 「あたしね、多分麗と一緒にいる方が笑ってるし、楽しいと思う」 「嘘つけ」 「本当に。速水さんといるといつもイライラするか泣くか困るか、だもの。  時々笑える時もあるけど――」 「じゃあなんでアイツの傍にいるわけ?」 「……何でだろ。わかんないから、確かめたいなって――思った、今日、さっき」 ゆっくりと閉まる扉。 一緒に出てゆくはずだったマヤが小さな声だけ上げて吸い込まれて消えた壁の向こう。 一瞬だけ見えたあの男の影。 台所の脇で、まな板に包丁を叩きつけて睨み付けた自分を、ただ黙って見つめていた瞳。 「利用されて泣いて帰っておいで。100回土下座したら部屋に入れてやってもいいよ」 ぱし、っと握りしめた手を振り払って、麗は今度こそ真っ直ぐに階段を上り詰める。 決して振り返ることなく道を渡りきって、降りて、そのまま真っ直ぐ前へと。 街の雑踏がマヤの視線を掻き消してしまうまで、早く早く、と心の中で呟きながら。 何故かにやけた笑いが唇の端に浮かんでしまう。 それは多分――あの子も同じなんじゃないかと、振り返るまでもなく、そんな風に思った。 web拍手 by FC2

連載が進むにつれ麗の尻がでかくなってゆくのに我慢ならないに1票。
ミリタリーコート、好きなんである。全く似た様なのを2枚購入。真夜中のフラッシャーな買い物の必需品である。
last updated/11/04/22

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