第4話




「――”抱く”とか"寝る”とかいう行為を、君はどんな風に考えてる?」

長い長い間を置いて、ようやく真澄は切り出した。

「ドラマや映画、それに君なら少女漫画とか?ああいった物語には溢れかえってるだろう。
 その言葉一つで花が舞い散るような……あんなイメージを持ってたりするのか?」

真澄の言わんとしているところを何となく理解して、マヤは戸惑いつつも首を振る。

「ああいう物語に憧れてるのかってことですよね……そう見えますか、私」

「別に馬鹿するつもりはないし、違っていたら申し訳ないが。君は多分、処女だろう?
 何て言うのか――その君が俺に抱かれた、としてだ。君の何がどう変わるのか、何より君自身がどう変わりたいのかが俺には理解できない。セックスに理由を求めろといわれたら様々な理由があるだろう、互いの愛情を確かめるためだとか、生殖のためだとかもそう。中には金のため、征服欲、憎しみ、暇つぶし、ただ性欲の侭、他にあるだろうが、まあとにかくその価値はピンからキリまで多種多様だ。――で、君にとって俺と寝ることにはどんな価値があるんだ?」

「……」

「……すごい話をしてるな、よりによって俺と君が。」

真澄は苦笑して、二本目の煙草に火を点けた。
マヤは無言のまま、じっと視線を宙に浮かせている。
”気紛れ”以外の理由を、真澄は思いつかない。
そしてそれはとてつもなく魅惑的で、この上もなく残酷な感情。
差し出されれば、最早拒む力は自分にはない、この子は気づいてもいないだろうが。
気紛れを気紛れのまま済ませられる程に今の自分はマトモではなないのだ。もう十分わかっている。
何のかのと建前や言い訳で真実を覆い隠したまま、俺はこの子を抱くだろう。
愛されよう、愛されたいなどと自惚れるつもりはない。
最早自分を憎んではいないと、いつかこの子は言った。
その優しさに、女優として変わりたいという情熱につけ込んで、俺はこの子を抱く。
自分の欲望のまま、身勝手な想いのままに蹂躙する。
そしてまた憎まれる――いつ果てるともとなく、俺とこの子は互いを傷つけ合うのだ。


「そんな難しい理由、わかりません、私には」

ぽつん、とマヤは呟いた。
それから傍らのバックを開き、中から例の台本を取り出す。

「速水さん、ここの台詞、どう思いますか」

開かれたそのページに、真澄はさっと目を通した。


<第一幕三場>

アヤ 『兄ちゃん、あたしを見て。あたし、15になったで。』
和之 『やめえ、服を着いやアヤ』
アヤ 『なんで。アヤ、もう女になった。この暗い箱の中で、兄ちゃんだけ見て女になった』
和之 『年頃の女は肉親の前で裸になぞならん、服を着いとゆうとるやろ』
アヤ 『兄ちゃん、あたし男の人好きになりたい。だれでもええから、男の人に好きにしてほしい。
    女は男の人好きになるんやろ、アヤここで男の人見たことない。でも兄ちゃんは男や』
和之 『馬鹿、いくら男でも親や兄弟を好きになるやつがあるか。それは絶対にあかんのや』
アヤ 『なんであかんの?誰が決めたん?
    この箱の中では何をしてもええんや、ここは狂っとると兄ちゃん前に言うたな。
    だから……抱いてほしいねん、アヤをここで女にしてほしいねん!』

――アヤ、和之に口付ける。和之、その身体を震えながら押しのける。


初めての”濡れ場”がよりによって近親相姦はないだろう――
と嘆くわけにもゆかず、代わりに固く眉根を寄せる。
決してつまらない脚本ではないが、さりとて『紅天女』の壮大な世界観と比較するとどうしても安っぽく、センセーショナルな部分にのみ話題が先行してしまうのではないか、と興行主としての真澄は素早く思案する。

「『あたし男の人好きになりたい。だれでもええから、男の人に好きにしてほしい』」

低く、唸るようなマヤの一声に、真澄の身体の奥がゾクリと震える。

「言葉だけなら、ただの……誘惑の台詞、なんですけど。
 だけど私、とても寂しい台詞だと感じました。
 寂しくて、でもそれ以上に、生きたいっていう強い気持ちが伝わってきたんです。
 暗闇の中で、誰からも見捨てられて、それでも生きている自分という人間のことを、たぶんアヤはとても疎ましくて、心から憎んでる。でもこのまま死にたくない、生きていたい、生きるために人を愛したい、愛されたいって願う強い気持ち。そんな感情が、この台詞からは伝わってきました」

マヤは両手を膝の上で握りしめ、ぐっと真澄を睨みつけるように見つめた。
その視線を逸らすことなどできるはずもない。
まるで蛇に睨まれた蛙――いつもの自分とマヤとの立場がまるで逆転している、と、背中を伝う冷や汗を感じつつ真澄は思う。

「あたしが速水さんに抱かれたい理由――は、生きていたいから、なのかもしれませんね」

マヤの右手が無意識のうちに拳をつくり、胸の上でトン、と鳴る。
トン、トン、トン――
冷たく凍った心臓の半分を呼び起こすように。
そう、今の自分の心は半分死んでるも同然だから。
石のように固くなって、あちこちヒビが走って、ボロボロに崩れる寸前。
でもまだ血の通った半分が叫んでいる。
このまま死にたくない。一度でいいから、生きていると感じていたい。
愛する人の胸にすべてを委ね、溢れ零れてどうしようもないこの想いを伝えたい。

この無謀で、切なる想いを彼が失笑で断ち切る時――

あたしの心は完全に砕け散る。


……が、真澄は嘲笑いもしなければ、怒り出しもしなかった。

ただ深く瞼を閉じ、長い一拍の後。
ゆっくりと、だが確実に呟いた。

「よくわかった。君を抱こう」

――と。

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last updated/10/11/13

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