第6話


何故大都を離れたか。 その原因を述べよ、と言われたらあのことを思い出さなければならない。 あまりに辛い、忘れられないあの記憶を。 同じく、今まで平然とした顔のままの真澄も顔を曇らせる。 暫しの沈黙の後…先に口を開いたのは、マヤだった。 「うん…いろいろあったから。  あの時は…自分の置かれてる場所がよくわかってなくて、  ただお芝居さえしてればよかったのとは違う世界がね、怖くて」 「母さんをこの男に殺されたから」、 とでも言い出すのだろうかと身を硬くしていた真澄の眉が僅かに動く。 マヤはふたりのどちらにも向かず、自分の膝を見つめて話し続けた。 「何でそうなったのか…うん、本当にいろいろあったけれど。  結局は怖くて逃げちゃったんだ…舞台に立つのさえ、怖くなった…でも」 今は、ようやく立っている。 光を浴びた自分を、認めてくれる人たちがいる。 そして自分には演劇しかなくて、それがないと生きていけないこともわかっている。 それを示してくれたのが…考えてみれば本当に変だけれど、 この速水真澄なのかもしれない。 ただの偶然なのかも、しれないけれど―― 「私はね、比嘉クンがどんな音楽やってるのかもどうしたいのかもわかんないけど。  でも、速水さんの言ってること、私は少しわかる気がする。  この人、ほんっと腹黒いし意地悪だけど、嘘はつかないから。  比嘉クンが本当に何かはっきり求めてるんなら、速水さんはちゃんと応えてくれると思うよ」 再び、車内に沈黙が訪れた後…比嘉がゆっくりと口を開いた。 「そうかあ…マヤが言うならそうだろうねえ…」 それから、にっ、と何かを思いついたように笑顔を浮かべると、 「今何時ね、社長さん?」 「――5時半過ぎだが」 「俺、8時の飛行機で帰らんといけんわけ。  それまで口説いてくれん?腹減ったし…なあマヤ?」 「え、あ…うん、そうだね!思いっきりご馳走になっちゃおうっか!」 「やめてくれ、君が本気で食べ出したら財布がもたんし食欲がなくなる」 「な、何ですって…このゲジゲジッ!お金なんか掃いて捨てるほど持ってるクセに!!」 「ゲジゲジって…」 「比嘉クン、もし大都と契約するならうーんと条件つけてもらわなくちゃ駄目だからね!  ほんっとに意地悪なんだから、馬鹿!!出てスッキリしたわよ、大都なんかっ」 「ああ、褒めたり貶したり五月蝿いな。  何赤くなって喚いてるんだこのチビちゃんは。  水城君、すまないがそういう訳だ、この後のスケジュールは…」 「まあ、滅多にない大物との契約ですもの、何よりも優先しますわよ。  品川に美味しい沖縄料理のお店がありますけれど?空港も近いですし」 水城は大都へと向かっていたハンドルを切り替え、サングラスの奥でうっすらと笑った。 不測の事態には慣れっこだ、しかもマヤが絡むこととなればいつだって。 「任せるよ。いいかな、東京まできて郷土料理でも?」 「いいよ、酒はじゃあシマー(泡盛)だね。俺強いから口説く前に潰れないでね」 「じゃあ君こそ油断してる間に契約書に拇印押されるなよ」 「うわっ、やりそう!絶対やるわよこの男は!」 車内の空気が緩やかにかわってゆく。 それは比嘉青年の屈託のなさか、マヤの先程の言葉のせいかはわからない。 ただ、真澄の胸の内は、案外穏やかに落ち着いている。 ただひとつ――比嘉にむかって笑いかける、マヤの明るい笑顔を見る瞬間を除けば。 雨は降り続き、点り始めた街のネオンが窓ガラスの外でゆらゆらと揺れて流れる。 不可思議な感情を密かに抱え、奇妙な関係の三人を乗せた車は、まっすぐに品川へと向かう。

「はっさみよ(あ〜あ)…だからやめなさいってゆったのに」 「馬鹿だな、何も一気に飲むことないだろう。 ほら、ウーロン茶」 25度の泡盛をロックで、やらなくてもいい一気飲みをしてしまったマヤは 焼けるような喉の熱さにむせかえりながら、一瞬で耳元まで真っ赤になる。 一度東京駅で比嘉の荷物を取った後、三人は水城の勧めた沖縄料理店に来ている。 三味線の音が微かに響くオレンジ色の照明の下、 カウンターでマヤを間に挟んで座ると、比嘉は「高い、有り得ん」を連発しながらも次々と注文した。 「おお、ちゃんと咲元も古波蔵もあるねえ、いいねえ、ここシマーの品揃え最高だわ」 「沖縄の蔵元は正直な作り方をしているからな。  俺はよく居酒屋に置いてある酒より、もっとしっかりした古酒が好きだ」 「そうそう!!でも内地の店は『残波』か『蔵』か『久米泉』しかないしさぁ〜  …って、へえ…社長さんシマー飲むのね…でも似合わんねえなんか」 と、ふとメニューから顔を上げた比嘉は、 まだ顔を歪めたままウーロン茶の氷を頬張るマヤの横顔に注がれる真澄の視線に気づく。 ――無表情を装いながら、確かに見守っている、その視線に。 (ああ…成る程ねえ…) テレビ局で出会ってから今までの、ふたりのやりとりを思い浮かべ、 比嘉は心の中で小さく微笑んだ。 「じゃ、ガッツリと咲元で行きましょうか。40度あるけど大丈夫ね?」 「ああ、君を口説き落とすまではそう簡単には潰れない」 「ちょっと、お酒ばっかり飲まないでよふたりとも!」 顔を真っ赤にしたままのマヤは、メニューをひったくるなり、 比嘉にあれこれ聞きながらさっさと注文してしまう。 その様子を、比嘉はゲラゲラ笑いながら、 真澄はいちいち皮肉なコメントを挟みながら食事は賑やかに進んだ。 「うわっ、豚足!!私初めてだわ」 「沖縄ではテビチね。毛が生えてるけど見て見ないフリして。  まあ見た目はグロイけどコラーゲンたっぷりだし、  女の子はもりもり食べなさい、はいマヤ」 と、急に比嘉が箸でうまいこと豚足の皮と肉のトロトロした部分を掬い取り、 マヤの口元まで運んでゆく。 「えっ、わ、ひとりで食べれるよ比嘉クン」 「ほらほら、早くかめ〜!箸から落ちるでしょ、はいあーんして…」 「わ」 さすがに恥ずかしがっていたマヤであるが、 急かされた勢いで思わずぱくりと口にしてしまう。 「ああ、もうヒナ鳥みたいでかわいいねえあんたは!」 がしゃがしゃと、比嘉の大きな手がマヤの小さな頭をかき回す。 すかさず横から真澄が 「カッコウのヒナじゃないか」 「カッコウ?」 「他の鳥の巣に卵を産んで、生まれたヒナはその鳥のヒナを追い出すんだ。  しぶとくてあつかましくてしたたかな鳥。」 「なっ…そ、ソレ絶対速水さんでしょ!!」 「ああ、じゃあツバメくらいにしておこうか。 ピーピー口開けて大騒ぎだ」 「くっ…この男は…」 横でそのやりとりを聞いていた比嘉は、何度目かの大笑いをたてる。 やがてお腹もいっぱいになり、先程の酒が今頃回ってきたマヤがフラフラし始め、 男ふたりはその頭の上で会話を交わした。 「――何がしたいって言ったさね、さっき」 「ああ」 「自分でもなあ…よくわからんさね…  昔から人と大騒ぎするのがスキでからさ、クラブとかライブハウスとか。  小学校の頃から潜り込んで朝まで歌ったり踊ったりしたよ、今もね」 琉球ガラスの青いグラスを傾け、それを光に透かし見る。 きらきらと乱反射する赤や青の照明、歪んで移る人の影。 真澄も、何杯目かのグラスを同じように傾けて覗き込む。 隣のマヤは何を考えているのかいないのか、 ぼんやりとカウンターの向こうに並んだ泡盛のラベルを眺めている。 「クタクタになるまで飲んで、騒いで。  ぼんやりした頭で、周りの景色もみんなぐるぐるになってさ。  何かよく覚えてないけど、面白かったなあってそのまま眠って、朝になる」 少し重い頭を上げて、晴れ渡った青い空を眺めて。 そのまままフラフラ歩いて、海に出る。 コバルトブルーの先の紺碧、その先の水平線。 音のない海、風だけが耳をくすぐる浜辺。 そこに立ったとき、心の底から自然と湧き上がる音楽の波音。 「そういう朝が何ともいえないさあね、次々に溢れ出るリズムが。  俺は…沖縄の空と海がないと音楽ができん、そう思ってたんだけど。」 ふと、マヤを見遣る。 最早限界なのだろう、比嘉の側を向いてうつぶせになり、目を閉じている。 その顔に微笑みかけながら、比嘉は真澄の顔を窺う。 ――黙ったままで、頷き返す。 「今日、東京の街でマヤと踊ったんだ。  こっちでストリートやるのは始めてだったさ、あ、アメリカではよくやってたけど」 「ああ、君は元々あちらの方で生まれたんだったな」 「父ちゃんのじいちゃんが米兵。12歳までN.Y.と沖縄行ったりきたりしてたよ。  あっちも面白い…あそこで音楽やってってもいい、だけどよ…  本当に何がしたいのか、沖縄に帰ってくるとやっぱりわからんくなる。」 「本当に何がしたいか、か…君に言った台詞だが、俺が一番そう問われて仕方ないだろうな」 と、真澄は呟く。 「このチビちゃんは…寝てるのか?」 「バカ…起きて…ま…」 反対側の顔をのぞき見るようにして声をかけると、 一瞬目を開けて真澄の方に顔を傾ける…が、やはり疲れもあるのだろう、 そのままパタリと再びうつ伏せになり目を閉じた。 web拍手 by FC2

当時も悩み、今回も悩んだのが「8時の飛行機」。詳細は次回判明するはず〜
テビチ「かめ〜」発言ですが、これ、「噛め」で「どうぞ召し上がれ」の意。いや、そんな生易しいものではない。
俗に「カメーカメー攻撃」といい、特に年配の女性(所謂おばぁ)が久々に帰省してきた孫等にご馳走を振る舞いながら「さあ食べなさい、これも食べなさい、全部食べなさい@カメー、カメー」と有無を言わさずすすめまくる、その荒業を指すのだ。
お母さんがピーマンキライの子供に「早くかみなさい!!」と叱る様な場合にも使うかな?^^
咲元と古波藏はどちらも執筆当時ハマってた泡盛ですね。社長に似合わない事は重々承知でのたまわせました、スイマセン(笑

追記。初回アップ時に「咲元」について「70度あるけど〜」と比嘉君に言わせてましたが、咲元の最高度数は40度だった!
「さきもと」違いで、与那国島の「崎本酒造」の「花酒」と呼ばれる一連銘柄は60度なんですが、こちらと勘違いしてたと思われ…><;
蒸留したての泡盛は大体70以上あるみたいで市販はされてないんですよ。ちっこいころ酒造所の近くに住んでたんで、甘い薫りを吸い込みながら登校してたのも懐かしい思い出です。

    

last updated/11/06/08

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