第3話


薄暗い部屋の中は4日前と同じまま…荒れ放題だ。 ぼううっとして、あちこちぶつかってはひっくり返して。 取り出した昔の思い出たちには今、引き剥がしたシーツが覆いかぶさっている。 そしてその後ろには… 今日もオフ、明日も、その先も。 …結婚に向けての準備を整えるついでに、 初めての長期オフをもらったばかりだった。 それがこんなことになってるなんて、麗だって知らないだろう。 肝心の婚約者と、もう二日も会ってないなんて。 恐る恐る、シーツの山に近づいてゆく。 その向こうを窺う。 …ああ、やっぱりある。 幻ではない、少しやつれてしまった、紫の薔薇… (ごめんね、いつもなら、ちゃんと生けてあげるんだけど) そっと手にとって顔を埋めてみる。 薫りはまだ鮮やかで、その数は23本、 ぴったりあたしと同じ年の数だけ。 これが偶然なわけはなくって、 やっぱりあの人はあたしのことを覚えている、 そう思って…いいはずだ。 そしてカード。 グシャグシャになってしまった。 奪い取られそうになるのを、馬鹿みたいに握り締めていたから。 『婚約は許可しない』  たったこれだけ、10コにも満たない文字の羅列。 …何度読み返したってそれ以上の意味は伝わらない言葉。 でも、あたしは従うしかない。 そんなことでしか、たぶんあの人とは繋がれない。 そのまま薔薇をキッチンまで持ってゆく。 萎れた花を見続けるのは辛いけれど、 でもこれはあの人が選んだかもしれない薔薇なのだから。 花瓶に水を張り、 そうすると花が長持ちすると前麗に言われたことを思い出して 10円玉を三個沈めてみた。 ちょっと考えて、 あまりつけることのない古いテレビの主電源を、2回押してみる。 ジ、 と音をたて、灰色の画面にパッと外界が広がった。 …何も考えられなかった。 画面一杯に映っているのは、もう4日、亡霊のよう瞼に焼き付いているその輪郭… 女性アナウンサーの無機質な声がその後ろに流れる。 「大都グループは27日、  主力取引銀行である「みくうコーポレート銀行」の笠原一男副頭取(55)を  2月1日付で大都グループの特別顧問に向かい入れる方向で最終調整に入りました。  みくうは今回の人事で同グループを全面支援する姿勢を明確にしており、  そのため急遽来日した大都グループ総裁・速水真澄氏は・・・」 口に出したくなかった名前が、テロップに浮かんで消える。 その姿もまた一瞬で消える。 目の隅には紫の薔薇が咲いている。 ガタガタガタガタッ と、突然の物音に、 私は思わずすくみ上がる。 ガタ、 とそのまま机を滑り落ちて、 床の上で震えている携帯電話。 ――長い。 ずっと震えている。 恐る恐る、手に取った。 液晶画面には、馴染みのない番号がオレンジ色に浮かび上がる。 パチン、とゆっくり開く。 冷たい指先が少し戸惑う。 だけど行くべき場所はここしかないんだろう。 「もしもし、北島です」 心臓の音、4回分の間が空いて、 その声が3年ぶりに私の耳を、胸を、身体の芯を突き刺す。 「久しぶりだな、チビちゃん」 変わらない、全く変わらない声で私を呼ぶ。 「聞き分けのいい子だ、薔薇は受け取ったな?」 「ええ…受け取り、ました…速水さん…」 「…そうか」 あっけなく、十年の秘密が解き明かされる。 その余韻に浸ることもなく、 予測のつかない運命が走り出す。 「そのまま部屋をでなさい、下まで」 「どっ、どうして…どうしてですか?」 「どうしても、だ」 「待って、貴方は…貴方は誰ですか…!」 「俺――?  君はもう忘れてしまったのか?  忘れることなどできないように  徹底的に憎まれたつもりなのに…」 そのまま声が途切れる。 …窓の下を確認している余裕なんてない。 電話を握り締めたまま、私は裸足で飛び出した。 web拍手 by FC2

この章は割合お気に入りだったり…(●´ω`●)
       

    

last updated/05/01/30

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