第3話


「何、また断られた?」 「申し訳ありません、生憎リーダーのボーカリストと行き違いになってしまって…」 「話にならんな。何のために沖縄まで出向いたんだ君は。休暇をやった訳じゃないんだが?」 「は、はい!」 恐縮しきって部下が部屋を出てゆく、その扉が閉まる音を聞いたとたん、 速水真澄は心の底から大きな溜息をつき、深々と椅子の背もたれに身体を埋めた。 そのままくるりと椅子を回転させ、背後の窓の外をぼんやりと見遣る。 数日前から入梅した東京は、時間の感覚が曖昧になるような、ぼんやりした曇り空だ。 窓を伝う雨粒の跡を目で追うともなしに追いながら、眼前に広がるオフィス街を眺める。 (もう梅雨か…うっかりしてるとあっという間だな) 日々の仕事に追われて、ろくに季節の変化を感じることもない。 大体、毎日がオフィスと車と仕事先の行き来の連続だ。 季節なんて自分には関係ない。 自分で選んだ道とはいえ…時折、無性に全てを投げ出したくなることもある。 特にこんな風に、時間が間延びしたような雨の日には。 少し頭を振ってから内線で水城を呼び出し、コーヒーを淹れるよう頼んだ。 机の上の書類の山、その一番上に載った先月号の演劇雑誌を手に取る。 (…何をしてるんだろうな、今頃君は) 見開きいっぱいに、対峙するふたりの王女。 まだ鮮やかに蘇る、舞台の上の彼女――可憐なる光の王女・アルディス…マヤ。 そう、季節は巡る…あっという間に。 まだ子供だとばかり思っていた少女も、いつのまにか美しく大人になってゆく。 その眩しい程の笑顔に、暗く沈んだ気分が少し軽くなるのを、確かに感じながら。 パタン、と雑誌を閉じると、再び厳しい表情を戻し書類に目を遣った。 と、コンコン、とドアがノックされ水城が現れる。 「失礼致します、コーヒーお持ちしましたわ」 「ああ、有難う」 ゆるやかに湯気をたて、心地よい香りが立ち上る。 その手の中の書類からちらりと目を上げて、真澄は肩をすくめて見せた。 「上手くいっていないようですわね」 「全く、いくら条件を積んでもノーだ。  アーティストってやつは強情で困るよ」 「インディーズでもチャート入りが今は当たり前ですし。 大手になびかない彼らのようなアーティストは大勢いますわ」 「インディーズ、というネームだけで売れるような要素もあるしな…  まあそうも言ってられん、あの担当は早く替えた方がいいな。  沖縄まで行って何も収穫無しときたもんだ」 その書類に記された情報と写真を睨みながら溜息をつく。 現在、大都では新しいレーベルの立ち上げを目論み、特に地方のインディーズバンドや オンラインで活躍するバンドに注目し開拓を進めている。 リスナーの嗜好も音楽業界の形態自体も多様化が進む現在、 いわゆる大ヒット曲自体の数は減少を免れない。 ならば多方面のジャンルを押さえ、量より質のレーベルを育て上げなくては。 音楽業界では二番手、三番手に甘んじている大都のレーベル価値を上げる、 これは数年前からの大きなプロジェクトなのだ。 だが中でも今一番の注目株を捕まえることがなかなかできないでいる。 「…まあ、一度直接俺が直接交渉しなきゃならないだろうな。  彼らの情報を常に抑えててくれ、特にボーカル…比嘉智文、彼だ」 「承知いたしました。」 真澄が指差した写真の先には、クラブの真ん中でマイクを手にしたドレッド頭の青年が写る。 「時に真澄様――マヤちゃんのことですが」 「…ああ」 「次の舞台を巡ってあの黒沼龍三氏が動き出したとのことですわ。  近々接触するのは間違いないでしょう」 「黒沼監督か…ふふ、成る程ね…」 「あの子も運が向いてきたようですわね。鬼才と称される彼と彼女が組んだら…」 「もしかすると、もしかするかも…しれない、か」 「…貴方のお陰ですわね、全て」 「そんなことはないさ」 水城はふっと苦笑して、軽く一礼すると部屋を出て行った。 時計に目を遣ると、午後3時を過ぎている。 30分後には某テレビ局へ移動しなければならない。 (やれやれ…この曇り空じゃ億劫だな) また、溜息をつきそうになるのをかろうじて飲み込む。 こんな日に、豆台風の彼女が飛び込んできたらさぞ爽快な気分になるだろうに… と心のどこかで思いながら、真澄は再び無理矢理ビジネスの頭に切り替えてみるのだった。 ――と、丁度その頃。 移動の度にもたもたと戸惑い、おまけにお昼ご飯を2時間かけてのんびりと食べたマヤと比嘉は、 今やっと最初の目的地、東京タワーに辿り着いたばかりであった。 「うわーっ、やっぱり向こうの方はまだ曇ってるねえ」 「高ーい!!近くで見ると迫力あるけど、上ってみるとまた凄いねっ」 周囲はいかにも東京観光にやってきたような中高年の夫婦や外国人。 マヤも比嘉青年も、あちらこちらを見回しながら無邪気に騒ぐ。 最近では周囲の高層ビルに取り囲まれて、本来の役割は薄くなりつつある東京タワー。 新タワー建設計画も持ち上がってはいるものの、やはりこの独特の象徴性は特別だ。 「あ、ほらほら。あっちに○ジテレビ!」 「おー、はっきり見えるねえあの変な形」 「よかったら行ってみない?  私、中も少しなら案内できるし」 なんといっても元は売れっ子アイドルだった時期もある。 「そうだねえ…アイそう言えばさ…あんたなんかどっかで見たことあるよね」 「え?」 ふとはしゃぐのを止め、比嘉はじっとマヤの顔を観察する。 「北島…えーっとねえ…あーーーーっっ!!」 思い出した、というように手を叩く。 「前に大河ドラマ出てなかった!?  ちょっと覚えてるよ、北島マヤだ!?」 「えっと、は…あはは、一応、そうですね」 「へーっ、女優サンなんだ…  あ、そう言えばばあちゃんも劇団の人とか言ってたね…見えんさぁね…」 「ちょっと〜どういうことよー」 「あ、ちょっと訛りが移ったでしょ今」 再び笑い出したその時、ふいに呼び止められる。 「あの〜」 「はい?」 振り返ると、いかにも派手な格好のギャルが二人、 不自然な程小麦色に焼いた肌を見せびらかすようにしながら、興味津々で比嘉を見上げている。 「キャーッ、マジで!?  GLAGE☆LANGEのトモでしょ!?」 「はい、そうよ〜誰ねあんたたち」 「アハハハ!!超訛ってる!」 「本物?嘘〜!!ちょっと写メ撮ってもらえますかー?」 「マジでかい!!カッコイ〜!!  あたしアルバム全部持ってる、超スキ〜」 「全部って二枚しか出してんけど…」 隣に立つマヤそっちのけで比嘉の両脇に纏わりつき、大騒ぎしながら携帯電話を取り出す。 「写真?じゃあハイ、こっち向いて…」 「違うでしょ!一緒に写らなきゃ意味ないじゃん」 「あ、俺ね?じゃこの子と一緒に写せ〜はい」 「きゃっ」 と、呆然とその様子を見守っていたマヤの腕を掴むなり、突然比嘉がマヤの顔の近くまで顔を寄せた。 「ハア?誰それ。妹―?」 「誰って、彼女よぉ〜」 「・・・」 マヤを含めた三人が、ポカンとして比嘉を見つめる。 「ギャハハハ…!!有り得ねーっ」 「何で?こう見えてもこの子二十歳だよー」 「ウチら17だもん、女子高校生デースw」 「あぎじぇ…マジでか。そっちのが有り得んやっさ…」 暫くわいわいと騒いでいたものの、要求どおりに写メールを撮ってあげると、 マヤと比嘉は逃げるようにしてギャルから離れ、タワーを飛び出した。 見上げれば、一度は雲が薄れていた空模様が段々怪しくなってくる。 「あの…」 「何ね?」 にっこりと微笑み、見下ろした顔は何気ない。 が―-先程、外へと逃げ出した際にふと握られた右手。 浅黒い大きなその手が、ゆるやかに、しかししっかりとマヤの手を包み込んで放さない。 「えっと、○ジテレビに行くんだっけ?  タワーから見たら近いみたいけど、どうやって行くば?」 「あ、そうだね、でもその…」 徐々に顔が熱くなってくる。 そんなマヤを面白そうに、でも優しい目で見下ろしながら比嘉は大股で歩き出した。 ジャラ、と腕に沢山つけられたアクセサリーが揺れる。 やはり、街中を歩く彼は目立つ。 ますます気恥ずかしさと困惑に、脇の下に変な汗をかいてしまう。 「東京…やっぱ来ようかねえ…」 「え?」 「マヤもいるしさぁ、遠距離恋愛は難しいかもしれんでしょ」 「えっ…も、もう…からかってるでしょ」 「そんなことないよお。今から俺と付き合おうさ、マヤ」 「え」 事も無げに明るく言い放つ。 返事に困ったマヤの様子を窺い、ふと微笑むと、そっと手を離した。 ほっとしながらも、マヤは自分の胸がドキドキしていることに気がつく。 「あの…比嘉クンは、芸能人か何か?  さっきの女の子たち、知ってるみたいだったよね」 「ああ、違うよ。でも前はもっと変な髪形してたからねえ。  もっといろんな人が写真撮って〜って来てたさね、沖縄でだけど」 「うーん…そうじゃなくて。何かその…声がね、とても落ち着く。  歌手か何かかなあって…」 「さあ…」 軽くハミングしながら、大股で歩く。 そうだ、この青年には、全身から何かリズムが流れているのだ。 ゆったりと話す穏やかな声、揺れる長い指先、歩き方に至るまで。 「うん、そうだよ…俺は歌ってる。  いっつも、歩いてるときもマヤと手ぇ繋いでるときも。  今も歌おうか?みんな雨振って楽しくなさそうだしさ」 と言うなり本当に。 突然街角で立ち止まった比嘉は、ぽかんと目を丸くするマヤを置いて、指でリズムをとり始めた。 そして… (…すごい…) 音楽のことはよくわからない、だがマヤは単純に感動し、息を呑んだ。 普通の日本語じゃない、何か不思議な言葉。 何と言っているかはわからない、だがよく伸び、高く切ない声。 ゆったりとした独特のリズムが…薄暗い街の雑音の中を通り抜けてゆく。 すぐに、人の輪ができる。 始めは、穏やかな胸を締め付けられるような声。 だが徐々にアップテンポの唄へと。 静かに聴いていた観客の一人が、乗せられてリズムをとる。 それに合わせ、ますますリズムビートは激しく、テンポを上げて行き… 気がつけば、熱狂的に周囲を取り囲む若い男女に混じって、マヤも踊りだしていた。 「凄い…ほんとに、凄いよ!!  あたしああゆうのって…恥ずかしいから苦手なんだけど…  思わず体が動いちゃいたもん!!  さっきの唄、なんていうの?皆聴いてたね!!」 「さあ、何ていうかねえ。さっきつくったから」 ひときわ聴衆が盛り上がり、拍手と歓声が鳴る中をふたりは抜けて、 最早目的はどこでもいいのだが、お台場の象徴・○ジテレビへと向かった。 マヤはまだ興奮しているのか、頬を紅潮させたままで もっと歌ってくれ、他に何かないの、と話しかける。 そのひとつひとつのリクエストに応えながら、 比嘉はオリジナルから流行の歌まで、自由にアレンジして歌ってみせる。 そのどれもが、よく通る、一度聴いたら忘れないような強烈なインパクトがあるのだ。 そのうち、やっと○ジテレビのあの独特のビルの前に立ち、ふたりは立ち止まった。 「ハイ、ちょっと終了ね。観光観光。  え〜…いつみても面白い建物よねえコレ」 「いつみても?」 「ああ、それはね…」 ふたりが広いロビーの中に入っていった、と、その時。 「げっ」 突如、全く想定外の人物がマヤの視界に飛び込んでくる。 瞬間、何故か本能的に、比嘉青年の高い背の裏に隠れるように回り込んでしまう。 「なんね?」 比嘉が振り返るのを、その背後にぴったりくっつくようにして身を隠す。 「しっ…その、やなヤツ見つけちゃって…」 「は?」 比嘉が前を向く、そこに奥から近づいてきたのは… 「おやおや、何を化け物でも見つけたみたいな顔してるんだ君は。  それで隠れてるつもりか?」 何やら大層な美人秘書を脇に抱え、数人の部下を引き連れた背の高い男。 整いすぎるほど整った冷たい美貌で、周りの者を威圧する鋭い瞳で。 「う…速水、真澄…」 少し忘れかけていた、それなのに。 いつだって突然、この男は現れる。 そして奇妙に胸が騒ぐのだ、どうしたことか。 web拍手 by FC2

本作を掲載してたのは2005年。新タワー・・・そうです、今や一大観光スポットとなりました東京スカイツリーです。時の流れを感じますね!
今回、比嘉君の語尾を沖縄調に多少弄り直しました。
アイ〜!→「あぁ!」驚いた時など。あぎじぇ〜→「うげ〜 ぎゃぁ」呆れた時など。〜やっさ。→「(強い断定)〜じゃん」といったところかな。
さて、比嘉君にはモデルがおります。学生時代の後輩の男の子。これがうちのガッコを主席で入学する程の秀才っぷりで、かつ男性では珍しい琉球古典舞踊を嗜み、三線を引きこなし、美声かつマジで声楽経験があり、尚且つ部活はバスケという多才なオトコマエでありました。高校の卒業式の後、浜辺で宴会しながら次の日の朝起きたら渚で泡盛の一升瓶抱えて寝てたという話が忘れられません…元気でやってるでしょうか。
それにしてもGRAGE☆RANGEて(笑)思いっきりオレンジレンジとガレッジセール混ぜたな!恥かしいけど名前考えるの面倒だから訂正しないでおきます(笑)

    

last updated/11/06/06

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